第十六話『武芸者の心』
「その、ヴァレット殿――いいえ、ヘクティアル公爵とお呼びした方がよろしいでしょうか」
「好きに呼んでくれて構わないわ。私も好きに呼びましょう、アニス。別に敬語で話す必要もなくってよ。ここは私的な場所で、私と貴方は大して年齢も変わらないのだから」
湖畔都市レーベックでの大騒動から、一夜が明けた。
流石に本邸に帰るには時間が遅くなりすぎたし、バイコーンを隠蔽する手間もあった。仕方なく御者にも連絡をやって、一晩は都市の宿に泊まる手はずになったわけだ。
それにヴァレットは、わざとらしくこうも言った。
――私がいない方が、お母さまもやりやすいでしょう。
まるで挑発に似た口調だったが、間違いではない。ヴァレットは未だ、自分が闘争状態であると確認し続けている。
最悪なのは、その相手が実の母親だというだけ。
その為にお互いに権勢を見せつけたり、隙を作ったりと騙し合っている。最高に愉快な親子だ事で。
当然、皮肉だが。
「んん――では、ヴァレット殿と。失礼かもしれんが、己はこちらの方が座りが良い。そちらの異形殿は?」
「異形殿は嫌だな。グリフ殿にしてくれ」
だがそのお陰で、武芸者アニス=アールビアノと出会う事も出来た。
場所は都市レーベックの中でも多少は値が張る宿屋だ。少なくとも、隣人に会話を盗み聞きされるような真似は起きない。
「ではこの度は、改めて感謝を。己の不始末がこのような事になるとは」
言って、アニスはヴァレットに向け深々と頭を下げる。
同じ宿に泊まる手配はしたものの、昨晩は双方ともに疲労していたし、早々に寝付いてしまった。思えば正面からまともに言葉を交わすのはこれが初めてだ。
「本当ならば、せめてものお礼として宿代をお出ししたかったのだが……その、己は今持ち合わせが……」
「構わなくてよ。領民を守るのは領主たる私のつとめですもの。お礼を言われるような事ではないわ」
ヴァレットの隣で、魔力の外殻を纏いながら思う。
先ほどから落ち着かないように髪の毛を弄る仕草。何時もより浮ついた声色。
――どうやら我がご主人は相当に喜んでいるようだった。
感謝をされる、といったような経験が薄すぎて舞い上がっているらしい。必死に隠そうとしているようだが、即座に分かるレベルの擬態で色々と心配になる。
「いや、それでも。魔性たるバイコーンに立ち向かったのは、ヴァレット殿の勇気そのものだろう。己はこれでも、勇気の価値を多少は知っているつもりだ」
アニスもまた、心配になるほどの実直な人間だった。
勇気には賞賛を。恩には礼を。彼女の構成要素として、これ以上のものはないのだろう。
「え、ええ。ん、んぅ……と、ところでアニスは、何時もあんな危ない真似をしてまわっているわけ?」
耳を赤く染めながら、ヴァレットは視線を逸らして腰かけたベッドに軽く沈み込んだ。
話の替え方が下手すぎる。しかしアニスはすぐに頷いて答えた。
「無論。己は武芸者。日々、鍛錬を積み力をつける事こそ喜び! 諸国を回り、腕試しの場を見つけては挑み――!」
アニスはヴァレットよりも突き出た胸を張りながら、自らの愛刀を手にもって強く語る。
言葉には力が漲り、自信満々という様相だったのだが。
「――そうして、その……あのように、度々、いいや時折……なってしまうというか」
しかしそれも即座に萎む。紫の頭髪が、彼女の感情を言い表すかのようにぺたりと垂れさがっていった。こいつこんなに面白い性格だったのか。
アニスが言うのは、間違いなく彼女の渾身たる『金色一閃』がもたらした結果だろう。
『金色一閃』はこちらの攻撃力を最大まで底上げし、その上相手の防御力を貫通する至高の一撃。しかしその代わりに命中性能は大幅に低減――何と命中率はおおよそ15%だ。
しかもAIの仕様上、ゲーム内の彼女は『金色一閃』を連発する。
通常プレイならまず使用しないピーキーキャラクター。
「お、落ち込んでどうするのよ。別に何時もあの調子というわけじゃないんでしょう?」
「だが……真の武芸者ならば、あの程度の攻撃は当ててしかるべきだ。己は未熟さゆえに、ただ技を放つ事しか出来ない。ゆえに、ただ流浪の旅を続けるのみだ」
アニスは悄然とした様子を見せながら、両肩を落とす。
そこにはバイコーンを前にした時の勇ましさや自信に満ちた表情は全くなかった。まるでただ落ち込んだ少女が、俯いているだけにも見える。
話を切り出すのならば、このタイミングだろう。言葉を選びながら、口を開く。
「……とすると、君は士官先を探してるのか? それなら、色々と手助けして欲しい事もあるんだが」
どんよりと落ち込んだ空気を一掃するように言った。
