第五章 『ウイッチ・オブ・ザ・リビングデッド』
――そこは大きな広場だった。
中央には燃え盛る炎がまるで柱のように天高く続いていた。
周りは西洋風の街並みが広がり、レンガ造りの家に、赤く染まった空が不気味な街の景色を照らしている。
≪メガネ、聞こえるか? そちらの状況を伝えてくれ≫
耳からCATの声がする。
「ああ――はいはい? えっと、なんか街? みたいなところに出た」
後ろを見ると、ドアが閉まっている。
≪よし、その近くに斎藤蘭の生体反応が検出されている。 見つけ出してこちらの世界に連れ戻してくれ≫
「他の研究員は?」
≪そこではない別の異世界に居る。 まずは蘭を頼む≫
「なんでみんな助けに行ってそれぞれ別の世界に散らばったわけ?」
≪わからん≫
CATはそう言うと通信を切る。
まったくわけがわからない。 しかし、扉をくぐったこの世界は明らかにさっきまで居た屋敷の周辺とは別物だ。
「凄いな……本当に異世界なんてものがあるのか……」
メガネは感心しながらも、森田に呼びかける。
「森田くん聞こえる? ドローンの映像見えてる? この景色」
≪は、はいメガネさん。 これはなんというか……すごいですね≫
森田も驚きを隠せない様子だ。
{異世界はじまたw} {なにこれww} {街?} {え、これ映画?}
コメントも信じられないといった反応が多い。 メガネはカメラに向かって叫ぶ。
「皆さん! 信じられないと思いますけど……というか私も俄かには信じられませんが、これ現実です! 本当に異世界っぽいです! ドローンの特殊効果とかじゃないです!」
一応弁明するが、自分でも信じられない光景をネットの向こうの人間が信じてくれるとは思えない。 森田はメガネに続いてこの配信はヤラセも仕掛けも無い事を説明している。
「てかアイちゃん、異世界でもネット通じることに驚きなんだけどぉ……」
確かに……まあ細かい事を気にしても仕方ない。
「だから〝メガネ〟って呼んでください。 ……とにかく、今は斎藤って人を見つけないと! キャット? そういえばその人の特徴を聞いてなかったんだけど?」
メガネはCATに聞く。
≪童顔な顔の〝男〟だ。 まあ、会えばすぐ分かる≫
「いやざっくりしすぎでしょ! もっとこう――」
「アイちゃん!」
ライカがメガネの肩をポンポンと叩く。
「だからメガネって――」
「何か……ひ、人の集団がこっちに向かって走ってくるんだけど~!」
炎の柱の方から大勢の人だかりが二人の方へ走ってくるのが見えた。
「や、やばそうな雰囲気なんだけどぉ!?」
服はボロボロで、顔は血みどろで腐っている部分もある。 みんな気が狂ったような表情をしていた。 こちらに向けている感情は――殺気!?
「ゾンビ! あれゾンビだよぉ~!?」
「あぁ、はいはい……一旦出直しましょうか」
メガネは平静を装いながらも心臓バクバクで元来たドアを開けようとした――が、開かない!?
≪ああ、言い忘れていたが。 安全装置の作動で入ってから一時間はロックされるんだ≫
「キャットぉおおおおお!?」
尚も殺気漂うゾンビ集団はこちらに向かって走ってくる。
「アイちゃん逃げた方が良いんじゃないかなあ~!?」
ライカがたまらずその場から猛ダッシュで逃げる。 メガネも後を追う。
{こんな時こそあすてりだ!} {ゾンビ?} {にげろー!}
「ら、ライカさん! 〝アステリ〟やってください! 効果あるかも!」
「むりむりむり! そんなんやってる暇ないよ!?」
「いいから! もしかしたら何かの間違いで効くかも!」
「何かの間違いってなに!?」
ライカはダメもとで一旦立ち止まり、追いかけてくる集団へ向けて呪文を唱える。
「守護霊よ! 自然の守り神よ! どうかどうか浄化してください! アステリぃ! アステリぃ!」
今までで一番気合の入ったライカのアステリが響き渡る! しかしそれを無視するかのように集団の一人がライカに向かって飛び掛かってきた!
