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第3話 触れた指先、揺れた魔力

 深夜の魔術塔は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。


 窓の外には満ちた月が浮かび、石造りの廊下に冷たい光を落としている。

 魔術観測室の奥、数多の水晶球と魔力計が整然と並ぶ空間で、一人の男が黙々と魔力記録に目を走らせていた。


 レオン・フィルニール。

 王宮魔術塔の最年少顧問魔術師にして、“氷の魔術師”と呼ばれるその青年は、灰銀の髪と淡い青の瞳を持つ、理知的で整った容貌の持ち主だった。


 だが、その見目の美しさ以上に、周囲が彼を警戒し、距離を取る理由は──その“目”にある。


 鋭く、すべてを見透かすかのような瞳。

 冷たいとも、静かすぎるとも言われるその視線が、一度こちらに向けられれば、どんな貴族も言葉を失う。


「……詠唱記録、魔力残響なし……魔法行使と断定するには、断片的だが……」


 水晶球に浮かぶ魔力の軌跡を見つめながら、レオンは小さく眉を寄せた。


「波長が……重なっている? しかも、明確に“二重構造”。」


 通常、魔術の発動には使用者の“声”──すなわち詠唱が不可欠であり、魔力はそれに応じて一つの軌道を描く。

 だが、今彼の眼前に現れているのは、異なる周波をもつ魔力の揺らぎが、まるでふたつの声が混ざり合うように共鳴しているという、ありえない現象だった。


「これは……誰かと、誰かが“重なっている”?」


 記録の対象者に目をやった瞬間、レオンの瞳に僅かな揺らぎが生じる。


 レティシア・フォン・アルヴェル──公爵令嬢。


「最近、態度が変わったと話題の……あの令嬢か」


 かつては毒舌と高慢さで有名だった彼女が、婚約破棄を経て人が変わったようだという噂は、宮廷内でも耳にしていた。


 だが──声を失ったはずの彼女が、誰とも違う声で、誰よりも堂々と話す姿。

 その背後に、何かある。


 レオンは静かに立ち上がった。

 月の光が、その銀髪を冷たく照らす。


「調べてみる価値はあるな……」


 彼の瞳には、もはや“仕事”ではない何かが宿っていた。


 それは好奇心か、それとも……違う感情か──



 *  *  *


 王宮の一角、魔導図書室。

 貴族の中でも一部の特権階級にしか立ち入ることの叶わぬこの空間は、荘厳でありながらもどこか静謐な気配を纏っている。


 陽が傾きはじめた午後。

 柔らかな陽光が高窓から差し込み、古びた書架に並ぶ革装丁の背表紙を黄金に染め上げていた。


 その中に、一人の少女の姿があった。


 レティシア・フォン・アルヴェル。


 凛とした立ち姿に上品なドレス、だがその指先が震えているのは、ここに来るのが久しぶりだから──ではない。


(この本さえ読めば……何か、手がかりになるかもしれない)


 “発声魔術の歴史”。声に魔力を宿す術式の原初が記された、旧王政時代の秘本だ。


 レティシアが書架の高段に指を伸ばした、そのときだった。


「……失礼」


 低く、けれど心に残る声。


 同じ本に伸びた別の手が、彼女の指先にふれた。


 一瞬、時が止まる。


 驚いて振り向いたレティシアの目に映ったのは、灰銀の髪と氷を思わせる瞳を持つ青年だった。


(……この人、まさか)


「あなたも、その書を?」


 ゆっくりと問いかけるその声音は、冷たいのに、妙に耳に残る。


 レティシアはとっさに一礼する。その仕草ひとつひとつに、彼の視線が注がれているようで、背中がひやりとした。


「詠唱をしていないのに、魔力が揺れていた。それが気になっただけです」


 静かに続く言葉に、心臓が跳ねる。


(……見られてる? 気づかれた?)


 《やばいってこの人……察しのいい系男子だわ。息止めてでもバレないようにしなさい》


 エリスの声が、念話でレティシアの意識に飛び込んでくる。


 それでもレティシアは、優雅な微笑を崩さず、「演じる」ことを選ぶ。


 彼の目が、まるで何かを探るように揺れた。


「あなたの“声”……やはりどこか不思議だ」


 その言葉を最後に、レオンは何も言わず、静かにその場を後にした。


 書を手に取ることもなく、凛とした背筋を保ったまま、足音ひとつ響かせずに歩み去る。

 その背中は、まるで水面に映る月のように揺らぎなく、けれどどこか触れ難い孤独を纏っていた。


 レティシアは、しばらく呆然としたまま彼の背を見送っていた。


(……すべてを見透かされた気がする)


 静まり返った図書室の空気が、再び重くのしかかるように感じられた。

 だが、胸の奥だけが妙に騒がしく、鼓動の余韻が身体の芯にまで残っていた。


 《あの男、またあなたにちょっかい出してくるわよ。断言する》


 エリスの声は、どこか愉快そうに響く。まるで舞台裏から観劇を楽しむ道化のような調子だった。


(……私にどうしろっていうのよ)


 思わず息をつくように心の中で呟きながら、レティシアは震える指先で書を開いた。

 古びたページに指が触れると、その現実的な感触がようやく思考を引き戻してくれる。


 《もっと自然な振る舞いができるようになりなさい。本物の“愛され令嬢”になれば、なにも問題はないでしょ?》


(仕方ないわね……それはそれとして、呪いを解く方法を探さなきゃ。それもエリスにはバレないように)


 彼女の横顔には、ほのかに微笑みが浮かんでいた。

 だがその笑みは、優雅な仮面のように──その内に決意と秘密を隠し持つ“演技”だった。


 知られてはならない秘密がある。

 けれど、誰かに気づかれているかもしれない予感もある。

 その気配は、恐怖と共に、ときめきにも似た熱を胸に灯していた。


 奇妙な運命に導かれて出会った、一人の令嬢と、一柱の精霊、そして一人の魔術師。

 まだ誰も知らない物語の輪郭が、静かに、しかし確かに──今、描き始められようとしていた。




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