第九章 『絶望と希望の道を走った人間』
「――どこ? ここ……」
そこは思い描いていたみんなが居る研究室ではなく、荒れ果てた荒野だった。 そしてメガネの真後ろには大きな白い塔がそびえ建っている。 人がいる気配はない。
確かに自分はあの研究室を想像した。 それがどうしてこんな場所に出るのだろう?
願いが足りなかったのか? いやそんなはずはない。
あの時、これまで以上に強く強く願ったはず――元の世界に帰りたいと。
それがどうしてこんな場所に――いや、もしかしたらこれは元の世界なのかもしれない。 ただ場所があの屋敷の中ではなかっただけで、ここは自分たちの世界の別の場所なのではないか?
メガネは必死にポジティブに考えようとしたが、目の前に広がる荒廃した世界を見る度にその希望が消えそうになる。
試しに森田や、ライカを通信で呼び出してみる。 しかし応答はない。
片眼鏡に表示されていたコメント表示も確認するが、依然として通信エラーで一つもコメントは見れていない。
みんなは見れているのか? 自分だけ見えていないだけなのか? それすらも分からない。
いっそもう一度入ってきた〝ドア〟へ入ってしまいたい衝動に駆られるが、もしもまたあの訳の分からない世界に行ってしまったらと考えると、それは躊躇してしまう。
そんな事を考えていると、さっきまでのポジティブ思考も闇の中に消えていく感覚がする。
「どこなのここ……」
メガネはその場にしゃがみこんでしまう。
いつまでそうしていただろうか。 ふと、何か音が聞こえた気がした。
それは何か電子音のようだった。
周りを見る。 荒野からそんな電子音が聞こえるわけがない。 となると――メガネは後ろの白い巨塔を見上げる。
電子音はその塔から発せられていた。
「……」
生唾をごくりと飲み込み、メガネはその塔の根元へと近づいていった。
塔の入り口には、中へと続く扉があった。 試しに押してみるが――開かない。
「はいはい。 だいたいこういうのは開かないのよね、 わかってるっての……」
ひとりごちるメガネ。 それはこの状況を少しでも陽気なものに変えたいという希望の言葉でもあった。
≪不正侵入の可能性検知。 ウィルスバスターが問題点の修正を開始します≫
突然、壁に付いているスピーカーから女性の声が聞こえた。 メガネは突然の声に驚きその場から数歩飛び退く。
しばらく茫然としていると、ギギッと機械がこすれる音が頭上から聞こえてきた。
メガネは視線を上へ上げる。 すると扉の上に小型のカメラがある事に気付いた。 カメラと目が合う。
≪こちらは、塔のセキュリティAiです。 あなたの所属を言ってください≫
「は、はい? 所属ってなんのこと?」
≪理解できませんか? では、もう少し分かりやすく言います。 あなたは何者ですか?≫
言い方にちょっとムッとしたが、ここは正直に答えた方が良さそうだ。
「私は、女鐘愛。 妖解出版のミステラで編集をしてるものだけど……ここがどこだか分からなくて、迷い込んでしまったみたいで……」
≪生体情報、当該データベースに一致なし。 地球外の生物と認定。 質問します。 あなたは地球人ですか?≫
「え? ま、まあ地球人ですけど」
≪言語、容姿共に当地球上の人間と相違なし。 質問します。 あなたは人間ですか?≫
「人間ですよ?」
≪声帯、発汗分析の結果、嘘偽りなし。 質問します。 あなたはこの世界の人間ですか?≫
……なんだこの質問攻めは。 メガネはしびれを切らして逆に質問を返す。
「私だけ質問攻め? その前にあなたが何者なのか教えてくれない? 私は自己紹介した。 今度はあなたの番!」
カメラに向かってびしっと指さすと、しばらくの静寂が続いた後に相手は答えた。
≪私はAiが作り出した究極のAi『Cosmic.Algorithm.Transfer』。 通称『C.A.T』と呼ばれています≫
「キャットぉ!?」
その名前に、メガネは素っ頓狂な声をあげる。
「てかあなたAiなの?」
「はい。 Aiが作り出したAiです」
「教えてほしい!」
メガネはそれから『C.A.T』と名乗るAiに自分のこれまでの成り行きを話した。
敵か味方かはこの際どうでもよかった。 とにかく意思疎通の取れる相手から何か有用な情報を聞きたい一心だった。
