第十一話『生きるに値する世界』
匪賊がアビリティ――『虚空五撃』。
五の斬撃を虚空から放つが如く、同時に吐き出す連続攻撃アビリティ。回避するには初撃を避けるしかないが、豪速を貴ぶ匪賊相手にはまずそれが不可能だ。
魔力が練られたズシャータの脚は、驚異的な速度で俺の全身へと殺到した。
腹を起点に、頸動脈、眉間、心臓、鳩尾――悉く急所を狙い打っている。
敵を撃退するのではなく、確実に抹殺するためのアビリティ行使。間違いなく、匪賊としての戦闘だった。
「あんたが何者か知りゃあしねぇが。敵なら死んで貰うしかねぇわなぁ」
ズシャータは満足げに呟いた。罪悪感など欠片もない、獣としての充足感を満たした言葉。戦闘でしか満たせない欲求が彼を喜ばせている。
先ほどまでの理性的な様子は、彼にとっては日常生活を送る上での演技に過ぎないのだろう。この様子こそが、匪賊に選ばれる適性こそが、彼の本質。
全身から魔力が零れるのを感じながら、思う。
相手が彼で良かった。心の底からそう感じていた。
俺はヴァレットの前でこそ見栄を張ってみせるが、実際は小心者だ。彼女の方がよほど豪胆に違いない。
だから、最後の最後まで迷っていた。
ズシャータを、同郷者を――本当に攻撃するのか? それも死ぬかもしれないと知りながら?
しかし彼は、その一線を軽々しく飛び越えてくれた。
本当に、彼で良かった。
「――冗談だろ」
俺の身体がぬるりと動くのを見ながら、ズシャータは言った。まるで化物でも見るような目だった。
心外だ。俺は正真正銘、人間だぞ。肉体がちょっと魔力で出来ていて、本体が身体の隅に避難させていた魔導書というだけだ。
「ズシャータ。君は現実主義者だ、きっと現実的には君の方が正しい」
俺の身体――『魔力の外殻』に片脚を突っ込んだままの彼に向かって言う。
「だが俺は理想主義者らしい。俺が出会った当時のヴァレットは十二歳、ガキにもほどがある」
そう、たった十二歳だった。彼女はまだ幼いと言っても差し支えのない年頃で、存分に両親から愛を受け取って良いはずの少女だった。
ズシャータが、俺から離れようと身体を捩らせる。
しかし、離さない。この身体は魔力の塊だ。その中に入って来た奴を、逃すはずがない。
「んだ……これはよぉッ! てめぇは、何なんだよ!? わけがわからねぇ!」
乱暴に振り上げられるもう片方の脚刃ものみ込みながら、ゆっくりと口にする。
「彼女は毎晩、祈っていたぜ。明日、目覚める前に、安らかに死んでいますようにってな」
この世界が――俺達が作ったアテルドミナが、そんな世界であって良いはずがない。
俺達はそんな様を見せるために、この世界を造ったわけじゃあないはずだ。であればこそ、俺は常に彼女に反駁する。
この世界は敵ばかりではなく、味方があり。絶望ばかりではなく、希望があり。
生きるに値する世界なのだと。
全身の魔力を高速で循環させる。本来は体内に埋まっているはずの魔力が、剥きだしとなってズシャータの体表を駆け巡る。
「『ゆえに』『君らは一切の疑問なく』『焼き払われるべきなのだ』――魔導展開『燃え落ちる唾液』」
詠唱の終わりとともに、魔力の外殻が音を立てながら焼け爛れた。静かに、しかして確かな殺意をもって粘液のような炎はズシャータを巻き込む。
決して逃がさぬように。決して生かさぬように。
「ァギ――ァァアアアアア゛ア゛ッッ!」
かつて呵責の魔女アラガルドが生み出し、同族を殺し回った殺意を基とする魔導。
効果範囲は決して広くなく。手の届く範囲にしか顕現出来ない。その割に、必要となる魔力は森一つを焼き滅ぼすほどの量。
まさしく凝縮された魔女の憤怒であり、殺意であった。
如何にズシャータが俊敏さを誇る匪賊とはいえ、自らの身体に絡まる炎からは逃げようがない。
