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第十九話『貴族の条件』

 ヘクティアル家別邸の一区画を貸し切ると、リ=ヘクティアルの従者たちは各部屋を自らの主人に相応しい姿へ変貌させていく。


 持参した家具を運び入れ、調度品をアーリシア好みのものに置き換える。


 絢爛と実用の両立を求める家風だけあって、無駄に煌びやかな輝きはない。


 ただ一つ、特徴的であるのは――至る所に飾られる『銀』。


 戦士であれ魔法士であれ、銀は魔力を媒介する重要な触媒の一つだ。よく魔力を行き渡らせるために、装飾に銀を用いる武具も珍しくない。


 とはいえ、アーリシアの拘りは異常だった。身に纏う装飾品だけで飽き足らず、視界に入る調度品にも銀色を求める。それゆえに従者たちはせわしなく動いては、主人のために別邸の一角を作り替えていく。


「状況は理解しました。ナトゥス、貴方は十分に仕事をしたと評価しましょう」


 アーリシアは別邸の一室で近衛騎士と従者に囲まれながら、名代としたナトゥスの報告を聞いていた。


 ヴァレットがリ=ヘクティアル家の私兵や異郷者から生き延びた事。


 リ=ヘクティアル家が支援したデジレは追い落とされ、異郷旅団による襲撃も失敗に終わった事。


 状況は未だ混沌としており、安定を欠いている事。


「おおよそは、わたくしが考えていた状況から変化していません。ヘクティアル本家の混乱が長期化する事は、リ=ヘクティアルにとって望ましい事」


 アーリシアは美しい睫毛を瞬かせ、そう言い切った。


 実際、ヘクティアル本家の弱体化はアーリシアにとってこの上なく望ましい。ヴァレットとデジレの対立が長引けば長引くほど、アーリシアに利益が回って来る。


 名代たるナトゥスの使命は、可能な限り本家の混乱状態を保つ事だった。その点で言えば、彼は立派に仕事をやり遂げた。その点に間違いはない。


 ただ一点、そう言いながらアーリシアの眉根が歪む。途端、近衛騎士や従者、ナトゥスの表情が強張った。


「ヴァレットの従士とは、誰の事です?」


 アーリシアの思惑と計算の中、一切想定されていなかった特異点。


 幾ら質の悪い兵を送ったとはいえ、敢えて仕事を遅らせたとはいえ、十七の小娘が兵から逃げおおせるのは至難を極める。更に異郷者ヘルミナまで関わっているのなら、生き延びたのは単なる幸運では済ませられない。


 原因と言えるのは、たった一人。異形の様相と報告された者のみ。


「グリフという名前のみが把握できております。天霊教の名簿を照会しましたが、該当はありません。異郷旅団に情報提供を求めておりますが、未だ詳しい事が――」


「詰まり、こういう事をいっているのかしら?」


 アーリシアの声色が変わった。暗い湿った風のような声色だった。


 蒼の瞳がじぃとナトゥスの全身を見据えている。


「ヘクティアル家内でない者が唐突に現われた上にわたくしの兵と異郷者を退け、その後もヴァレットの支援を続けている。その詳細は全く分かっていない。分かっているのはグリフという名と、その異形のみ」


「……その通りです」


 慇懃無礼だった男が、この時ばかりは冷や汗をかいていた。


 アーリシアには、一言を漏らすだけで人を圧する雰囲気がある。言葉一つで人を操作する手練手管。これがなくしては、幾ら優秀であっても若くしてリ=ヘクティアル家の領袖にはなれない。


 数多の兄弟姉妹を退け、蹴落としてアーリシアはここにいるのだ。


「ナトゥス。答えなさい。貴方は人間よね。――ただのゴミ虫でないと信じていますわ」


 アーリシアの双眸から光が失せる。深い暗闇そのものがナトゥスを貫き、その価値を見定めていた。


 ナトゥスだけではなく、その場の全員が総毛たつ。


 誰もがアーリシアのその瞳を知っていた。役に立つのか立たないのか。彼女はその一点で余りに残酷に人を選別する。


 アーリシアという天秤は、合理の極みだ。役に立つ者は厚遇し、役立たずは切り捨てる。そこには一片の情さえ入り込む余地はない。愛用していた道具でも、壊れてしまえば新しいものに取り換えるのと同じ。