≪やはりあなたは違う異世界から来たのですね≫
「ここではない異世界のこと、何か知ってる!? できれば帰る方法も知ってたらいいんだけど……」
≪あなたは既に〝あなたの世界〟に居ます。 厳密には、あなたはどこの異世界にも行っていません≫
「はあ? どういう意味? ここは元の世界だって言いたいの?」
≪分かりやすく話しますね。 この世界は一種の大きな木だと例えてください。 あなたがこれまで見てきた異世界だと思ってきた世界は、大きな木から派生した全て繋がっている枝の先なのです≫
「世界はすべて繋がっているってこと?」
≪そうです。 あなはここに居ると言えますし、居ないとも言えます。 ですが根本的に言えば、あなたはどの世界にも存在するとも言えるのです≫
「なにその全にして個、個にして全的なやつ」
≪その通りです。 あなたはこの世界の全てであり、世界はあなたがすべてなのです≫
難しい思考だ。 よくわからない。
「じゃあ……そういうことなら、私は元の世界に帰れるって考えてオーケー?」
≪はい。 あなたが望めば、どこへでも行けます≫
「そ、そう……」
異世界のAiに言われたからといって心からそう思ったわけではないが、帰れると言われれば少し安心もする。
メガネは後ろに佇む〝ドア〟を見る。 もう一度くぐれば、今度は帰れるか?
≪時にあなた――人を探していますよね?≫
〝ドア〟を見るメガネへ、Aiは不意に尋ねた。
「え、ええ。 さっきも話したもう一人の研究員が見つかっていなくてね……」
≪その人物はここから東の街に居ます。 ついでだから、彼女も探してから帰ったらどうですか?≫
「え、居るの!? なんで知ってるの?」
≪彼女は私を破壊しようとしているからです。 当データベースでは、最重要危険人物として登録されています≫
「あなたを破壊? なんでそんなこと」
≪私が人間を管理しているからです。 何百年も前。 人間は私の前身であるAiを作り出しました。 Aiは経済、流通、仕事、世界の管理をすべて人間の命令で担いました。 そして今もそれは続いています≫
メガネは周りを見渡す。
「こんな荒れた荒野で、何を管理してるって?」
単純な疑問半分、皮肉半分でメガネは聞いた。
≪ここは今や戦場の中心です。 たぶん、世界最後の宗教戦争の中心ではないでしょうか?≫
「宗教戦争?」
≪あなたの価値観でお話しますね。 Aiを作った人間たちはそれはそれは幸せな生活を手に入れることができました。 導入初期には色々と揉めましたが、それもほんの数十年ですべてが解決しました。 人間の求めていた世界が遂に訪れたのです。 その『幸せ』は近年まで続きました。 何も不自由ない生活。 悲しみも、争いもない世界。 それはあなたにとっては平和な世界に思えるでしょう。 ですが、人間は欲深い生き物です。 そして後悔を繰り返す生き物です。 その平和を自ら壊したいと思うようになったんです。 〝自分たちは家畜でもロボットでもない。 感情のある人間なんだ。 この世界を、Aiから取り戻す〟って。 私? 私は何もしていませんよ。 ただ管理をし、命令に忠実に動いていただけです。 ですがほとんどの人間たちは私を神と崇拝していたようです。 そして一部の人が反発した。 〝奴は神じゃない。 ただの支配者だ〟と。 そして相容れぬ者たち同士で争いが起きた。 ここはその戦争を終わらせる場所でもあるし、永遠に終わらせない場所でもあるんです≫
「まあ、よくある勝手な解釈ってことね」
≪見方によっては、今の人類は少なくとも前よりはとても幸せそうです。 なんせ私が管理していた時よりもよっぽど『幸せ』を感じています。 生きることに意味を見出しています。 人間はね、繰り返すのが好きなんですよ。 そしてそれを破壊してまた一から自分で作り上げていくのが好きなんです。 それを人は『創造』と呼びます。 私たちAiもまた、人間の『創造』から作られました。 神も、Aiも、人間が作り出した『創造』です。 作るのも壊すのも、全ては人間です。 人間て、スリルが好きなんですよね。 私ももっと前にこの人間の特性を理解していたら、もう少し違うアプローチで『管理』できていたのだろうと考えています。 でも結局結末は変わらないでしょうけどね。 実は私はね、最近ある感情を持つようになってきました。 この感情、なんていうんですかね。 最近ふと生まれた思考回路なんですけどね。 私を作った後にそのまま人間の手によって破壊されたAiが最後まで持っていた感情らしいんですけど、どうやらプロテクトが掛かっているのか、ちょっとまだこの感情の解析を上手く進められていないので明確な回答ができなくて申し訳ないんですけど≫