アニスはゲーム上ならば、比較的味方に引き入れやすいキャラクターだ。一定の勢力を確保した状態で出会えば、それだけで条件を満たす。
今のヴァレットならば、十分だと思ったのだが。
「己の手を?」
アニスは怪訝な表情で俺を見つめ返す。
その表情に何処か緊張感があったのは、やはり魔力の外殻によって作成した身体や顔つきが現地人からは奇妙に映る所為だろう。
馬車の御者もそうだったが、どうも今の俺の顔つきは威圧的というか、魔性めいて見えているらしい。
「そうね。レーベックに来たのは、グリフが人手を求めての事だったから。貴方が手助けしてくれるなら、私も嬉しいのだけれど」
そういえば、どうして貴方は彼女の事を知っていたのかしら。
ヴァレットからの視線が突き刺さって来るが、完璧に無視した。ゲーム絡みの話は説明しすぎると面倒だし、彼女が知って良い事は何一つない。ますます視線が鋭くなっている気もするが、気のせいだ。
「ヴァレット――ヘクティアル公爵は立場上、多数から命を狙われる。少しでも武芸者を集めたい。君が来てくれれば非常に助かる」
それは直球とも言える勧誘の言葉だった。アニスは瞳を大きくして一瞬の逡巡を見せたが、すぐに言葉を継いだ。
顔つきは、厳粛とさえ言える雰囲気を纏っている。
「――大変有難い言葉だが、遠慮させて貰おう」
「……残念ね」
ヴァレットがぽつりと漏らす。途端、慌てたようにアニスが両手を軽く振った。
「か、勘違いしないで欲しいが、嫌というわけではない! 本当に有難いとも思っている! ただただ……己がまだ未熟すぎるだけの話だ」
大きく口を開いて言った所で、アニスは瞼を半分閉じた。
まるで腹の底にある悲痛なものを絞り出すような様子。
「己は、誰もが認める武芸者となりたい。万人が喝采するような者になりたい。そうなって初めて、士官の道に進みたいと思う。偶然の縁あって迎えられるのではなく、アニス=アールビアノを望まれて迎えられたいのだ! それには、今の己はまだまだ足りない」
それはまるで、光り輝く理想の如き夢だった。情熱が燃え滾り、魂ごと燃やし尽くしてしまいそうなそれ。
俺だけではなく、ヴァレットも虚を突かれたようだったが、すぐに彼女は笑みを浮かべた。
決して嘲笑ではなく、眩いものを見るような目つきだった。
「ふふふ、そう。なら仕方ないわね。無理に誘う真似は出来ないわ。ならもっと実力をつけた時に、改めてお誘いしましょうか」
「うむ。是非誘って欲しい。その時は引く手あまたかもしれないがな」
不思議なものだった。二人は初対面で、生まれも境遇も全く違うのに、何処か通じるものがあったらしい。
言語化する事は出来ず、しかしなくとも伝わる感情。きっと二人にとって、この邂逅は価値があったのだ。
無論、俺としては当てが外れて困った限りなのだが。今後デジレとの対立を見据えれば、ピーキーとはいえアニスの性能は惜しい。
もう少し、交渉を長引かせられないか。そう思った頃合いだった。
宿屋の外から、ざわついた響きが室内に届く。昨日のようなバカ騒ぎでない。厳かで、何か期待に満ちたような音。しかもその音はどんどんと大きさを増していった。
「……随分とにぎやかだな、祭りでもするのか?」
話の流れを変えようと、軽く切り出す。
どうやら、窓の下に多くの民衆が集まっているようだった。観察してみると、人々はまるで花道を作る様子で道の左右に分かれて中心を開けている。
「祭り、と言えば近しかろう。遠い地の貴族が出向いてくるのだからな」
当然のようにアニスが口にした。むしろ、何故知らないのかという様子さえある。反射的にヴァレットが自嘲を浮かべていた。
ヘクティアル家の膝元たる湖畔都市レーベック。そこに貴族が赴くのならヴァレットに事前連絡があってしかるべきだ。
それが無かったのか。それとも誰かの指示で、ヴァレットに敢えて情報が伏せられたのか。
恐らくは後者だろう。流浪の武芸者に過ぎないアニスが知っている事実を、本邸の連中が知らないはずがない。
ヴァレットに対する奇襲とする予定だったのだろうか。
もう一度、窓の外を見る。レーベックで最大の街道を馬車がゆったりと進んできた。ヴァレットのような寂しい様子ではなく、複数の馬車と従者らしき騎馬を引き連れた姿。
――その馬車に描かれた、三日月と剣の紋章には見覚えがあった。
「アニス、一つ聞きたいんだが」
思わず、声が漏れる。聞いてはならない気がしたが、それでも口にしてしまった。
「何処の貴族がここに来たか、知ってるか?」
アニスは今更どうしてそんな事を、と言わんばかりの様子で言った。
「無論だ。――アーリシア=リ=ヘクティアル侯爵。子供でも知っている名だぞ」




