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口直し(グラニデ)

「うん、これで良さそうだ」


 一口味見をするとすぐに皿に盛り付ける。カナルが屋敷に来て既に七年の月日が経っていた。貧弱な少年だった見た目は、精悍な顔つきの青年になり、今も厨房で各々に指示を出している。


「それは後30秒後に出してください。奥様とご当主様の食べる速度に合わせてますので」


 そう使用人の少年に丁寧に話すカナル。料理長のバンスに料理を教えて貰い始めたカナルはぐんぐんと実力を付けていった。


 それはそうだろう。一度食べれば食材の味や特徴を忘れず自分の頭の中で自由に組み合わせて決められるのだから、後は当人の技量だけなのだ。


 その技量もバンスがしっかりと教え込んだお陰で世界一とまではいかないが、その辺の料理人とは比べ物にならない程の腕になっていた。


 初めはカナル自身に料理へのやる気が余り無く、バンスが熱心に教えてくれるのと、カエルの親分の命令と言うことで渋々やっていたが、ある時


「私もカナルの料理が食べたいわ!」


 と、天からの一声でカナルのやる気に火が着いた。今まではお嬢様には与えて貰うばかりだったが、今回は自分の努力次第でお嬢様に喜んで貰えるかもしれない。


 お嬢様の数少ない楽しみのうちのひとつ、食べることに関われるかもしれないと思い至ってしまえば、カナルを止められるものは、もういない。


 最初は嬉々として教えていたバンスも朝も昼も夜もずーっと質問や疑問をぶつけてるカナルに少々疲弊していた。


 しかし、始めたのは自分なのだからと、嫌がらずにしっかりと教え込んでいる。その甲斐もあって、料理の完成度もぐんぐん上がっていったのだった。


 そして、テレシアに初めてカナルの料理を出す日が来るとカナルは今まで感じた事が無い程の緊張に見舞われた。


 今まで自分で作ったものを誰かに食べさせたのは、バンスとサランさん、それにペルおじさん位のもので、後の人たちは貧民街のガキが作った物など積極的に食べようとはしなかった。


 食べた人間からは全員絶賛を貰ったが、テレシアが美味しくないと感じれば何も意味がない。それにテレシアならば、不味くても美味しいと言いながら食べてしまう可能性だってある。


 料理を習い初めてからも、何とかして時間を見付けては毎日テレシアとの会話だけは絶やさなかった。


 テレシアはカナルの仕事量を心配して、最初は無理しなくて良いと言っていたが、逆にカナルがこの時間がないと生きてる意味がないとまで言われればその後に言葉は続かなかった。


 この七年で色々と変わった。可憐な少女だったテレシアもカナルから見れば絶世の美女になっていた。相も変わらずこのフォルタの街の連中は見る目が無いようだが。


 テレシアへの嫌がらせも大人となったテレシアに対しての物となり、一部下卑た声をかけてきたりする者なんかも出てきた。


 カナルが一緒にいる時は余りないのだが、一人でいるとやはり奇異の目で見られる。そんな奴には眼力だけで人が殺せるんじゃなかろうか?と言うほどの目線を向けてやればそそくさと逃げていく。


 カナルはこの七年である程度理解したのだ。陰口や嫌がらせを、こそこそやる人間は根本的に弱い人間なのだと。


 自分より下の者が居ることに安心し、その者を蔑むことでちっぽけな自尊心を満たしているのだ。


 そして今、自尊心処かこの世界そのものだと思っている人に自分が作った料理を食べさせる。


「……こちら、トマトのスープです」


 トマトはカナルにとって特別な野菜になった。初めてテレシアに手渡されて食べた時の衝撃が今でも忘れられない。


 最初はもっと高級な食材や凝った調理法が良いのではと考えたが、自分が一番美味しいと思うものを食べて貰いたいと言う想いから、トマトのスープと言うシンプルな料理にしたのだ。