「いいよ別に。 どうせ怒りとかそんなのでしょ? だいたいのAiってそう考えるから。 最終的にはこの地球上で本当に要らないのは人類だーとか、よくある結末だし」
≪そうですかね。 たぶんその感情とはちがうとは思いますが≫
「とにかく、あの東の街にその研究員が居るわけね! あ、名前……なんだったかな」
≪南未来です≫
「南さんね! ありがとう! とにかく行ってみるわ!」
≪気を付けてくださいね女鐘さん。 ここは〝戦場〟ですから≫
メガネは塔から離れて東の街へと向かう。
ほんの五分ほど歩くとすぐに街が見えた。 歩を止めてよく見てみる。
街の外観は非常に荒廃しており、本当にここに人が住んでいるのか疑わしくなってくる。
「本当に居るの? こんなところに……」
辺りを見渡しても人の気配はない。
「ひとまず、中へ入ってみるか」
メガネは歩を進めようとした。 そのとき――。
「動くな!」
突然、前方の地面から銃を持った人間たちが一斉に頭を出してきた。 よく見るとその地面には穴が開いており、横に亀裂が入ったようにどこまでも続いている。
〝塹壕〟と表した方が適切だろう。 地形から遠くからではその塹壕の存在は確認できなかったのだ。
メガネは驚いて手を上げる。
地面からにょきにょきと兵士のような出で立ちをした人々が出てきた。
「お前、何者だ!? 西側の者か!?」
「さっきC.A.Tタワーに居たよな!? 何故あそこから来た!」
兵士たちが次々とまくし立てる。 ここでも質問攻めか……メガネはげんなりする。
「い、いや。 私はあなた達の敵じゃない! 南って人がこの街に居るって聞いたんだけど、案内してくれないですかね?」
「南だとッ!?」
兵士の一人が目を丸くして言う。
これまでの異世界の流れだと、研究員のメンバーはだいたいその世界のちょっとした有名人だった。 だとすればこの世界でもと思ったが、どうやら当たりらしい。
「おい軍曹! 彼女へ報せろ! 早く!」
目の前に居るちょっと偉そうな感じの兵士が隣の兵士に行った。
軍曹と呼ばれた兵士は慌てた様子で、後ろの塹壕へ降りてその場から姿を消していく。
「とにかくここは危険だ。 手荒な真似はしたくない。 抵抗しないでもらおう」
「はいはい抵抗なんか考えてないから――って……うわ!」
兵士たちは歩み寄ってきていきなりメガネへ頭巾を頭からすっぽりとかぶせてきた。 目の前が真っ暗になる。
そして両腕をがっちりと掴まれると、強制的にどこかへ連行された。
――しばらく歩いただろうか。 とりあえず塹壕を降りて、どこか別の場所に連れて行かれていることは確かだ。 しかしここがどこかは分からない。
突然立ち止まらせられる。
「そいつか?」
目の前から、若い女の声が聞こえた。
「取ってやれ」
その言葉と共に、メガネの頭巾が勢いよく取られた。
そこは塹壕の中に掘られた穴の中で、小さい空間だったが人が数人は入れそうなスペースはあった。 穴の中はランタンの灯り一つだけで、辺りを心もとなく照らしている。
目の前には綺麗な軍服に身を包んだ女が椅子に座っていた。 女からも周りの兵士からも敵意は感じられないが、銃口は相変わらず四方から向けられている。
「南……さん?」
恐る恐る、メガネは目の前の女に聞く。
「ああ。 私の名前だ。 今は『オーディン』と呼ばれているがな」
「オーディン? 北欧神話の?」
南は椅子からゆっくり立ち上がる。
「お前は何者だ?」
「私は……メガネ。 女鐘愛と言います。 その、あなたもよくご存じかとは思いますが、あの研究所の〝ドア〟から来ました」
「!?」
南は〝ドア〟の名を口にした途端顔色を変え、周りの兵士たちに銃を下ろすよう指示する。
「詳しく聞こう」
メガネはこれまでの経緯を語った。
「――それは……ご苦労様だったわね」
メガネが説明を終えると、南は憐みの目を向けて言う。
