第十話『襲撃』
魔力の外殻は、鬱陶しい。全身が緊張感に満ち、一歩進むだけでも気力を奪う。
しかし、便利なのも確かだ。五年間、手も足も出なかった魔導書という身体に縛られず、やろうと思えば単独でも動ける。
事実、日が沈み、ヴァレットが寝静まった後も俺は一人で本邸内をうろつけていた。
「知られたら、間違いなくキレ倒すだろうなあいつ」
ヴァレットはどういうわけか、俺が勝手な行動をするのを嫌う。五年間ともにいたのだから、その反動かもしれない。
勿論、悪い気はしないさ。多少鋭さはあるが、美少女と言って良い相手に求められているんだ。俺だって、他の連中よりヴァレットを守りたい気持ちはある。
だが、だからこそ単独で動かなきゃいけない夜もあるものだ。
「あー……嫌だ、本当に嫌になる」
ヴァレットとの契約が正式に結ばれた事で、俺の身体には彼女の魔力が流れ込んでいる。必要以上に充足された魔力は、ある種の知覚を俺に与えていた。
とは言っても、大したものじゃない。ただ周囲の魔力の流れに敏感になる程度のもの。
その知覚が語っていた。
――周辺の魔力が静かすぎる。
本邸には大勢の人間が集っているんだ。少なくとも昨夜は、一晩中ある程度の魔力が蠢いていた。
だが今日は、生物の息遣いさえ感じさせないほどに静かだ。まるで俺とヴァレット以外に、誰もいないかのよう。
アテルドミナ世界は、かつて魔女との大戦争によってその世界全域を魔力に侵されている。彼女らが引き起こした魔力の氾濫は世界の秩序を崩し、ゴブリンやオークのような魔性を世に産み落とした。魔女が喪われた今も、その魔力は健在だ。
だからこそこの世界には魔法があり、アビリティがあり――魔女の生み出した魔導がある。生物はたとえ寝ていても、呼吸する度に魔力を全身で循環させているはず。
だというのに、廊下を軽く見渡しても魔力は静かなまま。ちょっとした揺らぎさえ見えない。
「間違いないな、こりゃ」
この現象を見て、思い当たるアビリティがあった。
ジョブ『魔法士』が使用する『結界生成』だ。魔法士は必要に応じて魔力の結界を作成し、一定レベル以下の対象の侵入を拒む事が出来る。すでに対象が結界内に存在した場合は、意識を封じた上で完全に沈黙させる――つまりは、隠密行動を前提としたアビリティ。
剣闘士ヘルミナ、匪賊ズシャータ以外にも、新たな異郷者が絡んできているという証拠。
面倒だ。昼間は味方になるみたいな事を言ってたが、結局は敵かよ。
とはいえあの後も、ヴァレットは敢えて異郷旅団に接触しようという様子は見せなかった。他の連中とも通例的な挨拶を済ませ、食事をとった後はさっさと寝てしまったからな。
結局の所、この五年間で彼女は他者を信用しきれなくなっているのだろう。仕方のない事だった。人間不信に陥るには十分な期間だ。
しかしメイドのリザだけは例外なのか、今日寝る前の準備をさせていた。今も、彼女が傍についてくれているはずだ。だからこそ、ある程度俺も自由に行動が出来る。
「……」
圧倒的な静寂の中、本邸内の魔力に揺らぎが生じた。これだけ静かなら、邸宅内の異変はすぐに感じられる。自然と空気が強張った。今はないはずの心臓が、掴み込まれた気分。
考えるまでもない。ヴァレットを害するために入り込んできた連中だ。ここの正解は、ヴァレットを叩き起こす事だろう。戦力的には間違いなくそれが正しい。
しかし。
「それは、流石になぁ」
自分自身の動揺を宥めるように口にした。
ヴァレットは疲れてるんだ。ここ数日、殺される悪夢にうなされ続けていた。昨晩だって殆ど寝れてない。今日もようやく寝付いた所。
今日もまた命を狙われたとあっては、彼女は二度と安眠できなくなる。
「なら、俺が何とかするしかないわな」
音がする。音が鳴る。音が響く。複数の足音が静かに、しかし確かに駆けて来る。ヴァレットの寝室に続くこの廊下へ。
「――」
いいやそれだけではなかった。廊下の窓が複数割れ、そこから飛び込んできた連中もいる。
音が抑えられてるからって無茶苦茶しやがって。侵入者は――都合六つ。ほぼ全員が黒ずくめだ。昨日の兵士たちほど、質は低そうじゃない。今日は手を抜いていない、という所か?