「ひゃあああ!?」
――寸前の所で一歩引いて掴みかかられずに済んだが、ワンピースの裾を掴まれて太ももの部分まで布をビリビリに破かれる!
「う……ああ……おぅ……!」
言葉にならないうめき声を上げながらゾンビはライカを見る。
「ぎゃゃゃゃああああ!?」
二人は再びそこから再び逃げ出した!
それを合図にするかのように、レンガ作りの建物から更に無数のゾンビたちが溢れ出てくる!
「絶賛増量中!? ライカさんアステリ効きました!?」
「効くわけないやろアホぉ! あんなん物理やないけぇ!」
何故か関西弁になるライカ!
「な、なんで関西弁!? ライカさんカメラ回ってます! 配信中です!」
「うっさいわ! 命の方が大事じゃボケェ!?」
――一心不乱に逃げまどい、二人は街の中へと入っていく。
後ろからゾンビたちの追ってくる足音が聞こえるが、全力疾走してきたのでもう息も絶えた絶えで足ももつれる。 このままではまずい……。
「ライカさん! あそこの教会に逃げ込みましょう!」
メガネは偶然目に付いた街中の教会を見つけてそこを目指して走った。
幸いにも教会の扉は開いており、二人は中に勢いよく駆け込むと扉を閉めた。
……しばらく扉越しで外の音を聞く。
追ってくるゾンビたちの足音がこちらに近づいてきて、そして――離れていく……。
しばらくの静寂が教会に流れる。
「――なんとかやり過ごせた……かな?」
メガネは恐る恐る教会の扉を少し開けて外を確認するが、外に人の気配はなかった。
「ふう……」
メガネは扉の鍵を掛け、脱力してその場にへたれこんだ。
「な、なんやアレ!? ゾンビやないかい!? もちっとで食われそうやったでおいぃ!?」
「あぁ、ライカさん――」
{ライカがこわれた!w} {なんで関西弁w} {やり過ごせた?} {迫力ヤバい}
「一応、配信続いてるんで」
この状況で配信の心配をするメガネもメガネだが、ここから帰った時に厄介な事になりそうなので一応ライカのイメージを壊さないよう配慮しようとしていた。
「え? あ……」
ライカは一つ咳ばらいをすると、ドローンに向かって言う。
「皆さん? あれ何だったんでしょう? 怖かったですね!」
瞬時に取り繕うが、メガネは内心イメージダウンは避けられないだろうなと感じている。
「どうか無事にここから帰れるように、そして皆様へこのマイナスエネルギーが行かないように、ここで一旦お祓いをしておきましょう。 アステリ……アステリ……」
ライカはいつものように人差し指を両こめかみに当てて唱える。
≪メガネさんヤバいっす!≫
「森田くん? どうした!?」
メガネにだけ聞こえる専用回線で森田が叫ぶ。
≪視聴者数が一気に三十万人から五十万人に増えてます!≫
「ま、まじで? な、なんで?」
驚いた。 現実で起こっている事だが、明らかに現実的じゃない世界でヤラセっぽい。
こんなんじゃ見ている人も離れていくだろうなと頭の片隅にあったので、これは予想外だ。
≪特に、ライカさんのワンピースの布が破かれて太ももが露わになった辺りから急激に増えまくってますよぉ!≫
「……」
メガネはワンピースの裾が破けて白い太ももが露わになったライカを見る。 確かにこれは増えるな……と思った。
「――と、とりあえずここは相当に危険な世界って事がよく分かった……キャット!」
メガネはキャットへ呼びかける。
≪ああ、そのようだ。 十分に気を付けてくれ≫
「ばか! せめてこっちに来る前にこの世界の情報とか分からなかったの!? そうすれば武器とか色々準備できたじゃない! 戦えるか分からないけど!」
≪こっちからはその世界の情報は分からないんだ。 入った奴と交信するしか方法はない≫
メガネは一瞬「ライブ配信見ろ!」と、言おうと思ったが、たぶん消せと言われるだろうから言うのをやめた。
≪だが安心しろ、研究員の蘭はその建物内に居るはずだ。 早く奴を見つけ出せ≫
「私もそうしたいんだけどね」
「てかアイちゃん! ここヤバいよぉ! こんなところ命がいくつあっても足りないようぅ! 通報してもらお!」
「あ、いやライカさんちょっと落ち着いて――」
ライカは視聴者へ向かって訴える!