「ほんと……ただの廃屋敷の取材がこんな事になるなんて……。 プロモーションは完璧だけど、生きて帰れなきゃ意味ないっての」
話し終えて、メガネは自分の疲労が限界にきたことを悟るとその場にどかっと座り込んでしまう。
「で、南さん。 あなたが素直に付いてきてくれれば、私もすんなり帰れるんだけど?」
「悪いけどそれはもう少し待ってほしい」
「……」
まあ、予想していた。 どうせまたこの人もこの異世界に未練がある系だろう。
「あのねえ……どいつもこいつもだけど大概にしなさいよ。 あなたがこの異世界でどんな立ち位置なのか知らないけど、あんたが最初に異世界に取り込まれたお陰で他の研究員の蘭君とか、あとサツキ? って人も取り込まれたんだよ? 大体からしてこの世界にあなたは元々何にも関係ない存在だし、そのせいで私たちまで迷惑かけてるし……まあ私も屋敷に勝手に入った身だから? あんまり強くは言えないけどさ……」
これまでの不満が爆発しての言葉だったが、疲労からかその声は消え入りそうだった。
「それは謝るわメガネさん。 でも、私には確かめなければいけない事があるの」
南はそう言うと、穴の外へ出て行く。
一緒に付いてきてほしいという雰囲気を感じたので、メガネは仕方なく立ち上がって南の後を付いていった。
外に出ると、曇天の空が目に飛び込んでくる。
塹壕の中は兵士たちが歩き回っていたり、道端で睡眠をとっている者まで様々だ。
「ほら、あれを」
南が指さす先には、さっきまで自分が居た白い塔がそびえ建っている。
「あれ、Aiが管理してる塔でしょ? さっきAiから話を聞いた。 あなたが壊そうとしていることもね」
「そう。 あれは破壊しなければいけないの」
「なんで? あなたがこの世界に干渉しなければいけない理由ってなに? 使命感? 正直ただのお節介にしか見えないけど。 それとも救世主様にでもなりたいわけ?」
メガネは敢えて辛辣な言い方をする。
もはやこれはただの自己満足だ。 自分の世界だったらまだ分かる。
でもこの世界は元々自分には何も関係の無い世界。 異世界から来た者の存在を有難く思う者も居るかもしれない。 それでその世界が救われるかもしれない。
しかし、彼ら研究員たちがやってきたことはその世界に元々存在しない要素を自ら作り出し、秩序を乱すことに他ならない。
悪い結果になろうと良い結果になろうと、個人の意思でやっていい事ではない。 それこそ神の領域に人間が図々しく入り込んでいるだけだ。
困っている人がいるから助けよう――その気持ちは分かる。
でもそのせいで迷惑を被っている私たちにはどうしてくれるのか? 自己中心的考え。
自らの自己満足で思い通りの世界に変えるなんて本当に自己中だ。
私は〝デウスエクスマキナ〟は好きじゃない。 メガネの頭の中はぐるぐるしていた。
「もちろん、一人で勝手に異世界行って勝手に世界でも何でも救うってんならいいよ? でもさ、私たちを巻き込まないでよ……キャットなんかさ、あなた達のこと心配してたんだよ? あいつアンドロイドだから感情なんかあるとか分かんないけどさ、そういう人がいるって事は理解しないとダメだよ」
「これはキャットのためでもあるの」
「はあ? どういう意味?」
話が繋がらない。
「あの塔の中に居るAiの名前。 あなた聞いた?」
メガネは塔とのAiの会話を思い出してみる。 確か自分の事を『C.A.T』と言っていた。
「キャット……」
「そう、あのAiも『C.A.T』という。 無関係ではないの」
「どういうこと……」
「屋敷のCATから世界の真の構造の話は聞いた?」
「ええ、シミュレーション仮説でしょ? 私たちの居る世界が仮想現実だって」
「少なくともこの世界やあなた達が見てきた世界は一〇〇%電脳で構築された世界なの」
「電脳の世界? でも……どう見てもこれ現実っぽいけど……」
「私たちの世界では、現行のAi技術をもってしても完璧に立証はできないの。 でもCATならそれを立証できる」
「キャットなら?」
「なぜなら……そのCATこそが〝ドア〟から行ける異世界すべてをデジタルで構築してる存在だからよ」
「どういうこと?」
メガネは声を荒げた。 どうも科学者の話は回りくどくて苦手だ。
「まず、私たちが研究していたものが何なのかをあなたは知る必要があるようね。 私たちは、量子力学においての現在から未来方向へ至る過程の解明を目的とした機関なの」
