第二十話『彼女はただ彼女でありて』
湖畔都市レーベック。馬車の整備をしながら、出発の準備を進める。
結局、俺達が本邸に戻るのは予定より更に遅く、二日目の夕暮れ頃になった。本来は日帰りだったはずなのだが。
これはアニスの準備を待っていたのもあるが、アーリシアと鉢合わせになるのを避けたのが大きい。
アーリシアの馬車や従者と比較すれば、どうしてもこちらは見劣りする。それならいっそ時間をずらした方が良いという判断だった。
そこまでは問題ないのだが。
「良いのか。こんなに堂々とバイコーンを前に出したりして」
「? 何か問題でもあるの?」
――二角獣バイコーンに馬車を引かせるのは、大丈夫なのだろうか。
「ヒヒィンッ」
いやに元気に鳴くじゃないか二角獣殿。
二頭で牽いてきた馬車ではあるが、アニスの協力を得てバイコーンを含めて繋げるように調整し、無理やりだが三頭立てに仕立て直してある。本邸に帰るまでの間はもつだろう。
しかし今はヴァレットの言う事を聞くとはいえ、魔性に馬車を牽かせるとは。乗り心地が最悪でない事を願う。
「うむ。魔性の多い地域ではこういった馬車も珍しくはない。己は騎馬に使っているのも見た事がある」
馬車に乗り込みつつ、アニスは当然のように言った。
何だそれ。製作者の俺は聞いた事もないぞ。俺が知らない間に他の奴が仕込んだのか?
とまで考えた所で、頭が勝手に否定する。
魔性関連やプログラミングに注力してきたとはいえ、俺は全体の進捗管理もしてたんだ。魔性の騎馬兵が存在すれば流石に気づく。
とすれば、この世界の特異性というわけだ。
ここ数日、館の外に接してようやく理解してきた。どうやらこの世界はゲーム『アテルドミナ』と『現実的な世界』の整合性を図る所がある。ゲーム上に存在しなかった事が存在するのは、何かしらの理屈があるのだ。
では今回の理屈とは何か。
魔性が当然に存在する世界。ゲーム上では一瞬だが、実際には数百年以上の年月を現地人は彼らと過ごしてきている。
とすれば、俺達が与えた設定を下地にそこから社会が発展してもおかしくはない。
その結果が、魔性の活用。魔性による馬車や騎馬の発明か。納得が出来る範囲ではある。
「というより、どうして思いつかなかったんだ! それなら他のギミックも入れられたってのに!」
「……貴方、たまに独り言つぶやく癖は直した方がいいわよ」
一人の時間が長いとこうなるんだ。五年間も誰とも話せなかったのだから、これくらいは容赦して頂きたい。
なお、バイコーンを繋げた馬車を見て御者は明らかに引いていた。何度もヴァレットに確認していたのが不憫でならない。
とはいえ、何時までもレーベックに留まっているわけにもいかない。観念して、全員が馬車に乗り込んだ。そんな頃合いだった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 止まってくれ!」
背後、つまりレーベックの側から声がかかる。
果て。俺達にこれ以上の知り合いはいなかったはずだが。
馬車の窓から軽く背後を見返すと、軽装備を身に着けた集団がいた。冒険者。いや――よく見れば、バイコーンを連れていたクランの連中だ。
ははぁ、バイコーンを取り返しに来たのか。まさかそこまでの根性があるとは。
一先ずヴァレットとアニスを車内に残し、俺が外へと出る。こちらの顔を見て、ぎょっとした連中の顔を一つ一つ見つめる。全員、精々レベルは二十前後といった所だろう。
「バイコーンの件かな。都市内での暴走を放置したんだ、所有権は放棄したもんだと思っていたが」
ゲームでの仕様上、都市内で魔性を放せるのは所有権を放棄した時のみ。そいつの手綱を離した時点で、所有の資格なしとみなされる。これはこの世界でも、さほど変わりない道理のはず。
「いや違う。そうじゃなくてだな、旦那」
クランのリーダー格らしい男が、槍を背負いながら前に進み出る。