「みんな! ここは○○〇山の○○○○○から○へ○キロ○○○○○○○○○○○!」
メガネは頭を抱える。 とんでもない状況に身を置かれているとはいえ、屋敷に不法侵入している事を公にはしたくなかった。
「よし、これでみんな警察に通報してくれるはず! あの屋敷も、中から開けられないなら外から開けてもらえればいいもんね! あぁ……早く助けが来ないかなあ」
トントン。
突然、もたれかかる扉の向こうから誰かが控えめにノックする音が聞こえた。
「!?」
メガネはすぐに扉から体を離して距離を取る。
「な……誰?」
ライカも一瞬にして体を硬直させた。
トントン。
再びノックの音が聞こえる。 外に、誰か居るのだろうか?
「ノックをするって事は……ある程度知能がある存在ってこと……。 さっきのゾンビとは違うかも?」
「え……もしかして、例の探してる研究員さんじゃ……?」
メガネは恐る恐る扉に近づき、外の主に語り掛ける。
「もしかして……斎藤さん?」
「そうだよ」
男の声で、そうひとこと言った。
メガネは安堵し、ライカへ目くばせする。
「ここを開けてほしい」
男の声は尚もこちらへ語り掛けてくる。
「今開けます!」
メガネは鍵を開けて扉を開けた。
「ありがとう。 開けてくれて」
そこに立っていたのは――〝怪物〟だった。
背丈は二メートル以上で、顔はミイラのように干からびており、口からは細長い舌のようなものが垂れ下がっている。
真っ赤なコートを着ており、唯一コートからはみ出た手足はまるで女性の手足のように細く綺麗で、足にはハイヒールを履いている。 そして右手にはハサミを握っていた。
歪で不気味で、この世のありとあらゆる恐怖を集めたかのような、怪物だった。
「な、な、な……!?」
あまりの異様な見た目でメガネとライカは絶句する。
「アリガトウ……アケテクレテ」
怪物がもう一度口を開く。
その声は扉越しの声とは違い、まるでボイスチェンジャーで重たく変えられたかのように太く、聞く者の心臓を一瞬にして凍らせた。
――すぐにでも逃げなければいけない。 直感がそう訴えている。
しかし、二人ともまるで石にされてしまったかのように足が動かない!
「だ、誰ですか……?」
怪物は今度はメガネの問いには答えなかった。
その代わり右手に持っているハサミを掲げ、その切っ先をメガネに向ける。 ハサミが光に反射し、メガネの目を眩く照らす。
その光がきっかけになったのか、突然自分の足が動かせることを悟り、メガネは考えるよりも先に体を動かしていた。
怪物はハサミを物凄い速さでそれまでメガネが居た場所へ突き刺す!
メガネもライカも、その場から一気に離れる!
「誰ですか!? 誰ですか!? 誰ですかぁあああ!?」
メガネは何度も逃げながら怪物に問いかけるが、怪物は答えずに二人を追いかけ始める!
もちろんメガネも答えてくれるとは思っていない。 しかし頭が混乱して直前に自分が発した言葉しか出てこない。
二人は教会にある扉を開けて、二階へ続く階段を一心不乱に駆け上がるが、後ろから付いてくる怪物は下段から踊り場までその長い足を使って一瞬にして上がってくる!
「なんやあれ!? なんやあれ!? ねえアイちゃん!?」
「知らない知らない! とにかく逃げろぉおおお!」
上階に着き、長い渡り廊下を走る二人。
だが途中でメガネの足がもつれてライカと一緒に転んでしまう! 起き上がろうとしたその時、後ろから吐息が聞こえる――。
怪物が、もう目と鼻の先に迫っていた。
「「きゃぁああああ!?」」
二人は初めてホラー映画っぽい悲鳴を上げながら互いに抱き締め合う。
「そこまでだ! 魔女めッ!」
突然、渡り廊下の先から声が聞こえた。
怪物はその声に反応して顔を向ける。 メガネとライカも声の主を見る。
そこに居たのは――英国風のスーツに身を包んだ……美青年だった。
「邪悪なる魔女よ! この聖なる聖水で、討ち滅ぼさん!」
青年は手に持つ小瓶を化け物に投げる!