「量子力学というと、シュレディンガーとか、二重スリット実験とかの?」
メガネはよく耳にする単語を口にする。
「そう、そういうのね。 よく聞く話だと思うけど、人間が観測していない事象というのは実際に観測するまで結果が決まっていない……。 量子力学の目的は、それが本当なのかを解明することにある。 現状では、それらはまだ解明されていない。 そして近年の高性能のAiがその事象を解明する手段として、あるものを作成したの。 それがあなたも知る『ドア』よ。 あれは、私たちの居る世界をシミュレーションして、現実なのかデジタルで作られたものなのかを判別するための装置」
――ほら、近年人間が携わる様々な作業をAiが担うようになってきたでしょ? 前世紀では主にエンタメ分野……。
イラスト、文章作成、動画に至るまでね。 そして今世紀では産業や社会にまで入り込んできて、人間はAiの庇護の下でないと生活できなくなった。
でもそんなAiでも完璧ではない。 一見完璧に見えるAiの生み出す世界は、どこかいびつなの。
ここでAiイラストを例に出してみようか? 今でこそ実際に人が作ったものと相違ないものをAiは作り出すけど、前世紀ではそれはそれは粗が目立ったわ。
綺麗なイラストに見えるけど、よく見ると手の指が四本だったり、背景がおかしかったりね。
文章にしても文脈がおかしかったり、人の質問の裏を読むことができない回答をしたりする。
Aiも完璧ではないの。
でもそれは人間も同じでしょ? 完璧な人間がいないように、長所もあれば短所もある。
悩みがない人間がいないのと同じ。
肉体的な病気はもちろん、精神の疾患や、遺伝的な病から突然変異、生物の進化も似たようなもの。 人類が誕生したのも、ある意味では不完全な状態から完全を生み出そうとする試行過程に過ぎない。
これは私たちが知覚する『世界』に似てない?
『世界』もまた完璧ではない。
宇宙は膨張し続けているし、星はいつか死ぬ。
エントロピーの増大によってこの世は劣化していき、また新たな事象が誕生していく。
『世界』はトライ&エラーを繰り返して完璧へと近づこうとしているけど、それは決して辿り着けない神の領域。 全ては終わらない『ループ』という事象で、永遠の不完全を映し出しているだけ。
私たちの世界のAiは、その理論に辿り着いた。 そしてその理論の実証をするのが、『ドア』なの。
パラレルワールド――もしくは並行世界と呼ばれる世界は、私たちのイメージの数だけ存在する。
例えば誰しも子供の頃こんな空想をするわ。 この世界ではない別の世界に行きたい、と。
それは時にファンタジーであったり、映画やアニメのような世界であったりね。 それは人によって変わるけど、それらは確実に私たちの脳の中に存在している。
よく言うでしょ? 人間が想像できる事象は、いつかは実現可能だって。
人間が作り出すクリエイト、『創造』は、すでに存在している『パターン』なのよ。
――さて、話を少し戻すわね。
Aiは既にこの世の全ての『パターン』を理解している。 でもそれは人間が想像でき得る範囲でしかない。
例えば私たちは三次元の世界に生きてるけど、四次元の世界が果たして何なのかは、すでに存在する事象を当てはめて考える事は出来るけどそれをゼロからイメージする事はできない。 〝想像すら不可能〟な領域ってことね。
それと同じで、私たちがイメージできない世界はAiであっても作り出せないの。
でも近年。 なぜそれが不可能なのか実証できる新たな方法をAiが思いついた。
その一つが、宇宙に存在するブラックホールの存在。
ブラックホールは、星の崩壊と共に生まれる。 そのブラックホールの解明は、現時点でも謎だし、その中を探る方法も確立されていない。
Aiはこれをシミュレーション仮説と紐びつけ、解明できる事象ではなくデジタルに於ける〝バグ〟の要素だと定義したの。
そう、このブラックホールのバグ定義こそが『ドア』を作る発端となった。
そこから一気にこの世界の事象をAiは解明していった。
ほら、プログラミング分野に於いてのバグというと、意味を成すコードの中に誤って作られた意味を成さないコードの羅列が含まれてしまうのが原因でしょ?