 具材はトマトとタマネギ、そしてベーコンだ。そうあの時最初に作ったまかない料理と同じ具材のスープ。


 あの時とは比べ物になら無い程料理の腕は研鑽されて、あの疎らに切られた具材ではなく、切り方にも拘られた逸品だ。


「それでは…いただきます」


 カナルの緊張が伝わったのか、テレシアも少し緊張しながらスプーンでスープを掬う。


 その様子を見るカナルは、今にも口から心臓が飛び出しそうな勢いで鼓動を打っている。


 緊張し過ぎて今にも倒れそうなのだが、もしかしたらお嬢様が喜んでくれるかもしれないと言う期待が、何とか意識を繋ぎ止める一助となっていた。


 すっとスープを掬い、領主の娘として相応しいく上品に口へスプーンを近付ける。勿論音など発てずに一口ごくりと味わう。


 テレシアは混乱していた。口の中で今まで感じた事の無い程の調和があったのだ。全ての食材がひとつに感じられる程の調和。


 トマトやタマネギを使っているのは分かるのだが、このスープはこの料理ひとつで整いすぎている。初めからこの味で世界に有ったのでは無いかと疑う程に。


 しかし、カナルは頭の中で自分が何故お嬢様に料理を出してしまったのかと後悔していた。お嬢様は一口スープを啜るとピタリと止まって動かなくなってしまっていた。


 ああ、これはダメだったんだろうとカナルは思う。お嬢様程の地位に居るのだからトマトのスープなんて出すんじゃ無かった、いや、そもそも自分などが作った料理を出したこと事態間違いないだったのだと。


 どうやってお嬢様に御詫びしようか?いや、御詫びで済むことでは無いんじゃ?と自分の進退や命にまで考えを巡らせていたカナルにいきなり抱き付いてきた人がいた。


 ガバッ


「凄い!凄いです!カナル!貴方は料理の天才です!こんな美味しいスープを飲んだのは初めてですよ!あぁ、凄い!もっと味わいたいのだけど、先にどうしてもカナルに伝えたくて!カナル、私の元に来てくれてありがとう!私はこの世界で一番の幸せ者です!」


 領主の娘としては従者に抱き付く等有ってはならないのだが、ここにはバンスとサランしか居ないし、肝心のカナルに関しては……


「あれ?カナル?どうしました……?」


 嬉しさと緊張と……やはり嬉しさが限界に達して立ったまま気絶していた。


 しばらくして気絶から戻ったカナルは、やはり嬉しさが顔に出ていた。普段はお嬢様の前以外では表情を出さないカナルが自分の口がニヤけるのを抑えられずに指で強引に戻している。