小瓶は一直線に怪物へ向かっていき――当たる! 小瓶は粉々に割れ、中の液体が一気に怪物と下の二人にかかった。
小瓶のサイズとは裏腹に、中に入っていた液体は非常に広範囲に拡散しまるでシャワーのように降りかかる!
「グガォォオオオオッッッ!?」
まさに断末魔と呼ぶにふさわしい怪物の絶叫と共に、怪物はその姿を消した……。
「た……助かった……?」
メガネはようやく身の安全を実感する。
「大丈夫ですか?」
青年が心配そうに声を掛けてくる。
メガネとライカはゆっくりと立ち上がり、青年を見た。
「――!?」
う、美しい……。
青年はメガネの直球どストライクな外見をしていた。
純粋で綺麗な瞳。 まるで子供のような愛らしい顔と声。 間違いない……ショタだ!
メガネの脳内にショタの三文字が埋め尽くされる!
「ショタ……?」
「はい?」
「あ……あなたがもしかして、斎藤蘭……蘭くん!?」
メガネは勢いよく立ち上がると青年に詰め寄る。
「ええ? あ……そうです。 ぼくが蘭ですけど……」
蘭と名乗った青年は訝し気に答える。
「子供!?」
「大人です」
「女の子!?」
「男です」
「男の娘!?」
「成人してます」
今まで創作界隈でしか見たことが無かった本物のショタに心を震わせるメガネ。 しっかりしろ。
「あなたたち……どこから来たんですか? こんな所で何を?」
「なにって、蘭くんを探しに来たんだよ! ほら! 〝お姉さん〟と一緒に帰ろ!」
「アイちゃん!? ちょ! 落ち着いて~!」
今にも蘭に抱き着きそうなメガネをライカは必死で止める。 そして改めて蘭を見ると、ライカは冷静な口調で聞く。
「斎藤さん? あなたを探しに来ました。 キャットとかいうアンドロイドにそそのかされてね。 あなたが元居た世界に帰りましょう?」
「あ、その前にお姉さんたち、体を拭いた方が良いかもしれません……」
「へ?」
二人は体を見る。
さっきの小瓶から出た液体だろうか……体中にヌメヌメした液体が絡みついているではないか。 ライカに至ってはワンピースが濡れて下着が透けて見えてしまっている。
「な、なんやこれぇ~!?」
「すみません。 魔女だけを狙って弱点である聖水を投げたんですが、あなた達にもかかってしまったようです。 でも心配しないでください。 人間には害はありません」
「だいじょうぶだいじょうぶ! 助けてくれてありがとね!」
メガネは絶叫するライカを尻目に蘭へ抱きついた。
「あの……拭いてからにしてくれませんか?」
≪メガネさん聞こえてますか!? 視聴者数が、視聴者数が……増え続けていますぅう!≫
森田の興奮する声は、メガネには届いていなかった。
――三人は一旦教会の一室に避難した。
メガネとライカは蘭が火を点けた暖炉のまえでタオルを被って服と体を温めている。
「最悪……シャワー浴びたい……」
青白い顔をしながらライカは体を震わせていた。
「――という事は、メガネさんとライカさんはCATの指示で?」
「そういうこと。 三人の研究員をそれぞれの世界で見つけて連れ帰って来ないと、私たちは屋敷から出られないってわけ」
一通り説明を終えると、蘭は顎に手を当てて考え込む。 その様子を見てメガネが聞く。
「ねえ蘭くん。 どうして帰らなかったの? しかも一ヶ月もの間……何か事情が?」
「帰りたくなかったからです」
しれっと言う蘭にライカはぶちっとする。
「ハア!? 何言うとんやワレぇ!?」
「ライカさん、配信中です」
メガネの注意に、ライカは慌てて口調を元に戻す。
「……どうしてそうお考えでぇ? というより、他の研究員の世界に行ったはずなのに何故あなたはこの世界に来てしまったの?」
蘭は椅子から立ち上がると、深刻そうな顔をする。
「最初は僕もすぐ帰ろうと思っていました。 でも、〝ドア〟はそう簡単にいく代物ではないということです」
「どういうことなの?」
「――人間誰しも現実逃避をしてしまうものです。 今の自分やこの世界ではない、どこか遠くの世界に行きたいと。 特に僕たちが住んでいた現実という世界は上手くいかないものです。 生き方も、望みも、中々思い通りにはいきません」