その喉が焼け落ちるほどの勢いで絶叫が響き渡った。魔法士が造り上げた結界の中では、嫌になるほど耳に残る。
いや、耳なんてないんだが。そこは感覚ってものさ。
再び魔導書を中心に魔力の外殻を纏い、絶叫をあげるズシャータを見ながら言う。
「グ、ァ、ガ、ガァァア゛――!」
「しぶといな。『耐久力』の概念が生きてるのか?」
普通ならば、一瞬で消し炭になるほどの火力。だというのにズシャータはもう十秒以上も『燃え落ちる唾液』に耐えている。
明らかに人間の限界を超えていた。異郷者、というだけでは説明はつかない。
まず間違いなく、ゲーム『アテルドミナ』における『耐久力』の概念を引き継いでいるのだろう。
ゲームである以上、リアリティを求めすぎてはゲームが成り立たない。この世界の住人は、レベルが向上する度に自身の『耐久力』や『魔力』などといった基礎能力値を上積みし、生命の限界値を引き延ばしていく。
ズシャータの様子を見ていると、現実のように見える今の世界でも、その前提は崩れないらしかった。
奇妙なものだった。
目に見えるものも、生きている人々も間違いなく本物なのに。所々で作り物のようなチープさが見て取れる。
この世界は、本当に何なんだ?
そんな、疑問を抱いた瞬間だった。ズシャータがもう十数秒もすれば燃え尽きたであろうタイミング。
ピコン、と場違いな音がなる。
――他の異郷者と接触しました。
最悪だった。
彼らは、手を緩めてなどいなかった。ただただ、ズシャータが先行して前にいただけだ。
それにもっと最悪なのは。
ピコン。
続けざまに音が鳴ったのだ。
――他の異郷者と接触しました。
二度の音が象徴するように、廊下の奥で二つの閃光が跳ねた。どちらもが人間離れした熱量を放っている。
一人は、問いかけるまでもない。
「はぁ、もう。先走るからそうなるんですよ~」
闇夜の中でも輝く吸い込まれそうな蒼い瞳。両肩で留めた短めの赤いマントが、月明かりに照らされている。
『闘争請負人』ヘルミナは恐ろしいほどの鋭さでズシャータとの間合いを詰め、逡巡なく二振りのレイピアを振るった。ズシャータの連撃とは異なる、機械のような精密さ。
レイピアの切っ先は、その鋭さで以てズシャータが身に纏った炎を斬り裂いていく。
無論、『燃え落ちる唾液』はそれほどに容易く抜け出せる魔導ではない。かつて世界に君臨した魔女たちが、生涯をともにした魔導はそれほどに弱くない。
「……無茶苦茶やってやがる」
だからこそ――ヘルミナは、内部のズシャータもろとも斬り裂いていた。刺し貫く事が専門のはずのレイピアが、彼女の手元ではまるで肉切り包丁のような鋭さだ。
「はいはい。ちょいと御免よ」
標的ごと裂かれて、宙をうねる炎とズシャータの血液。凄惨な雨とも言える最中を、両手を握りながら駆けつけて来る姿があった。
全身は白を基調にした看護服。しかし両手両足は鉄の具足で固め、輝く両目には特徴的な十字が浮かんでいる。
咄嗟に視線をやれば、すぐにそいつのステータスが目に見えた。
――『戦場看護師』マサカリ=メロン。ジョブ『魔法士』。三十五レベル。
変わった名前の奴だ。
彼女は戦場看護師の名に負けない勢いで血を浴びながら、彼女は両手で炎からズシャータを奪還する。
それと同時に息をつかせぬ勢いのまま、メロンは具足を嵌めた両拳を叩きつけ合った。
最悪だ、あの装備は。
「短縮詠唱――アビリティ発令『救命看護』。死んじゃ困るよ、ズ・シャータ」
独特な発音でズシャータを呼びながら、メロンは即座に魔法アビリティを発令する。
本来は魔法も魔導と同じく詠唱が必要だ。だが特定の装備は使用するだけで刻み込まれた魔法を発令させる。
一つの装備に刻み込める呪文は一つ。とはいえ、戦闘中に無詠唱で呪文が使える利便性は計り知れない。それ一つで戦局が大きく様変わりする事だってある。
