第十三話『都市は輝きに満ちて』
がたり、ごとりと。緩やかに揺れる馬車。
公爵家特注だけあって、スプリングに重力魔法による加工が施されているのだろう。整備された街道は勿論、多少粗さが目立つ道も優雅に駆けていく。
車体を牽く馬の嘶きも、何処か品があるように感じられた。選りすぐった血統なのだろうが、俺にはその辺りは理解出来ない。
「すぅ……んぅ……」
馬車にて運ばれる我がご主人は、窓から差し込む朝日から目を背けて深い眠りについている。
無理もなかった。昨晩はヘルミナ達の襲撃にあった上、その後も殆ど眠っていないのだ。移動時間だけでも睡眠をとってくれないと困る。
――とはいえ出来る事なら、胸元に俺を抱え込んだまま寝ないで欲しかったが。
昨晩俺が単独で行動した事は、相当ヴァレットの機嫌を損ねたらしい。寝ている間に従士が出歩くなどあり得ないと、唇を尖らせてお怒りだった。
その所為だろう。やけに強い力で抱きしめられて身動き一つ出来やしない。別に俺だって好きで出歩いたわけではないというのに。
そんな状態が、一時間以上も続いた後の事だった。
「ヴァレット、そろそろ到着だ。流石に起きてくれ」
眠りこけたご主人様に声をかける。今、馬車内にいるのは俺とヴァレットだけ。流石に御者にまで声が届く心配はない。
ヴァレットは暫く目をぱちぱちとさせたり、指先を軽く握ったりしていたが、眩しい日差しを前にようやくお目覚めになった。
「あら。今度はいなくならなかったのね。殊勝な心掛けじゃない、グリフ」
「……お褒めに預かり光栄だ」
明らかな皮肉だった。
こいつ中々言うようになってきたな。遠慮というものが掻き消えている。
「良い? 今日は私の初めての視察よ。昨日みたいな真似をすれば許さないわ。従士としての役目を果たしなさい」
ヴァレットは言いながら窓へと視線を向けた。
まだ遠くに見える美しい湖畔が朝日を反射し、そこに連なる街並みを輝かせている。
湖畔都市レーベック。ヘクティアル公爵家が領有する都市の一つ。その中でもヘクティアルの本邸から最も近い、言わばお膝元だ。
ヘクティアル家の庇護を受ける都市は無数に存在するが、その中でも随一の美しさを誇り、旅人も絶えない――そんな設定の都市だ。
本来、領主たるヴァレットの視察とあらば大勢の従者や護衛を引き連れて、絢爛たる様子を見せつけるのが相場。それこそがヘクティアル家の権勢を維持する事にも繋がる。
だが、今日は寂しくたった一台の馬車。それも出向くのは俺とヴァレットのみ。
「お母さまも、そろそろ動きを見せる頃合いだとは思うけれど」
理由は明快。ヴァレットはヘクティアル家当主という地位にあるが、その権力をまだ確立しきっていない。ヘクティアル公爵領の配下にある諸侯も、旗色は未だ不鮮明。
特に分家筆頭のリ=ヘクティアル家はまだ使者一人を寄こしたのみ。異郷者クランたる異郷旅団は敵に回り、天霊教の立ち位置も曖昧となればヴァレットの立場はどう転んでもおかしくない。
言わばヴァレットは母たるデジレより一歩先んじはしたものの、まだ優位とは言えなかった。
まさしく、周囲は敵だらけ。よくもまぁここまで敵にばかり恵まれるものだった。
「だからこそ、実績作りを第一に動くんだろう。昨日三回は聞いた」
「あら、貴方は幾ら言っても分からないみたいだから。幾度も繰り返すのが大事かと思ったのよ。言わば思いやりね」
「そいつは有難い。俺が忘れてからもう一度言ってくれ」
ヴァレットに抱きしめられながら嫌味を聞き続けている間、湖畔都市レーベックがぐんと近づいてくる。魔導書の身でも、湖畔近くの清々しい空気の感触が分かった。
馬車は都市外壁のすぐ近くで脚を停める。
「……こちらでございます。ご領主様、どうぞお気を付けて」
御者は恐縮しきった様子で車体のドアを開いた。その前に俺も魔力の外殻を纏い、あくまで彼女の従士として振舞う。御者が俺の顔をみてびくりとした所を見るに、随分と怖い様子の擬態になっているらしい。
「ご苦労様。今日一日、視察をしてきます。貴方はここで待機している事」
御者に言いながら、ヴァレットは軽くフードを被って顔を隠す。
本来ならば華々しいはずの都市の視察が、まるでお忍びと言って良い様子だった。
この様子一つが、彼女を取り巻く状況の危うさを語っている。彼女にはどうしようもなく味方がいなかった。よく数えたとして、俺とメイドのリザ二人では話にもならない。