蘭は虚空を見つめる。 それは儚げで、とても美しい……と、メガネは思った。
「〝ドア〟は、人の精神を読み取って世界に作用させてしまうんです。 簡単に言うと、自分が望んだもっとも近い異世界へと連れて行ってしまう性質を持っているんです」
「つまり、この世界は蘭くんのもっとも行きたかった世界だったってこと?」
「そうです。 僕が望んだ異世界が、〝ここ〟なんです。 他の研究員たちもそれが作用してしまい、今回のような事故が連鎖的に起こってしまいました。 すみません」
自分の欲に反応して異世界に取り込まれたという事か……。
だが自分たちは無事にこの蘭が居る世界に来れた。 それは何故だろう。
「それは、イメージの強さです。 僕たちはこの職業柄、様々な異世界の可能性を日々夢想しています。 僕たちの現実世界のすぐ隣には、僕たちが望んだあんな世界やこんな世界がある。 『早くその世界に行ってみたい』 そういうイメージが大きくなりすぎて、〝ドア〟がそれを検知してしまうんです。 二人が無事にこの世界に来れたのは、まだそのイメージが薄かったからでしょうね」
「斎藤さん? こんなクソ怖い世界に行きたいとか悪趣味にもほどがありましてよ?」
ライカは配信を意識しすぎてか、キャラが少しブレてしまっていた。
「分かっています。 でも、自分自身が望むものなんて他人には分からないものですよね。 僕はこの世界を他の人にも知ってほしいとは思いませんし、良さを共感してほしいとも思っていません。 僕の場合はたまたま子供の頃から遊んでいたゲームが好きで、今回その世界観に近い異世界に来た……それだけです」
蘭の言葉にメガネは思い出す。 そういえば日記帳に似たような文面を見つけたな。
「待って蘭くん。 もしかしてこの日記帳を書いたのって……」
メガネはここに来る発端となった日記帳を取り出して蘭に見せた。
蘭は日記帳を見ると驚いた表情をする。
「これ、僕の日記帳じゃないですか! どこでこれを?」
「キャットが屋敷に誰かをおびき寄せるために外へ捨てたものだよ。 これのお陰で、私は君に会えた」
メガネは目をキラキラさせながら言う。
「ああ、はい……それはそれは……」
蘭は顔を引きつらせながら日記帳をメガネから受け取るとページをペラペラめくった。
「あれ? 記録モードになってる……しかも〝小説モード〟だ」
「記録モード?」
「はい、この日記帳……Ai搭載の〝自動筆記デジタル日記帳〟なんですよ」
「なんやその機能!?」
ライカのツッコミが静かな室内に反響する。
「普通の日記帳じゃないってこと?」
「そうです。 ある知り合いが開発中の新型電子日記帳を、僕がお試しで使わせてもらってたんです。 普通日記ってその日にあった出来事をただ淡々と書いていくだけのものじゃないですか。 この日記帳は自分で書く必要がなく、自動で書いてくれるんですよ」
便利な機能だな。 メガネは、昨今流行っている自動筆記電子メモ帳に似たものを感じた。
「Aiが人間の脳波や状況を分析してその事象を文章として分かりやすく記述してくれるんです。 ……ほら、僕の書いたページの後から、メガネさんを主軸にしてる文章になってますよ。 まるで〝小説〟ですね」
どれどれ……メガネは日記帳を受け取ると二ページ目から読み始める。
「うわ……本当だ! 編集部でこの日記帳を森田くんから受け取った時から細かく書かれてる! おもしろ!」
メガネはその後もしばらく読み進める。 読み進める度に面白い。
自分の感じた感情までも事細かに文章として表しているのだ。 新鮮な感覚だった。
そして横からライカが「見せて見せて!」と近づいてきた瞬間にバタンッと日記帳を閉じた。
「アイちゃんどうしたの?」
「いやいや、ライカさん! そんなことより、早くこんな所から出ましょう! で、蘭くんを無事に連れ戻さないと!」
ライカは釈然としないが、了承する。
「悪いけど斎藤さん。 私たち警察呼んだから!」
ライカがエッヘンという顔で蘭を見る。
「え、警察ですか?」
「そうよぉ? 実は私たち今、全世界にネットでライブ配信をしててね? このドローンカメラに向かってさっきみんなに通報をお願いした――」