 彼女は心の底から微笑みながら、相手を地獄に突き落せる。そういう人間だった。


 貴族として、間違いなく一流。


 貴族たるものは、人間らしくあるべきではない。家を保つための機構たるべき。アーリシアこそは、そんなリ=ヘクティアル家の教えの体現だった。


 ナトゥスは何時もの通り、礼儀の基本を押さえた素振りで言う。


「当然です。この身はまだアーリシア様のお役に立てましょう」


「宜しい。ならばこのグリフと名乗る者の情報を徹底的に収集なさい。――いいえ、一度わたくしも見ておきましょう。その者は?」


「公女とともに都市レーベックへ視察に出たと伺っております。今は、何をするにしても常に公女の隣にあると」


「随分な入れ込みようね」


 アーリシアは舌打ちしかねない勢いで言った。ヴァレットの在り方は、貴族として忌々しい。


 厚遇や冷遇で差異を付けるのは構わない。しかし、配下に対して入れ込むなどというのはあってはならない。


 それはもはや、配下ではなく別のものになってしまう。貴族として、高貴なる者として決してあってはならない姿。

 

「相変わらず、同じような事をしているのかしら。あの子は」


 ぽつりと、アーリシアは呟いた。一瞬、目線が揺らめいたが、すぐに同じ様子に戻る。


 ヴァレットとアーリシア、お互いが分かり合えないのは当然の事。所詮は初めから何も持たない者と、多くを持っていた者。その胸中を推察は出来ても、相互理解など不可能だ。


 だからこそ、相争う事をやめられない。分かり合うためには、どちらか片方が破滅するしかない。


「理解しました。それは別として、あのゴミ虫は貴方の責任で抑えつけておきなさい」


「それは、デジレ様でよろしいでしょうか」


「それ以外にゴミ虫がいるとでも?」


 アーリシアはヴァレットを語る時以上に忌々しそうな声色で言う。


「分を超えた欲望を持ち、自らのために家に害をもたらす。先の想像は出来ず、目先の利益だけを全とする。存在そのものが害虫ではありませんの。アレが叔母という事実を信じたくないほどです」


 血縁上は叔母という間柄にあたるが、アーリシアとデジレの間にそう多くの縁はない。交流の場で数度会話した事がある程度だ。本家の当主にデジレが見初められていなければ、そう顔を合わせる事もなかっただろう。


 本来ならば、早々に見切りをつける相手でしかないが。


「現状においてのみ、アレにも一定の利用価値はあります。しかし、勝手な動きをさせないように監視なさい。どうせアレにはろくな考えなど浮かばないでしょう。それより、身勝手に動かれる方が迷惑です」


「承知いたしました。必ずや遂行いたします」


 ナトゥスが恭しく頭を下げる。アーリシアの命令に否と答える事は許されない。彼女は必要な命令を、遂行可能なものに与えるからだ。


「では、公女につきましては如何いたしましょうか」


「ヴァレットは、確実にわたくしの手で始末をつけます。ルージャン司教も呼び寄せなさい、彼の名前を使います」


 ヘクティアル領の天霊教会を任された司教を、まるで当然のようにアーリシアは呼びつける。何時も彼女は、誰一人として頼りにならないと理解しているからだ。


 重要な事柄は、必ず自らの手で決着をつける。そうでなければ、不本意な終わりになると信じている。


 ゆえにこそ、アーリシアは自らヘクティアル本家へ足を運んだのだ。たとえ場がどのように動いていようと、自ら収拾をつけるために。


「ヘクティアル領南方における魔性の活性化。口実としては丁度良い事案です。あの子には勇ましく死んで貰いましょう」


 アーリシアは胸中の感情を自ら踏み躙りながら言う。痛みや悲しみを感じていても、目を逸らし続ける。


 それは人間としての破綻だ。


 しかし彼女は、貴族とはそういうものだと断ずる。人間として破綻しているからこそ、一流の貴族たりうるのだ。


 ――瞬間、鐘が鳴った。ヘクティアル家当主の帰還を告げる鐘。


 暫定的とはいえ、今はヴァレットが当主として扱われている。となれば、彼女がレーベックから戻ったのだろう。


 丁度良かった。ヴァレットと、傍らにいる異形とやらの顔を見ておく必要があった。


「用意なさい。本邸へ向かいます。挨拶に参りましょう――本家の跡継ぎに」

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