「ヴァレット。ここの市長は君側についてくれそうなのかね」
わざわざヴァレットが都市レーベックまで出向いた理由は二つ。
一つは、先ほど言った通りに領主としての実績作り。些細でも、本邸に引きこもっているよりはずっとマシだ。
もう一つは、味方作り。都市統治を領主から委任されている市長は、一都市のみに限定するなら強大な影響力を持つ。ヘクティアル家のお膝元であるレーベック市長を味方につけるのは、当主としての正当性を強調する事にもなる。
是が非でも味方に引き入れたい所だが――。
「――難しいでしょうね。お母さまとは随分前から仲良くしていたみたいだから」
ヴァレットは大して期待もしていないように言った。俺の前を歩く姿は、堂々としていながらも何処か寂しい。彼女は領主として振舞いつつ、この世に自分の味方などいないのだと諦めている節があった。
どうせ自分に味方などいないし、出来る事はない。
孤独すぎる年月が彼女の心の底を昏く凍てつかせ、すっかり自信を失わせている。
「視察を無事終えるだけでも一つの成果よ。気楽にいきましょう」
ヴァレットは俺を振り向き、薄い笑みを浮かべて見せた。俺を気遣ってる場合かよ。
隣を歩くようにしながら、なるべく口調を明るくして言う。
「実を言うと、味方に引き入れる相手に関しては俺にも幾つか当てがある。色々と寄らせてくれ」
嘘ではない。レーベックはゲームの攻略上も重要な都市だ。複数の有力キャラクターがこの都市を訪れるはずだが、その情報は全て俺の頭に入っている。
上手くやれば、ヴァレットの味方になってくれる可能性もある。
しかし彼女は胡散臭そうに目元を半分閉じながら言う。
「味方の当て? ……まさか別の魔導書とか言わないわよね」
「残念ながら本の知り合いはいない」
とはいえ、上手くいく可能性は非常に低い。ゲームの時とは違い、キャラクターが現われるまで都市を行脚する真似は出来ないのだ。足取りもやや重くなる。
そんな俺達の気持ちを全く無視するように、都市レーベックは活気に満ちていた。
商人の馬車は次から次へと街道を行き来するし、食い物の屋台は勿論、見世物小屋が幾つも出ている。
日常に必須でないものに金が回っているのは、都市に余裕がある証拠だ。
「グリフ、グリフ。これ見て見なさい。魔法でもないのに人形が踊ってるわ……!」
「……魔法がかかってない人形がそんなに面白いか? 絶対にこっちの魔法人形の方が面白いぞ」
そんな活気の中を歩き回っているからか、何時しかヴァレットの歩みも多少の軽さを持つようになってきた。
思えば、生まれてから十七年。殆どヘクティアル邸で軟禁状態にあったのだ。都市を自由に歩き回れる事なぞ初めてだろう。
糸で自由自在に動き回る人形を見て目を輝かせる姿を見ると、まるで年相応の少女のようだった。
「どうですお嬢様。今ならこの人形が銀貨一枚ですが」
「グリフ、グリフ。これ安いじゃない。良くってよ、貰おうかしら!」
「待て、高い!? 銀貨一枚の価値分かってないだろう君!」
銅貨一枚にまで値下げさせ、ヴァレットお望みの人形を手に入れる。
公爵家の紋章こそ掲げていないものの、どう考えても場慣れしていない彼女は良いカモだ。名家のお嬢様がお忍びで遊びに来ていると思われているのか。次から次へと高値でものを売りつけられそうになる。
そんなものだから、視察が昼を迎える頃には俺の両手は彼女が買った荷物で一杯になっていた。
「……次は魔法薬店に寄って良いか?」
「良いけれど。貴方、自分の趣味で店を回ってるわけじゃないわよね」
「一応考えがある。それに、買い物をしてるのは君だけだろう」
「そんな事ないわよ。しっかりと、領主の義務として視察をしているもの!」
それが本音である事を願う。頬が露骨に釣り上がっているし、明らかに都市観光を楽しんでいるとか思ってはいけない。
しかし、彼女がこういった少女らしい姿を見せるのは望ましい事ではある。
こうしていると、彼女が破滅を引き起こす絶対悪だなんて誰にも思えないだろうに。本当に、彼女はただの少女に過ぎない。そのはずだ。
異郷者の連中は、ゲームの情報を鵜呑みにしているに過ぎない。俺はそう信じる。
――ただ残念な事に、ほぼ丸一日レーベックを回って得られた成果は、そんなヴァレットが楽しむ姿と、雑多な荷物だけだった。
俺が期待していたキャラクターには一人も出会えず、市長との面談も出来ずじまい。元々、市長にしても今出会って旗色を鮮明にしたくないのだろう。