「ライカさん!」
まさかのライカが言うとは思わなかった。 この会話はCATも聞いているのだ。
きっと配信を停止するよう言ってくるはずだ。 屋敷ごと消滅させられるのは怖いが、この状況で配信を終わらせるのももったいなさすぎる。
メガネはライカと口裏を合わせておけばよかったと後悔した。
「――残念ですが、警察は呼べません」
「どうして?」
「屋敷のセキュリティは完璧です。 このAi搭載のドローンやメガネさんのモノクル、そしてこの日記帳に至るまで、この屋敷に入った瞬間にハッキングされて屋敷のセキュリティシステムに掌握されます。 それらの映像や資料は外へ情報が流失しないように、居場所であったり、技術が流出してしまうような重要なものに対してはカバー映像や〝伏字〟を用いて徹底的に特定できないようにするんです」
「そんな!?」
ライカはメガネが持っている日記帳をひったくるように取ると、最新のページから数ページ前まで遡って自分がここの位置情報を視聴者に伝えている行を見る。
メガネはちょっとだけハラハラしていた。
「ほ……本当だぁ……!」
位置情報を伝えるセリフには、〝伏字〟がふんだんに使われていた。
「ん? アイちゃんどうしたの? なにか日記帳に――」
メガネはバッと日記帳を取る!
「配信映像も同じです。 たぶんみんな、映画やドラマのような気分でこの映像を見ているはず。 Aiがリアルタイムで数秒先の展開まで計算して非現実的な映像を作り出しますから、誰も信じないし通報なんてしないでしょう。 警察も動きませんよ」
がっくりと項垂れるライカ。 しかしムクっと顔を上げるとメガネに行った。
「そうだ! 森田さんは!? 森田さんから警察に通報してもらえれば――」
「ライカさん落ち着いてください! いいですか? 私たちがあと二人、研究員を救い出さなければ研究員はそのまんまですよ? ずっと助け出せないままです。 私たちだけ逃げ出すのは心が痛みません?」
「でもアイちゃん~」
ライカは泣きそうな顔でメガネを見る。 メガネはライカへそっと耳打ちする。
「配信中です……」
その言葉を聞いた途端、ライカは立ち上がって声高々に宣言する!
「あと二人の研究員、必ず助けなきゃ! 安心してみんな、私たちが必ず助け出すから!」
あぁ……配信者の鏡で良かった。 そして扱いやすい女だなあ、とメガネは思った。 そしてこの〝思い〟もきっと日記帳の〝ト書き〟に書き込まれるんだろうなあと思った。
「てわけで、斎藤さん! そうと決まれば早く帰りましょう!」
「いえ、その前に……やらなくてはいけないことがあります」
蘭は立ち上がって、さっき怪物に投げつけたものと同じ小瓶を見せる。
「あの魔女を……倒さないと」
「え……どういう……?」
「さっき二人を襲った怪物は魔女の手下です。 魔女は……恐ろしい存在です。 人々を黒魔術によってゾンビにして、この世界を自分の配下で埋め尽くそうとしているんです。 なんとしても止めなければいけません!」
ライカは開いた口が塞がらない。 何を言ってるんだこいつは? といった顔で蘭を見つめる。
「約束したんです。 魔女の追撃を逃れ、魔女を倒すために研究していた博士、ロバートと! この聖水は、博士が十年間研究を重ねてようやく生み出した、魔女を倒す薬です! ロバートは僕にこの薬を託した後、魔女に掴まってゾンビに変えられてしまいました……。 魔女を倒せば、ゾンビの呪いも解けてみんな元通りになれるんです! ですからどうか――」
「あ~はいはい~それは大層な決意ですねぇ斎藤さん~。 でも私たちはあなたの趣味に付き合ってる暇はないんですよぉ~。 こんなところ早く出たいしシャワー浴びたいし明日は配信もしなくちゃいけないしあなたの好奇心に付き合ってる暇は――」
「しょうがないな……蘭くんの満足するまで、私も協力するよ」
ライカはメガネの言葉にぎょっとする。
「アイちゃん~!? なんかさっきから斎藤さんに甘くないですかぁ!?」
メガネはきょとんとした顔をする。