俺の姿を見ても、奴らは動きを止めなかった。素人目にも、よく訓練されていると理解出来る。
けれど、まぁ。
「君らだけなら良いんだがな」
これだけなら、俺には関係がない。これでも大魔導書だ。
ヴァレットと組んだ時ほどでなくとも、魔導はそのものが――人類の敵たる魔女専用のアビリティ。
現地人の暗殺者に遅れを取るほどじゃあない。魔力の声を響かせて、詠唱を空に乗せる。
「『如何な羽虫も』『囚われるまでは気づかぬもの』『そこに蜘蛛の糸がある事に』」
大魔導書という役割ゆえに、俺はある程度の魔導は扱える。大規模な魔力運用は出来ないが、基本の四属ならばそう苦労はしない。
「――魔導展開『拘束する風糸』」
「む――ッ!?」
ぐるりと、周辺の風が即座に形を渦を巻く。風属性の拘束魔導。魔力耐性、もしくは対抗できるだけのアビリティがなければ、それだけで身動きが取れなくなる。
かつて妖精姫の魔女パルが造り上げた拘束具。相手に気取られず、拘束し、そいつの人生を絡めとってしまうための魔導。
今回の対象は六体。しかしその全員が、間違いなくその場で動きを止めていた。恐ろしい事に、俺のすぐ傍まで近づいて来てる奴がいる。
「出来れば、君らの雇い主を正確に話してくれると助かるんだが」
手近な一人に顔を向ける。指先は勿論、詠唱を防ぐために口さえ動かせないはずだ。ただ瞳だけが動揺したように瞬いている。
本来ならこのまま本格的に拘束して、全員確保してしまう所。
しかし。
――他の異郷者と接触しました。
「そりゃまぁ、来るよな」
当然だった。以前、現地の兵士だけで失敗しているんだ。いいやそれ所か、異郷者たるヘルミナがいて尚ヴァレットを取り逃した。
更に状況が切迫した今、訓練した現地人だけを使うわけがない。必ず、異郷者を使うに決まってる。それもヘルミナ以上に、こういった事に向いている手合いだ。
出て来る異郷者が一人ならば、まだ手を緩めてくれていると言えた。
「分からねぇな」
毛皮を付けた装飾を肩に飾り、両手を組みながらそいつは来た。廊下の先から、ゆっくりと。
野性的な眼光が暗闇を切り裂き、炯々とこちらを見つめている。会談の時のような、猫被った様子はない。
「あんたは何者だ? 異郷者にしちゃあ、こっちからステータスが確認できねぇ。ヘルミナを退けたのもあんただな」
「答える義理はないだろう、ヴァレットは就寝中だ。お帰り願いたいもんだね」
「そりゃそうだ。まぁ良い。義理はなくとも、一つだけ聞きたい」
『影亡き』ズシャータは、脚につけた刃を鳴らしながら言った。どうやら、自分で口にして考えを纏めるタイプらしい。
「何故、あの女を助ける? 金が必要ならあの女以上に積もう。地位でも用意させるさ。あんたは、あの女がどういう女か知らないだけだ」
「……もしかして、俺を買収してるのか?」
「そう思ってくれていいぜ。こっちも無駄な事はしたくない」
ズシャータは想像以上に理性的な男であるらしかった。脚刃を鳴らしながらも、こちらの出方を伺っている。少なくとも、こちらの答えを聞く気はあるようだった。
「言っちゃなんだが、あの女は最悪だ。力を付ければ確実に他の勢力を食いつぶす。平穏に生きられない女って奴さ。詳しく知りたければ教えてやるが、聞かない方がマシかもな」
ズシャータは、明らかな嫌悪と恐怖を口に含めて言う。まるで感情をぶちまけるみたいだった。
否定は出来ない。ゲーム内においては当然の評価だった。それだけの事を、ヴァレットはしでかす。
言うならば、大陸全土を焼き尽くす炎を出荷するのが彼女に与えられた役割だ。決して正義ではない。決して善良ではない。
それだけの天性と素質を、間違いなく彼女は持っている。
とはいえ、だ。
「……どうかな。上手くやれば、彼女を地方領主くらいに押し留められるかもしれない」
「おい、冗談だろ」
ズシャータの警戒が、一段階上がったのを知覚する。明確な敵意が魔力となって、彼の脚を循環し始めている。ぎゅるりぎゅるりと、吠え猛る獣のようだった。
理解する。その脚に刻まれたアビリティが、顕現する用意に入った。異郷者が異郷者たる所以。彼らが英雄に手を届かせるための神秘。