指先に敵意はなく、武器を掴み取る様子もない。何より、両手を軽くあげて会話の意志を示していた。
「俺達だって扱えない暴れ馬に用事はねぇ。これ以上一緒にいたら何時か食い殺されちまうのがよくわかった」
ブルル、とバイコーンが軽く唸るとそれだけで男は顔を青くしてみせる。
どうやら、罠で捕らえた魔性の実力をよく知らずに扱っていたらしい。怯えた表情には哀れみさえ覚える。
「あー、それでだ。率直に言うぜ。そいつを連れてくのは良いが、領主や市長に訴えるような真似はやめてくれ。金なら出来る限り出す」
言ってずっしりと貨幣が詰まっただろう袋を男は取り出す。バイコーンを使って稼いだ金か。
ようやく、彼の言っている事が理解できた。
「ああ、なるほど。つまり、街中で魔性を暴れさせた罪をばらさないでくれって事か」
「それ以外にあるかよ、旦那。頼む! もしクラン解散でもさせられたらこっちは他の国にいくしかねぇ!」
冒険者は全て、領主の許可を得てクランを組成する。それ自体の条件はさほど厳しくない。冒険者に求めるのは荒事なのだから、多少の乱暴にも目を瞑る。領主に忠誠を誓い、一定量のクエストをこなしていればうるさく言われる事もない。
しかし――今回のように都市を荒せば話は別だ。領主の目に留まり次第、即時クランは解散させられる。
彼らは都市に利益をもたらすからこそ、多少の行き過ぎは見逃されるのだ。都市に害を与えるなら、その存在が許容されるはずもない。
クランが解散し、未所属となった冒険者は悲惨だ。商店を利用した物資の売買、宿屋の利用、魔性素材の換金といった一切の恩恵は受けられなくなり、また他のクランからも避けられる。
一度トラブルを起こした奴は、必ずもう一度トラブルを起こすと誰もが考えるからだ。
彼らがレーベックで起こしたトラブルに関して、バイコーンは最高の証拠だ。出すべきところに出せば、彼らは冒険者から一転して宿無しの身になる。
「まぁ俺は構わないが。ヴァレット、君はどうしたい」
被害は最小限に抑えられた。この件に懲りたなら、似たような真似は流石にしないだろう。個人的には見逃してやっても良い。
しかし、本件の決定権は俺にはない。
これは領主たるヴァレットが裁くべき案件だ。決して面倒になったわけじゃない。
「……貴方。面倒だから私に放り投げたわけじゃないでしょうね」
ばれた。嗅覚の鋭い奴だ。
「そんなわけないだろ。敬愛するご主人様の前で勝手な判断をしない、これぞ忠節だよ」
「そう。なら今回はそういう事にしておいてあげる。次はもう少し上手い言い訳を考えておくことね」
ヴァレットは馬車から降りながら、皮肉げに睫毛を瞬かせる。どうやら胸中を見透かされているらしい。
「さて、貴方達のクラン名を聞きましょうか」
俺が一歩引いたのを見て、クランの連中もヴァレットこそが決定権者であると察したのだろう。
数度囁き合った後に、男がおずおずと答える。
「……『ウォークライ』だよ」
「そう。良い名前じゃない。この子はどこから捕まえて来たわけ?」
「レーベックからずっと南だ。都市近くに出て来てやがったのが、上手く罠にかかったんだ」
想像通りの事を男が言った。本来は森の奥深くに潜むバイコーンがこの程度のクランに捕まるなら、それしか理由がない。
そうして、バイコーンが森から這い出て来た理由もまた、一つしかなかった。
「普段から狙って狩猟しているわけではないと。……よろしい。ならそうね、貴方達『ウォークライ』は一年間、魔性を捕らえる事を禁じます。これが守られるのなら、私の名に置いて罰を保留しましょう」
「なっ、なんでそうなる!?」
魔性の討伐と並んで、捕獲もまた冒険者の収入源の一つだ。
用途は今回のように見世物にしたり、商人に売り飛ばしたりと多種多様だろうが、同様のクエストを受けられないというのは少々辛いものがあるのだろう。