「いや、そんなことは? てかライカさんさっきの話聞いてました? こんな地獄みたいな世界が、あと少しで終わると考えたらちょっと協力してあげたいなとか思いません? 普通」
「ええ……うう……」
全く思わない。 ライカは心底そう思った。
しかし、配信中という呪いが彼女を苦しめる。
何か物申したければ配信の音声をオフにしてもらえればいいだけなのだが、音声オフ機能がある事を彼女はここまでの災難で頭からすっぽり忘れてしまっていたのだ。
沈黙は肯定だと勘違いした蘭は嬉々とした表情を浮かべる。
「ありがとうございます! ライカさん! そしてメガネさん! 時間は取らせません。 魔女の本体は、〝ドア〟の近く。 あの広場の火柱にあります。 ゾンビたちをかいくぐり、あの炎の柱にこの小瓶を投げ入れれば、魔女は倒せます!」
「かい……くぐる、やて?」
ライカの頭は絶望で埋め尽くされる。
「さあ! さっそく行きましょう! 大丈夫! 僕についてくれば安心です」
「行こう行こう!」
物凄い軽いノリで蘭に付いていくメガネに困惑しながら、ライカも何とか二人の後を追おうとする。
「ちょ……二人ともぉ……うッ」
突然、ライカは急にその場に倒れた。
「ら、ライカさん!?」
メガネがすぐに駆け寄り、ライカを抱きかかえる。
「どうしたんですかライカさん!? 怪我!?」
「う……うぅ……」
ライカは苦悶の表情でうめき声をあげる。
「ちょっとどいてくださいッ!」
蘭は慌てた様子でメガネを押しのけてライカを抱き寄せる。
「まずい……! 太ももの辺りを見てください! 引っかかれてる!」
破れた裾から出ている太ももを見た。 確かに、ひっかき傷がある。 恐らくさっきゾンビにやられたものだろう。
「もしかして、嚙まれたり引っかかれたりすると感染する……的な?」
「そうです……」
蘭の表情は深刻だ。 かなりまずい事なのだろう。
「ど、どうすればいいの!? 助ける方法は!?」
「安心してください……あの手を使えば……!」
「あの手……?」
蘭はおもむろにライカの唇へ〝キス〟をした。
「ええええええええええ!?」
メガネの心臓はショックで止まりそうになる……。
「――ん……?」
しばらくその状態が続き、ライカが目を開いた。 そして唇の感触も十分に伝わり――。
ドガッ!
鈍い音が室内に響き蘭が吹っ飛ぶ。 ライカの怒りの拳が蘭の体へ放たれた。
「なにさらすんじゃこのクソガキがぁあああああッッッ!?」
「蘭くん!? えええええええええ!?」
「――無事で、何よりです……」
腫れたほっぺを優しくさすりながら、蘭は涙目で言う。
「僕の体には何故かゾンビ耐性があって、ゾンビ化してる人間にキスをすると元に戻せるんです……」
「まあ状況が状況や。 でも今度キスしたらただじゃ済まんから覚悟しぃや!」
やばい、怖い。 メガネのライカを見る目が少しだけ変わった……と同時に、私も引っかかれとけば良かった~と少し後悔するメガネであった。
{ライカちゃん強烈すぎるw} {アニメみたいにぶっ飛ばされたw} {おれも殴ってくれ}
――それから何とか三人は火柱の広場までゾンビの目をかいくぐりながらやってくる。
先導していた蘭が立ち止まり、作戦説明をはじめた。
「周りにゾンビが居ますが、一気に走ってこの小瓶を炎の中に入れます! その時点でみんなの呪いが解けるでしょう! 問題はそのあと!」
「そのあと?」
「魔女の〝本体〟が登場するはずです。 そしたら、あれを使って倒します!」
蘭が指さすその先にあったのは――〝ガトリング砲〟だった。
何故か広場の端に火柱の方を向いて設置されている。
「〝聖なるガトリング砲〟です!」
これ以上ないほどドヤ顔で言う蘭。
「あのガトリング砲の弾は〝銀〟で出来ているんです。 それなら、邪悪なる魔女も討ち滅ぼすことができます!」
「アイちゃん、この異世界さ……なんか色々混ざってない?」
「シッ……! ご都合主義はこの際目を瞑りましょう。 都合が良いのに越したことはありません……!」
「さあ! 準備はいいですか二人とも!」
蘭はメガネとライカの顔を見る。 二人は無言でうなずいた。
「僕に続いて――行くぞぉぉお!」
三人は火柱へ向かって全速力で駆け出す!
