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第十二話『破滅の君』

「それで、どういうわけかしら。深夜に客人を呼んだ覚えはないのだけれど」


 我がご主人――ヴァレット=ヘクティアルはネグリジェを身に纏わせたまま、しかし堂々とした振る舞いで廊下を歩く。


 傍らにはリザが控え、彼女は何処から持ち出したのかフライパンを両手で掲げていた。良し、返してこい。


「ヴァレット。これは」


「黙りなさいグリフ。私、貴方に客人を案内しろと言った覚えもないわ」


「……仰る通りで」


 ヴァレットは怒りを露わに、狂暴という以外に表しようのない表情で言う。


 三名の侵入者よりも、俺が勝手な行動をとった事にお怒りに見える。何故だ。もっと侵入者側に怒れよ。


「ヴァレット公女。いや、今はヘクティアル公爵か。知ってる印象とは随分違うね」


 侵入者の一人。『戦場看護師』メロンが、具足を軽く鳴らして言う。


 実際、ヴァレットがゲーム上で頭角を露わすのはまだまだ先だ。彼女がヘクティアル公爵として世界の脅威となるのは、それこそ当主としての地盤を固め――絶対悪としての産声をあげる頃。


 まぁ俺を睨みつける瞳はすでにその片鱗を見せているとも言えるが。


「それで、貴方達。異郷旅団の方々よね。これはこの私に対する敵対行為と捉えて良いのかしら」


 ヴァレットは俺の隣にまで歩いてきながら、値踏みするように言った。


 ヘルミナ、ズシャータ、メロン。全員をじろりと視線で一舐めする。


 ここにズシャータ一人だけだったならば、彼はまだ政治の延長を続けたかもしれない。


 だが。


「――はい。ヴァレット=ヘクティアル公爵。少なくともぉ、私達は貴方の味方にはなりません」


 前に出るヘルミナが、はっきりとそう主張した。先ほどまで明確に見せた闘争心はやや薄れ、冷静さを取り戻している。誤魔化しは意味をなさないと判断したのだろう。


 それもそうだった。異郷者三人を含め、俺に襲い掛かって来た襲撃者がいる。これだけの人数で深夜に押しかけておいて、下手に誤魔化すのは意味がない。


「そう。なら仕方がないわね。グリフ」


 呼びかけながら、ヴァレットが俺の肩に手を置いた。


 本来ならば、俺の本体を彼らに知られるべきではない。ズシャータと同様、まだ奇襲に使える可能性だってある。


 しかし、異郷者がこうも揃い踏みなら話は別だ。


 敵対戦力に対しては、それを超越する戦力を配置しなくてはならない。それが戦闘における絶対条件。


「優しく扱ってくれよ、ヴァレット」


「あら、私が手荒に貴方を扱った事はないでしょう」


 言いながら、俺は魔力の外殻を解除する。影の如き人型が消え去り、そのまま俺はヴァレットの手の中――アイテムたる大魔導書グリフに変貌する。


 俺もヴァレットも、単独では彼女らに勝利し得ない。しかし、互いが揃ったのなら話は別だった。


 余り手の内は見せたくないが。贅沢は言っていられない。


「……大魔導書グリフにこんな設定があったのは初めて知ったな。あんたらはどうだ」


 ズシャータの問いかけに、ヘルミナとメロンが無言で首を横に振る。


 そりゃそうだ。俺達の誰も、大魔導書グリフに変な設定は付与しちゃいない。むしろ今こうして、意志がある方がおかしいんだ。


「しかし、それなら納得できますねぇ。使い魔でも化身でもなく、魔導を使う魔性。いいえ、霊性ですかぁ」


「隠し要素が多いからね、この世界。もしかしたら未実装要素かも。知らないけどさ」


 まるでイベントを攻略するかのような異郷者達の会話。


 それを踏みつぶす様子でヴァレットは言った。


「あら、御託はその程度でよろしくて? もう、私の敵になる覚悟なのでしょう」


 ヴァレットの全身を魔力が巡り、彼女がヘクティアル家当主である事を示す紋章がその背筋で輝いている。


 魔導の準備が完了した証であった。ヴァレットの狂乱魔導は、使いようによっては異郷者三人を相手にしても十分戦いになる。


 だからこその、規格外。だからこその、魔導。


 しかし――その様子を見たヘルミナはその場で両手のレイピアを鞘にしまい込んだ。軽やかな手さばきは、まるで舞台を演じているかのよう。


「いいえ。今日は撤退しましょう。ズシャータさんも傷ついちゃってますし。貴女の紋章が定着した以上、ここで戦うのは危険ですからぁ」


 ヘルミナは完全に冷静さを取り戻していた。


 瞳は眠たげな様子に戻り、柔らかな口調は意志を薄めている。恐らくは彼女がパーティのリーダーなのだろう。メロンもズシャータも、それに反対する様子を見せない。


 紋章――アテルドミナにおいては、国家や領主の証となるものでもあり、力の象徴とも言える。


 紋章の持ち手は自らの支配領域から魔力を汲み上げる事を許され、耐久力にせよ魔力にせよ、その基礎能力を飛躍的に高める事になるからだ。


 領主が紋章を失う事。それは即ち死を意味する。生命としても、統治者としても。だからこそ彼女らは、自らの命よりも紋章を貴び、子孫へと継承する。