男は動揺を露わにしながら一歩を踏み出した。
「金が欲しいならここにある! 別にそんな事を決めたって、あんた達に得なんざねぇだろ!?」
ヴァレットは男の表情をじっと見ていた。その瞳の奥を見通すように。その意志を測るように。
こんな時の彼女の横顔は、見惚れる程に美しかった。
空虚な眼差しで相手を測り、ぞっとするような冷徹さでその価値を判断する。人間の価値を、ただその機能にのみ求める酷薄さ。
有用なのか、無用なのか。そう問いかけているかのよう。こんな時ばかりは、彼女の本質を思い出す。絶対の悪徳にして、誰一人寄せ付けない奸智の女王。
「――」
しかしその最中、ヴァレットは一瞬こちらを見た。
張り詰めた水面に小石が投げ込まれたかのように、紅蓮の瞳が緩む。
「――聞きなさい、『ウォークライ』。そうして見なさい。この私が掲げる紋章に見覚えがあるでしょう」
言って、ヴァレットは馬車を指さした。ひっそりと目立たないようにだが、そこに刻まれた紋章は偉大なる太陽の輝きを象ったもの。唯一無二にして、この地に君臨する主を讃えるためのもの。
「え……ぁ、いや、そんなはずは……ッ!?」
男をはじめとして、クランの連中の顔が青ざめた。
自分達が話をしているのが、小金持ちの娘でない事にようやく気付いたらしかった。
ヴァレットは瞳を、それこそ太陽の如く輝かせて言う。
「私――ヘクティアル公爵家が末裔、ヴァレットの名において宣言しましょう。貴方達は私の都市を傷つけてくれた。本来ならば、クランを解散させる事に微塵の躊躇もありません」
「あ……ぁ、いやこれは、その……!」
槍を背負った男は、完全に言葉を失っていた。動揺した様子で言葉を連ねようとするが、どうにも形になっていない。
「ですが」
ヴァレットは相手の言葉を期待せず、ただ包み込むように言う。
「――私は貴方達が心を改め、約定を守る事に期待します。一年間の禁を守れたならば、私の名に誓って無罪放免とします。『ウォークライ』、異論はありますか?」
「い、いえ! ございません! 御恩情、ありがとうございます!」
クランの面々は、それだけを言って数歩下がり、そのまま逃げ去るように消えていった。
幾度かこちらを振り返っては頭を下げてみせる辺り、反省はしているのかもしれない。
「ふぅ。……苦手よ、こういうの」
「上等な振る舞いだった。流石はご主人様」
「馬鹿言ってるわね」
軽口を交わしながら再び馬車に戻る。
全てを見ていたのか、アニスが馬車の奥に座り込んだままじぃとこちらを見ていた。
「意外だな。領主や貴族というものは、ああいった手合いを取り締まるのも仕事ではないのか?」
問い詰めるというより、シンプルな疑問といった様子。
だからだろう、ヴァレットも素直に応じた。
「本来ならね。でも彼らは反省していたし、クランを解散させていれば逆に犯罪に走ったかもしれない」
淡々と答えながら、ヴァレットは御者に合図を出す。待ちかねたかのように、バイコーンが嘶きをあげた。揺れ動き始める馬車の中で、ヴァレットは続ける。
「それに、周りは敵ばかりじゃないって言う人がいるんだもの。多少は聞いてあげないと、可哀そうでしょう」
思わず頬が崩れた。肩を竦めて言い返す。
「憐れまれる立場になった覚えはないんだが、聞き届けて貰ったなら感謝はしておこう」
「貴方、そういう所は直した方がいいわよ。次から情けはかけてあげないから」
ふん、とヴァレットは唇を尖らせながら窓へと視線を送る。しかし何処か笑みを浮かべている様子があった。
バイコーンが牽く馬車は行きよりも快適に帰り道を辿ってくれる。
その先に待ち構えているのは、間違いなく敵だと俺もヴァレットも理解していた。
だからこそ、ただこのひと時を噛みしめるように、くだらない会話を続けていた。全ては嵐の前の静けさ。もう二度と、この時が返らないかもしれないからこそ。