ゾンビたちも三人に気づき走り寄ってくるが、不意を突かれたゾンビたちは火柱への蘭たちの接近を許してしまう!
「よし! 今だッ!」
蘭は叫ぶと、小瓶を野球の投手のように一直線に投げた!
パリンッ!
――炎の中で小瓶が割れる!
炎は赤から黒に変わり、中からこの世のものとは思えない咆哮が聞こえる!
「やった! これで魔女の本体が現れます! ガトリング砲を!」
炎はその形を変えておぞましい肉の塊のような姿になった。
その塊には無数の〝目玉〟が付いており、その目玉すべてが三人をぎろりと睨んだ!
「ひぃ!?」
ライカが短い悲鳴をあげた瞬間――塊は三人へ向けて塊から鋭い触手のようなものを物凄いスピードで伸ばしてきた!
「ぎゃぁああああ!」
メガネが触手に絡め取られ、上空へと持ち上げられてしまう!
「ぎゃぁああ! きもいきもいきもいきもいッ!」
メガネは触手を振りほどこうとするが、その力は凄まじく逃れることが出来ない!
「アイちゃんッ!?」
「うわぁああああ!?」
続いて蘭も触手に絡め取とられて空中へ持ち上げられてしまう!
「お前もなに掴まってんねんッ!」
なぜか蘭にだけは厳しいライカ!
「ライカさん! お願いします! ガトリング砲を!」
蘭が空中でぶんぶん揺さぶられながらライカへ叫ぶ。
「くぅおんのぉおおお!」
魔女は何故か二人を捕まえて満足そうにしている。 ライカはその隙を逃さなかった!
ガトリング砲の台座に素早く座り、撃ち方はよく分からなかったが〝何となく発砲できそうなスイッチ〟を押す!
銃身が回転し、ガトリング砲の銃口から弾丸が何発も発射される!
「よし! いけるでぇええ!」
扱い方は分からなかったが、とりあえず撃てることは分かったので次は狙いを定める。
持ち手を動かし、撃ちながら軌道を修正する。
「斎藤さん! あの目を狙えばええんやな!?」
ライカはいかにも弱点そうな魔女の無数の目玉を撃ち抜きまくりながら聞く。
「――ライカさん!」
「なんや!」
「……目玉は特に弱点じゃありません!」
「紛らわしいわぁあああ!」
絶叫しながらライカは魔女へ何千発もの銃弾を浴びせた。
――そして。
「グボォォオオオオッ!」
魔女はおぞましい咆哮をあげながら爆散する! メガネと蘭はその衝撃で地面へと投げ落とされたが、幸い無傷で着地できた。
怪物が爆散した後に残ったのは、朝日に照らされた街の風景だった……。
――それからどれだけ過ぎただろうか。
かつてゾンビだった街の人々が意識を取り戻してゆっくりと立ち上がり、三人を見る。
その一瞬後に大歓声が起き、三人の元へ今度は〝人〟として集う。
三人は街の人々によって抱えられると、歓声と共に胴上げされる。
「「俺たちの世界を! 魔女から救ってくれてありがとう!」」
街の人々の歓声はしばらく止むことはなかった。
「メガネさん、ライカさん」
蘭はロバートっぽい奴に話を済ませると、改めて二人の前に立つ。
「ありがとうございます。 二人が居なかったらこの世界を救えませんでした。 感謝してもしきれません」
蘭は深々と頭を下げた。
「良いんだよぉ蘭くん! 困ってる時は、お互い様!」
メガネがニヤニヤしながら蘭の肩を叩く。
「早く帰ろうよぉ~! もうここでやることは終わったでしょ~?」
ライカは〝ドア〟の前でスタンバっていた。
「そうですね!」
蘭は朝日を見る。 太陽は、希望の明日へ向けて堂々と輝いていた……。