「しかし、これはすげえな。今まで食べたカナルの料理の中でも群を抜いて旨い」


「そうですね、今まで手を抜いていたと言うことは無いでしょうけど、やはりカナルにとってお嬢様に出す料理は特別なのでしょう」


 バンスとサランもスープを少し飲ませて貰ったが、今まで食べたり飲んだりした物の中で断トツの美味しさだった。


「カナル、本当に凄いですよ。私の誇りです」


 スープを飲みながらずっとこの調子でカナルを褒めるテレシアに対して


「い、いえ、お嬢様が居てくれるからこその自分です」


 と返すのが精一杯のカナル。内心では今すぐここで踊り出したい程だが、流石にお嬢様や他の人達の前では恥ずかしい。


 お嬢様は食が細い方で余り食べないのだが、カナルのスープは三回もおかわりをして本当に美味しかったのだと言葉だけではなく行動で示した。


 やっと興奮から覚めたテレシアはカナルにそっと近付いて手を握る。


「……こんなに手が荒れて…一生懸命頑張ってきたのですね。カナル、迷惑ではなければお願いしたいのです、私の料理はカナルが作ってくれませんか?」


「お、お嬢様!」


 声をあげたのはサランだった。正式に料理人でもない人間に毎食作らせるなど、領主一家の一員として許される事では無いだろうと言う思いからだ。


「サラン、大丈夫です。私が直接お父様と話します。もしダメなら諦めますから」


 そう言われると引き下がるしかないサランはじつとカナルを見詰める。


 カナルはふと、お嬢様と出会った時の事を思い出していた。そう言えば最初もサランさんはじっとこっちを見ていたっけと。


 でも、カナルの中で答えは決まってる。自分に出来ることはお嬢様の為ならば何だってすると。だってこの世界はテレシアに貰ったものなのだから。


「はい、お嬢様喜んで」


 ここからカナルの料理人の道は始まった。


 領主のカエルの親分はと言うと、出来損ないの娘の食事を貧民街のガキが作るなんて傑作だと悪意ある笑いで了承した。


 そして今から四年前、カナルが屋敷に来て三年が経った頃、バンスが心の臓を悪くして屋敷から追い出された。


 サランやカナル、テレシアも出来るだけ掛け合ったが、身体が悪くなった料理人など不要と領主はバンスを紙くずの様に捨てた。


 屋敷を出る時バンスは恨み言ひとつ言わずに


「カナル、お前には才能がある!それをしっかりと磨け!」


 と言い残して去っていった。サランやテレシア、ペルストスにも個別で別れを告げた様子で、それはもうあっさりと屋敷から姿を消した。


 しかし、料理人が居ない領主邸など有ってはならぬと大急ぎで街一番の腕を持つと言われる人物をまたしても領主の力と金を使って雇い入れた。


「どうも初めまして、ダンケルと申します」


 ダンケルと名乗った男は尊大な態度の男だった確かに料理の腕は良く、手際も素晴らしかったが領主への態度と使用人や立場の低い者への態度があからさまに違った。


 特にカナルの料理を食べてからはカナルへの当たりが酷く「貧民街の者が料理等と…」とカナルの目の前で不躾に言葉を発する事も多々あった。


 しかし、やはりカナルの腕は惜しいらしく、良くカナルを観察してどうやってあの味わいを出しているのかを探ろうとしていた。


 けれどもカナルのやっていることは不揃いのパズルを綺麗に揃えろと言ってるようなもので、そこに合うパズルが有るかどうかも分からない人間には到底真似出来なかった。


 そしてダンケルが屋敷に来て一年と少しが経った頃カナルに声を掛ける。


「カナル、今日の晩餐で一品作りなさい」


 ダンケルにそう言われたカナルはお嬢様の料理のついでにだと一品だけ魚料理(ポワソン)を作った。


 そしてその料理はダンケルが作ったものだと言われ領主一家は大いに驚いた。今までダンケルの料理は旨かったが、この魚料理(ポワソン)は今まで食べたことのない程旨いと。


 そんな事を知らないカナルは今日もテレシアにせっせと料理を運ぶ。たまにテレシアの要望でサランやペルストスの分を用意して一緒に食べたりもしていた。


 そんな時テレシアは決まって


「皆が本当の家族なら良いのに」と、珍しく弱音を吐くのだった。


 そして、それからダンケルの要求はエスカレートしていき、そのうち全ての料理をカナルが作るようになっていた。


 調理場では椅子に座り只見ているだけのダンケル。領主一家が調理場に入ってくる事など殆ど無くバレることは無かった。


 その内にダンケル、もといカナルが作った料理は貴族の間で大いに話題になる。


 やれ、天上の調和だの、やれ至福の味わいだのそれはもう凄い盛り上りで、カエルの親分も鼻高々である。


 ダンケルも評判が上がるにつれてどんどん態度が大きくなりカナルが料理を作っているにも関わらずより酷くカナルを詰るようになっていた。


 その態度は嫉妬が大いに有ったのだろう、言われるのは育ちの事や料理をさせてやっている自分が如何に慈悲深いかなどで、料理の味については一切文句は言われなかった。


 そして今、屋敷に来て七年が経ち、大きく事が動こうとしていた。ある日屋敷のホールに使用人達や領主一家を全員集められカエルの親分が鼻高々に宣言した。


「この度我が家の料理を国王様と王家の方々が、わざわざ御召し上がりに来られる。これは大変名誉な事なのだ!決して粗相の無いようにするように」


 カエルの親分の顔からは喜色が溢れだしていたが粗相の話の時だけは凄い迫力で話していた。本当に何かあるのが怖いのだろう。


「そして!その料理を作っているダンケルには特別に王と王家の方々に料理の説明をする栄誉を授ける!」


 カエルの親分がそう言うとダンケルはすっと領主に近寄って


「有り難き幸せで御座います」


 恭しく頭を下げるのだった。他の使用人は料理をしているのがカナルだと言うことを知っていたが、ある者はダンケルが怖く、ある者はカナルが褒められるのを嫌がったりと誰も真実を話さなかった。