 それこそが、この世界における統治者の在り方だった。


「あら、公爵家の邸宅に侵入しておきながら、あっさりと逃げ切れるとでも思っているのかしら」


 ヴァレットは眦をつりあげて口調を強める。内心は不安だろうに、大した役者ぶりだ。


 こういう点においては、俺よりもヴァレットの方が遥かに優れている。


「ええ。私達、異郷者には幾らでも手がありますのでぇ。それは、そちらのグリフさんがよくご存じなのでは?」


「……大魔導書だからな、多少の事は知ってるとも。少なくとも君よりはな」


 ヘルミナが、やや頬をひくつかせたのが見えた。ヴァレットよりこちらに意識をひきつけようとしたのだが、流石に露骨すぎたか。


 ヘルミナはわなわなと手元を震わせながら言う。

 

「……最後に一つだけお伺いしたいんですがぁ、その大魔導書を私達に渡す気はありませんか? 正式な譲渡契約を結んだ上で、ですがぁ」


「渡すわけないでしょう、私の従士なのだから」


「残念ですねぇ」


 最初からヘルミナも期待していなかったのだろう。大して残念と思っていない様子で軽く靴を鳴らした。これ以上、ここに留まる気はないというようだった。


「ですが、お気をつけくださいねぇ。貴女は――誰でもない、その大魔導書によって破滅するんですから」


 それこそ、本来の歴史では。ヘルミナはそう付け加えながら、俺へと視線を向けた。


 今の言葉はヴァレットへの忠告ではなく、俺への当てつけだったのだろう。


 ――ゲーム上の歴史において、ヴァレット=ヘクティアルは『俺』を持ち続ける事で、その魔力に侵されて魔女の化身へとなり果てる。


 絶対悪や大悪霊と呼ばれるのは、その後の事だ。無論、そうならないルートもあるが、条件は極めて厳しい。


「俺がそんなヘマをするかよ。上手くやるさ」


「それなら良いんですがぁ。メロンさん、お願いしますね」


「あいよ」


 ヘルミナは俺達にさっさと背中を見せて、もう相手にする気はないと告げている。


「待ちなさい――!」


 ヴァレットが、その背中に向けて腕を伸ばした瞬間だった。


 メロンが腕の具足を軽く鳴らす。魔法詠唱ではなく、解除の合図。


 瞬間、彼女が展開したのだろう結界が消え失せた。それと同時に、彼女らの姿もなくなっている。俺の糸に囚われていたはずの侵入者たちもだ。


 結界とは、魔力で現実に複写されたもう一つの現実。解除されれば、内部で発生した事象を完全に元に戻してしまう。


 生き物はその対象にならないはずだが、恐らく自分達の座標を別の場所に固定していたのだろう。結界を解除したと同時に、その場所へ帰還したのだ。


 上手い使い方だな。こんなやり方、俺も思いついてなかった。


「……相変わらず、異郷者は意味がわからないでありますね、オジョーサマ。それに、グリフサマは何処に……?」


 リザが恐る恐るといった様子でフライパンをおろしながら言う。


 彼女にとってみれば、目の前で起きた事実全てが信じがたい事だろう。異郷者が即座に消えた事も、俺が本となってヴァレットの手元に収まった事も。

 

「そうね。深夜に訪問するなんて、不躾にもほどがあるわ」


 ヴァレットはリザの前だからだろうか。まだ余裕を見せながら、両肩を落とす。


 しかしその全身からは、明らかな消耗が伝わって来た。


「少し疲れたわ。リザ、紅茶をいれてくれるかしら。よく温めたものをね」


「かしこまりました、オジョーサマ!」


 深夜だというのに、ヴァレットが一言いうとリザは元気よくフライパンを持ったまま廊下を飛び出していく。


 フライパンを持ったまま夜の廊下を走る姿は不審者としか思えない。彼女が警備兵に捕まらない事を祈るばかりだ。


「しかし、よくこっちに気づいたな。結界の中だと音はそう響かないはずだが」


 リザが遠ざかった事を確認してから、声を響かせる。流石に外殻の展開はやめだ。俺ももう疲れた。


「リザが起こしてくれたのよ。フライパンを鳴らしてね」


 改めてリザの遠ざかる背中を見る。


 ズシャータの絶叫が彼女にも聞こえたのだろうか。それならば、もう少し警戒心があっても良さそうなものだが。いいや、好奇心が強いとされるナビアの人間はああいうものなのか?

 

「それはそうと、グリフ。覚悟は良いのよね」


 俺の思考を許さないとばかり、お嬢様がこんこんと表紙を叩いてくる。


「なぁ、今夜はやめようぜ。俺もお前も疲れてる。大人しくおやすみしようじゃないか」


「駄目よ。私が寝れば、また貴方が何処かにいくかもしれないでしょう」


 俺だって別に好きで出歩いていたわけじゃない。侵入者がいたから外に出ただけだ。


 だが、今のヴァレットにそんな正論は通じそうになかった。


 むしろ俺が言葉を発する度に眦を余計に強くつりあげ、迫力を強めている。


「貴方と異郷者の話を十分に聞かせて貰うまで、寝る気はしないわ。明日の視察予定が狂ったら、貴方の所為よ」


「……承知いたしました、お嬢様」


 これ以外、俺に言葉は用意されていなかった。

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