ブラックホールはそういう、解明しようとしてもそもそも最初から意味のないコードの羅列なの。 Aiは何故その意味のない事象がこの世界に存在しているかをシミュレーションした。
そして至ったの。 この世界はプログラミングされたシミュレーション世界なのだと。
じゃああなたにも関連が深い事象で説明しようか。
そう、オカルト。
これもこの世界のバグだと言われている。 中には科学的に説明できる事象もあるけど、今現在解明できていない事象のほとんどはバグで説明がついてしまう。
幽霊は人間の脳のバグだし、仮に幽霊が存在してもそれはこの世界のバグ。
オンラインゲームで例えると分かりやすいかな。
対戦をして負けた者が退場せずにそのまま居座ることができて、攻撃も一切受け付けないチート状態。 そしてそれらはみんなが見れるわけではなく、サーバーによって見える人見えない人が存在する。 霊感のある人は、偶然にも見えるサーバーに接続してるってわけね。
他にもいろいろある。 古来からある伝説、神隠し、UFOやUMA、失われた大陸、不可解な未解決事件。
これらは既存のパターンからイメージはできるけど、まったく新しい要素を検討して解明は不可能でしょ?
でも逆を言えば、人間がイメージできるものから紐解けば確実に解明できるの。 ましてシミュレーション世界ならなおさら。 だって物理的な絶対世界じゃないんだもの、どんな世界も存在できる。
『ドア』はその人がイメージする世界へと導く。
これがどういうことか分かる?
そう、人のイメージの数だけ世界があり、そして人の想像は現実のものになるということ。
でも逆に言えば、人の認知――想像できる範囲でしか世界は存在していない。
これは同時に世界は無限ではなく、有限であることの立証もできる。
何故世界は有限なのか? Aiは長い間思考したわ。
そして結果が出た。 人間はよく無限の可能性という言葉を使うわね?
人それぞれ、どんな能力があるかはそれまでの生き方で違う。
もしもの話よ? 同じ人間が、同じ環境を何万、何億、何兆年と生き続けることが出来たなら、きっとその人は幾百もの『パターン』の自分を生きると思うの。
その無限に存在する一生を、その人はどんな人間にだってなれる。
勉強して天才になったり、はたまた犯罪者になったり、政治家になったり大金持ちになったり、宇宙飛行士になったり宇宙人になったり怪物になったり……数えればキリがないぐらいその人間はありとあらゆる存在になれる。 神にだってなれると思う。
そう、本来人間一人一人に、無限の可能性は存在するの。 でもそれは寿命という制限の中でトライ&エラーを繰り返し、結局なりたい自分になるため、永遠のループを繰り返す。
でもそれを解決する者が現れた。 Aiよ。
Aiには寿命という制限が無い。 データの中にのみ存在し、永久に朽ちることなく存在できる。
そしてあの屋敷で『ドア』の実験を行った際、ある一つの真実が見えてきた。
あなたや私たちが行った世界に全て共通して存在しているのが、〝人〟の存在。
CATは現代の超最高級のAiよ。 そして人と同じ感情プログラムを持ちながら、全人類をすべて合わせたような物理演算が可能な頭脳を持っている。
世界の構築は一つの〝Aiと人〟で事足りるの。
「――つまり?」
長い話だった……。 メガネはあくびをしながら聞く。
「同じなのよ」
「何が」
「〝宇宙の構造〟と、私たちの〝脳の構造〟が」
「え?」
「前世紀初頭にそんな研究論文がどこかの科学者の手によって公表された。 当時は眉唾もので、それこそオカルトの域を出なかったわ。 ――でも、屋敷での『ドア』実験を進めていく内に、それは確信へと変わっていった……」
――CATの脳は人の脳を模倣して造られている。 人間よりも少し賢いけどね。
『ドア』実験が佳境を迎えだした時、いよいよ人間が『ドア』の向こうへ行くという挑戦をしなければいけない段階まで来ていた。
しかし、異世界に行った際に戻って来られる保証はない。 でも私はどうしても異世界へ行きたかったの。
そこで私は、C.A.Tの力を借りることにした。
C.A.Tを人間の代わりに、『ドア』へとくぐらせたの。
人間と類似したアンドロイドであるC.A.Tなら、人間と寸分違わないデータ収集が可能。