たとえば、今この時のように。
「が、はっ! ヘル、ミナ! ふっ、ざけた事……!」
「助けてあげたんだから良いでしょ~。本当に死んじゃう所だったんですよぉ。それにぃ」
ズシャータは『救命看護』により全身の火傷を治療され、逆に『燃え落ちる唾液』は対象を失ったために音を立てながら消え去ってしまった。
それと同時に、俺の優勢も失われる。あっという間に一対三。
ヘルミナは言葉を切りながら、その蒼の瞳でまじまじと俺を見る。
「戦闘中なんですから、言い争いをしている場合じゃないでしょぉ。貴方も、そう思いませんか~?」
俺を推し量るように。しかしあくまで警戒は剥がさず、両手のレイピアがくるりと回る。先ほどまで炎を斬り捨てるために使われた切っ先が、今度は俺を貫くために揺れている。
不味いな。その動き一つだけでも、彼女らが連携慣れしているのに気づけた。言わばパーティだ。
ヘルミナにしろズシャータにしろ、この戦い方が本来の在り方なのだろう。
「……出来ればもう少し気軽にやってくれると助かるがね」
ヘルミナ、ズシャータ、メロン。
異郷者三人の瞳が、揃って俺を向いていた。こいつは何者か。そんな疑問に満ちている。
「魔導を使うのなら、魔女の『使い魔』か『化身』なのかね? 知らないけどさ」
メロンは両手の具足をがちゃりと鳴らしながら、ズシャータの治療から俺への警戒へと態勢を変える。
彼女もゲームをやり込んだプレイヤーなのだろう。ほぼ確信に満ちた言葉だった。設定的に言うなら、それは間違いではない。
しかし――ヘルミナが軽く首を横に振った。
「いいえ~。発生時期が早すぎますし、理性的すぎるんですよねぇ。それにぃ」
ヘルミナの瞳の色が、ぐちゃりと粘着質なものに変わる。
それは敵を見ると言うよりも、待ち望んだ獲物を見る猛禽のソレだった。
「貴方、あの夜に地下におられた方ですよねぇ」
そりゃまぁ、声で分かるわな。
キン、とヘルミナが両手のレイピアを軽く鳴らした。眠たげな眼がつりあげられ、姿勢が前傾になっていく。まるで獣の臨戦態勢。
「またすぐに会うとは思わなかったよお嬢ちゃん。顔見知りに免じて、退いてほしいんだが」
「まさか」
ヘルミナの無表情に近い頬に、笑みが浮かんでいた。それこそ実に楽しそうに、神聖な言葉でも紡ぐように言う。
「私ぃ、このゲームのファンなんですよぉ。隠し要素も、ルート分岐も、魔性の属性だって、知識なら誰にも負けないって思ってました。だから貴方に負けた時、凄く悔しかったんですよねぇ」
「ちょいと。ヘルミナ?」
メロンが戸惑ったようにヘルミナの背後から声をかけた。メロン自身、こんな彼女を見た事が無かったのだろう。しかしその声は、届かなかったらしい。
「――今度は絶対に負けませんから。私、どんな事でもあんまり負けた事とかないので」
明らかに冷静ではなく、まるで熱した鉄のような意志でヘルミナは言った。異様とも思える闘争心。これこそが、剣闘士に任じられた彼女の本質。
メロンやズシャータは困惑しながらも、彼女の後ろについている。
「熱意に満ち溢れている所、非常に申し訳ないが」
率直に言って、俺一人で異郷者三人とまともにやりあうのは無理だ。ズシャータに見せた奇襲はもう通じないだろう。
とすると、如何にして上手く彼女らに撤退頂くかだ。上等な酒でもお土産に渡してやろうか。
そんなふざけた考えを頭に浮かべた瞬間だった。
非常に苛立った、感情が爆発したような声が廊下に響く。今、一番聞きたくない声だった。
「――グリフ。貴方、主人に断らずに何をしでかしているわけ?」
後ろを振り向かずとも気配で分かった。
我がご主人様が、従僕の自分勝手な行動に憤慨なさっている。
どうしよう。逃げようかな。刹那的な欲望が、不意に頭に浮かんでいた。




