片思い
毎週日曜日午後11時にショートショート1、2編投稿中。
Kindle Unlimitedでショートショート集を出版中(葉沢敬一で検索)
少女は森の小さな泉に毎日通っていた。その理由は、そこにいつも座っている一人の少年のためだった。彼は木陰に腰かけ、どこか物憂げな表情で遠くを見つめている。名前も知らないその少年に、少女は強く心を引かれていた。
「何を見ているの?」ある日、勇気を出して少女が声をかけた。少年は一瞬だけ彼女を見たが、すぐにまた遠くを見つめたままだった。
「過去を見ているんだ」と彼は静かに答えた。
少女はその言葉の意味がわからなかったが、それでも彼に惹かれていった。彼の冷たい目の奥には、何か深い悲しみが隠れているように思えたからだ。毎日少しずつ話しかけるようになり、少年も少しずつ口を開くようになった。
「君は、ここで何をしているの?」少女はたびたび尋ねたが、少年は曖昧な笑みを浮かべるばかりだった。それでも、彼との時間は少女にとって特別なものになりつつあった。
ある日、いつものように少年に会いに行った少女は、彼が手に何かを握りしめていることに気がついた。古びた銀のロケットだ。それを見た瞬間、少年の瞳はどこか遠くを追いかけるように曇った。
「それ、誰かのもの?」少女が尋ねると、少年は少しうつむいて答えた。
「大切な人のものだ。…でも、もうその人はここにはいない」
少女の胸に痛みが走った。それでも、彼のことをもっと知りたかった。彼の悲しみを共有したかったのだ。
「その人のことを教えてくれる?」彼女はそっと尋ねた。
少年はしばらく沈黙していたが、やがて小さな声で語り始めた。「僕は、ある約束を破ってしまったんだ。そのせいで、彼女はもうここにはいない。そして、僕もここにいる理由がないんだ」
その言葉に少女は驚き、何か言おうとしたが、次の瞬間、少年の姿がふっと霞むように薄れていった。
「待って!行かないで!」少女は叫んだが、彼はどこか遠くへ消えゆくようだった。
「君は…もう会えないんだ」
その言葉が、静かに耳に残った。
翌日、少女は再び泉へ行った。しかし、そこには少年の姿はなかった。森は静かで、ただ風が木々を揺らすだけだった。
失望と寂しさで胸が押しつぶされそうになりながらも、少女は泉のほとりに座った。そのとき、ふと目の前に光る何かが見えた。それは、昨日少年が握りしめていた銀のロケットだった。少女はそれを手に取り、ゆっくりと開いた。
中には、少年と微笑む少女の姿が映し出されていた。その少女の顔は、今まで見てきた自分自身の顔とまるで同じだった。
「私…だったの?」
突然の真実に、少女は言葉を失った。少年がずっと追い求めていたのは、彼女自身だったのだ。だが、彼女はそのことに気づくのがあまりにも遅かった。
少女は震える手でロケットを握りしめた。彼が望んだ「約束」とは何だったのか、もう彼に確かめることはできない。それでも、彼が彼女をどれほど大切に思っていたのか、その事実だけは胸に深く刻まれた。
涙がこぼれ、彼女は静かに呟いた。
「いつか、また会えるよね」
風がそっと彼女の頬を撫でたかのように、優しく吹き抜けた。