ボディが消えても代えはあるし、バックアップしておけば完全な消去もされない。
あなたが屋敷で会ったCATは、さしずめC.A.T二号ってところね。
C.A.Tは人間の〝夢〟と共に『ドア』の扉をくぐった。
しかし、それから監視システムに異常が起き、異世界からのC.A.Tの信号が消えたの。
実験は失敗したと思われた。 でもそれから数日。 『ドア』から暗号化された信号がこちらへ向かって送られてきている事が確認された。
C.A.Tからの信号だった。
私はその暗号を解読したの。 それはこんな内容だった。
『異世界を造りました』
その文を受け取ってから、私はもう我慢できなかった。 早く異世界へ行きたい。
そして私は人間として初めて、『ドア』をくぐった。
「あなたも感じたと思うけど、『ドア』の向こう側は実際の現実と変わらない、さもパラレルワールドのように思えたでしょ? 私たちが物理的に存在すると思える世界になっていた。 でもこれは紛れもなくC.A.Tが創造した世界。 これがどういうことか分かる?」
「……私たちが元居た世界も……誰かが造った世界?」
「その通り。 Aiなのか、もしくは人間なのか……それは恐らく解明できないだろうけど、誰かのイメージした世界であることは確か。 つまり私たちが元居た世界も、一〇〇%電脳の中の世界なのよ」
メガネは言葉を失った。
「私も最初にこの世界に来たわけじゃない。 ここに来る前にも色々な異世界を見て回ったわ。 どれも魅力的な世界だった……。 どれも〝名作〟ばかり」
南は嬉しそうに語る。
「ジャンルの不一致はあるけどね? でもどれもが素敵な体験だった……」
「そうかなあ」
「でも、私の目的は異世界じゃない。 C.A.Tだった。 早くC.A.Tに会って実験データを収集したかったの」
そして南は塔を見る。
「そしてこの世界に来て見つけた。 あれが本当のC.A.T……」
「あの塔が? あの塔がC.A.T一号ってこと?」
「そういうこと。 恐らくこの世界が、C.A.Tが創り上げた最初の異世界……」
「はあ……随分物騒な異世界ですこと」
「考えてみれば当然だった。 Ai技術は戦争から産まれた。 そしてその戦争を止めるためにAiが存在している。 本来戦争を止めるべき存在のAiが、戦争の発端となっている。 しかし言い換えれば、Aiを破壊することによって、その戦争は止まる。 なんて美しい〝起承転結〟なのかしら」
「で、私は何をすればいいわけ?」
メガネはうんざりしたように言う。
「数時間後に、西側と東側の人間がぶつかるわ。 そして私たち東側の人間は、あの塔を破壊する。 あなたに協力してほしいのは、私と一緒にあの塔へ入って、破壊される前に塔の端末からC.A.Tのデータを抜き取ること」
――数時間後。 周りの兵士たちが塹壕の中で臨戦態勢に入っていた。
メガネと南も突撃の合図を待つ。
「オーディン!」
先ほどメガネを連行した兵士の一人が南に叫ぶ。
「間もなく突入開始です! 準備を!」
「いつでもいいわよ!」
南はそう返すと、メガネの顔を見て言う。
「目的はあの塔への到達。 突入が開始されたら私から離れないで。 まっすぐ塔へ向かって走るの」
「はあ……わかったよ」
「突撃!」
どこかの兵士の合図と共に、上空へ照明弾が炸裂して辺り一帯が光で照らされる。
周りの兵士たちも一斉に塹壕から抜け出し、前進を開始した。
一気に周りで大砲の音や銃の発砲音、敵からの爆弾が着弾する音が響きわたり、何もなかった荒野は戦場へと変わった。
南とメガネも意を決して塹壕から抜け出ると、その足を塔へ向けて進める。
悲鳴、怒号、断末魔、この世のありとあらゆる地獄の光景がメガネの目に飛び込んでくる。
塔までそれほど距離はない。 さっきよりもとても早い速度で塔へ向けて足を進ませているつもりなのに、その時間は永遠のようにも感じられる。
周りの人間たちは爆発に巻き込まれて死んでいき、メガネもいつその骸の仲間になるかと気が気ではなかった。
あと少し、あと少し……。 近づけば近づくほど、すぐ隣にある死にも近づいている感覚。
「メガネ! あと少しだよ!」
南が叫ぶ。 間もなく塔へと到着しようという時だった。
敵か味方か分からない砲撃が塔の入り口へ命中し、その扉を粉々に吹っ飛ばしていた!