「あんた、知ってるのか。知ってて、あの女に力を貸してるのか?」
それはもはや買収ではなく、質問でもなく、最後通牒と同類だった。
回答次第で、この場が戦場になる。それだけの重みを伴っていた。
「答えてくれ。あの最悪の女が、何をしでかすか知っているんだな?」
繰り返し、感情をぶちまけてズシャータが言った。
「知ってるさ。『ギア・ロード事件』も、『血塗れの革命』も。ゲームの中での出来事としてな」
「なら何であの女を守ってる?」
「ゲームの中でなら、起きるってだけだ。本当にそうなるかはまだ分からない」
「起こる、確実にな」
ズシャータの脚を循環する魔力がますます勢いを増す。時間稼ぎという風じゃない。ただ、自分の中の感情を整理しきれていないようだった。
何故だ。誰しもがヴァレット=ヘクティアルを排除する事を肯定するはずなのに、と。
「――異郷旅団が確認する限り、ゲーム内のイベントを完全に回避できた事例はない。歴史イベントはほぼ間違いなく再現される。例外は一つだけ」
言わなくても良い事を、ズシャータは言ってくれた。
「ゲームと同様に、発動条件が満たされなかった時だけだ。起こす人間が、すでに死んでるとかな」
詰まり、こう言いたいわけか。
ヴァレット=ヘクティアルが生きている限り。必ず、ゲームで用意されたイベントは起きてしまうと。
全ての惨劇を、再現するように。
ズシャータが、一歩こちらに近づいた。
「……どうだ。こっちに協力する気になったんじゃないか。あんたが守ってる女は、絶対に生かしちゃいけない『怪物』のはずだ」
確かに、ズシャータは正論を語っていた。
間違いなく、彼はこの世界の平和を求めており、そのための最低限の犠牲を必要としている。
彼の手を取る方が、俺は安穏と生きているかもしれない。そちらの方が、正しいかもしれない。
――しかし、それは彼女を見捨てる理由にはならない。
「それでも交渉は決裂だ。俺は彼女を見捨てないし、彼女が平穏に生きる事を目指してる」
それこそが俺の最大目標であり、行動指針だ。他の連中にどうこう言われても、今更変えられやしない。
「……意味が分からねぇ」
「それは俺が言いたい台詞だ」
ズシャータの脚に貯められた魔力が、今まさに発露せんと煌めきをあげているのを見ながら言った。
「ゲーム中の事件がここでも起きる『かも』しれないから――彼女が絶対悪になる『かも』しれないから――だから、殺すのか? ふざけた話だとちょっとでも思わないのか君は?」
指先を軽く震わせる。ズシャータの行動を見極めるべく、魔導の照準を合わせた。
「彼女は、間違いなくただの少女だ。心優しく、気高い繊細な少女だった。彼女が怪物だというのなら、そうしたのは間違いなく周囲の連中だよ。誰一人として、彼女を救おうとしなかった。泣きながら腐りかけたパンを食べている彼女を、一人でも案じた奴はいなかったのか? 毒を飲まされて苦しむ彼女に、手を差し伸べようという奴は何故いなかった?」
問いかけよう。救われなかった者達は、救おうとしなかった連中の秩序を保つために、我が身を犠牲にすべきなのか? 奪われ、排斥され、それでも尚、多数の安全のために死ぬべきなのか?
今までお前を人間扱いしてこなかったけれども、自分達の身の安全のためにはお前の犠牲が必要だから、人間らしく正義と善意と秩序のために死んでくれと言われて、頷くべきか。
俺はそうは思わない。彼女には、幸福になる権利と義務がある。
「俺は君ら全てより彼女一人を信じる。君らは五年間、何もしなかった」
「そうかい――」
瞬間、ズシャータの脚が文字通り爆発する。
脚に取り付けられた刃が、もはや風さえも置き去りにして俺に迫った。匪賊は敏捷さに特化した前衛職。息をつかせぬ連撃こそが最大の持ち味。エネミーの攻撃タイミングを潰し、一度も機会を与えないまま勝利する。これぞ、匪賊の黄金パターン。
「――アビリティ発令『虚空五撃』」
魔力の込められた脚刃は、それだけで鉄板さえも貫通するだろう。そうしてそれは当然のように。
俺の腹を貫いていた。