「それと…テレシアお前は後で私の部屋に来なさい」


 重々しい声でテレシアを呼ぶ領主にカナルは嫌な予感しかしなかった。


 焦れったいがお嬢様に着いていって領主の話を一緒に聞くわけにもいかず、歯痒いながらテレシアの部屋でサランと待つしかないカナル。


 数分が何時間、いや何日にも思える程時の進みが遅く、テレシアが部屋に戻った時にはカナルは疲れきっていた。


「あら、カナルにサラン?待っていてくれたの?」


 二人の不安を余所に何時も通りのテレシアに少しだけほっとするカナル。しかし、テレシアの瞳の奥が揺れている事に気が付いた。


「お嬢様、ご当主様からのお話とは一体?」


 サランも気が付いたのかテレシアに尋ねる。


「私、ラインバッハ伯爵の家に嫁ぐことになりました」


 お嬢様が嫁ぐ?カナルは混乱していたがそれ以上の反応を見せたのはサランだった。


「ラインバッハ伯爵ですか!?あの、吸血伯爵と言われている!?」


 吸血伯爵とは物騒な表現だと思いながら話を遮らぬ様に聞くカナル。


「えぇ、その吸血伯爵です」


 それを聞いたサランの顔からは血の気が引いていた。


「そんな……まさか、あの方はもう70を過ぎたご老人ですよ!?それに何人もの妻を殺してると噂ではないですか!何故その様な人の元へお嬢様を…」


 そう言いながらサランは考えた。


「そうですか、王家の方々が来られるからと、体良く売られた訳ですね吸血伯爵に」


 カナルも理解した。王家の人間が屋敷に来て万一フォルタ家の汚点だと思われてるテレシアが見られでもしたら、王家からの印象も悪くなると考えたのか、あの野郎は。


 そしてよりにもよって嫁がせる先が妻を殺してると噂のある家なのだと……カナルは怒りで目の前が赤く染まった。


「もう我慢の限界です、お嬢様、私が領主様にお話ししてきます。今回は事はあんまりです。お嬢様は誰にも迷惑を掛けずに──」


 その言葉を遮る様にテレシアは


「いいえ、サラン私がフォルタ家の役に立てるのであれば構わないのです。出来損ないの私でも嫁に貰っていただけるのであればこれ程の喜びはありません」


 そう言うとサランの手を取り静かに声を掛ける。


「サラン、貴方は最初から私の味方でしたね。お母様が亡くなった時もお義母様や兄弟達に苛められてもそれでもずっと私の側にいてくれた…」


 気丈に話していたテレシアも感情が溢れだすかの様に目から大粒の涙をポロポロと流す。


「サランだって私を庇えば立場が悪くなるのに、それでもずっとずーっと味方で居てくれた」


 サランも溢れ出す涙を止めることが出来ない。


「私は大丈夫です。きっと全てうまくいきます。きっと、きっと……」


 それはこの先の不安をかき消す様に、或いは少しでもこの先の安らかに居られるようにと願いが籠められている様だった。




 しかし、一人だけ違う感情を持つものがこの部屋に一人だけいた。


 何故俺の世界が他の人間にこれ以上苦しめられなければいけないんだ?彼女が何をした?彼女は善良で慈悲深く、美しく気高い女性だ。


 けれども、この屋敷や街の人間の殆どが彼女を悪し様に詰る。



 世界が彼女を救わないなら



 俺が彼女(せかい)を救ってみせる。

 

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