「良いのよ、視察としては十分でしょう。敵対されず良かった、と考えましょう」
俺に存分に荷物を持たせながらヴァレットは言った。実際、もう夕方と言って良い時間帯だ。馬車に戻るには良い頃合いだろう。
トラブルが無かった分、マシと言えばその通りだ。
「――さぁさぁ! 我がクランの入団試験だ! この魔性を倒す事が出来れば入団を確約してやる! 準備金は銀貨一枚!」
帰り際、都市の中央部にひと際注目を集めている場所があった。
それはクラン――いわゆる冒険者集団の入団試験を装った見世物だ。
アテルドミナには異郷者のみならず、数多の現地人がクランをなして冒険者稼業についている。その稼業が幅広く成立する理由はただ一つ。
「グリフ。あれって」
「……本物の魔性だな。危険な真似をするもんだ」
魔性。そう呼ばれる存在が、現実としてこの世界に息づいているからだ。
ゴブリンやインプ、オーガ、ゴーレム。かつて魔女が氾濫させた魔力によって生まれた悪しき者達。魔女が失われた今もなお、彼らはこの大地に蔓延っている。
そんな彼らを討滅し、魔力が満ちた貴重な肉や牙、皮を手に入れるのが冒険者の生業だ。
「おい、そう暴れるな。痛くないように殺してやるからよ――ッ」
「――ガァ! ギァァア!」
広場の中心。クランの連中が作ったのだろう鉄の囲いの中に、一匹の魔性と巨躯の男が立っている。簡易の闘技場というわけだ。
魔性は馬を一回り大きくしたような肢体をしているが、身体は驚くほどに黒い。そうして額には、惚れ惚れするような曲線を描く二本の角。
――二角獣バイコーン。
一角獣ユニコーンの対となる存在で、聖なる者より魔女に近しい存在を好むとされる。
捕獲に三十レベルは必要な魔性。ミドルクラスと呼んで良いレベル帯で、高い金を出して自らの持ち馬にする貴族もいる。現地人のクランがどうやって捕まえたのか想像もつかない。
それにこれは入団試験というより。
「はいはい、試験料は銅貨三枚だ! 試験料さえ払えばだれが受けても構わない! 入団試験に通れば準備金として銀貨一枚を与えよう!」
典型的な金集めだ。バイコーンは見た目こそ馬とそう変わりないが、力自慢が何とか出来る相手じゃない。力量が分からない奴ほど、準備金につられて金を吐き出す仕組みというわけだ。
「が、ぁあ゛!? 腕が、腕がぁ!?」
案の定。先ほどまで自信満々だった男は、バイコーンの蹴りで腕をねじ切られちまった。
すぐ傍で控えていた治療師から治癒を受けているが、あれも有料だろう。上手い商売を思いつくもんだ。
「……嫌な商売をするものね。好きにはなれないわ」
ぽつりと、ヴァレットが聞こえない程度の声で言った。
「まぁ、騙される方も騙される方だが」
欲をかいて、怪我をするのは本人の責任だ。そう言ったつもりだったが、ヴァレットは軽く首を横に振って言う。
「あの子よ。嫌になるでしょう。見世物扱いどころか、誰も彼もが敵だらけなんて」
「……もしかしてバイコーンの話か」
「それ以外にある?」
一瞬、ヴァレットの意図が掴めず聞き返す。確かに、バイコーンからすりゃ人間に捕まって殺し合いを続けさせられるなんてたまったものじゃないだろうが。
まさか、そちらに感情移入するとは思わなかった。
「下手に手出ししようと思わないでくれよ。曲がりなりにもクランの所有物だ。領主が手を出したなんて話になったら、一気に悪評が広まる」
「理解してるわよ。だから嫌になるって言ってるの」
ヴァレットが、あからさまな嫌悪をローブの下に見せながら、もう行きましょうか。そう言った瞬間だった。
「挑戦者は敗北。ならば次は、己が挑戦しても良いという事だな」
男の痛みを訴える声や、観衆の野次、悲鳴を切り裂くようにしてその女はそこにいた。
一瞬、目を疑って。視線が固まる。
腰には一本の反り返った長剣――即ち刀と呼ばれる特殊武装。
やや特徴的な口調に、和をイメージしたかのような装束。
間違いがなかった。こいつは。
「ならば! この偉大なる英雄の子孫! アニス=アールビアノがお相手しよう!」
現地人の有力なネームドキャラクター。
湖畔都市レーベック近辺に出現し、腕試しを繰り返す厄介者にしてトラブルメイカー。ピーキーな能力で、プレイヤーからは忌避される存在。
だが彼女こそは――俺が捜していたキャラクターの一人であった。