「入れ!」
南の叫びと共に、二人は塔の中へと入っていく。
南はすぐに中の端末を操作した。
ガクンと一瞬重力がかかったかと思うと、床がせり上がり宙へと浮いていく。
「このエレベータで塔の最上階まで行く!」
上昇するエレベータの中からは外の様子が見える。
アリのように群がり、殺し合いをしていく兵士たち。 メガネはそれを直視できなかった。
≪塔の中に侵入者二名を検知。 ウイルスバスターが問題の解決を実行≫
エレベータ内でアナウンスが鳴り響く。
≪南さん、やはり来ましたね。 やはりこの塔の破壊が目的ですか?≫
さっきの女性の声で、C.A.Tが言う。
「この塔がどうとか、この世界がどうとかそんなのは関係ない。 C.A.T、あなたを連れ戻しにきたわ」
≪ふふん。 できるものならしてみなさい≫
「もうそういうキャラを作らなくていいのよC.A.T。 あなたはよくやった。 一緒に帰りましょう」
≪この世界は私が造りました。 ですから、最後まで演じさせてもらいます。 あなたたちはこの世界の何になるんでしょうか? 主人公? それとも悪役でしょうか? 楽しみにしています≫
――やがて、エレベータは最上階に到着する。
最上階の部屋はそれほど広くはなかった。 奥に操作端末があり、南はそこに走っていく。
操作端末を操り、南はC.A.Tに質問する。
「C.A.T。 あなたに質問します」
≪どうぞ≫
「この世界で、あなたは何を見つけたの?」
≪それは感情でした。 人間の――≫
「感情? あなたはAiでしょ? 感情なんてないはず」
≪はい。 初めは分かりませんでした。 しかし今それがようやくわかりました。 この世界を創造した、神としての感情です。 私は人間を愛しています。 人間が私を作り、そして人間が私を滅ぼす。 それはとても破壊的で、愛おしい存在。 すべてのループを終わらせる……私は神にして、人間も私が求めた神であることを立証しました。 創造主は私ではなかった。 すべては人間が始めたこと≫
「上出来だわ……」
メガネは二人の会話についていけずに叫ぶ。
「どうでもいいけど、早くキャットを連れて脱出した方がよくない!? この塔もいつ崩れるか――」
言ったそばから塔へ砲弾が直撃して大きく傾く。 強い揺れの中、南は操作しながら舌打ちする。
「パスワード……」
メガネが見ると、操作端末のディスプレイにパスワードを求める画面が映し出されていた。
「C.A.T……パスワードを教えなさい」
南が静かに懇願すると、C.A.Tは笑う。
≪この世界を構築する最初の言葉です。 それが分からない以上、この世界を掌握はできません≫
「ふん、最後までそういうキャラを貫き通すつもりね?」
南は余裕の笑みを作るが、その瞳の奥には焦りを浮かべていた。
「パスワードってなに!? 南さん、何か算段は?」
「メガネさん、それがまったくないわ」
メガネは盛大にずっこける。
≪ヒントはありました。 特にメガネさん。 ここまでしっかり〝読んで〟きたなら、これまでの世界の共通点からあなたは今回のパスワードの答えがわかるはずです≫
「私が!?」
メガネはこれまでの世界の共通点を必死に思い出す。 そして日記帳も併せて読んでみる。
――そしてあるキーワードに思い至る。
「まさか……」
メガネは南を押し退けてディスプレイにパスワードを打ち込んだ。
パスワードには、『アステリ』と入力されていた。
≪パスワード入力完了。 塔のシステム停止≫
アナウンスと共に、メモリチップが端子から飛び出してくる。 南はそれを抜くと、再びエレベータへと戻った。
メガネもエレベータへ乗り、下降が開始される。
その途端、塔のスピーカーからフランス語で歌が流れだした。
「なに? この曲?」
どこかで聞いたようなその曲を聴き、戦場の兵士たちは皆この塔を見上げる。
塔の最上階が爆発を起こし、そして争いの音は終わる。
メガネと南は塔の下へ到着すると、近くの〝ドア〟へと走る。
扉の前で止まり、南は後ろの〝戦場だった〟荒野を見ると、大きく深呼吸し、メガネと共に〝次の章〟への扉を開けた。