魚料理(ポワソン)
ひょんな事から領主邸の納屋に住まわせて貰える事になったカナルだったが言葉遣いや立ち振舞いは徹底的にサランさんに矯正された。
サランさん曰く「カナルが不甲斐ないとお嬢様により一層の非難の目が向かいます。それを私は決して許しません」と、はっきり言われた。
カナル自身にとっても自分のせいでお嬢様が傷付いたり悲しんだりするところは見たくないと言う思いは強くあったので、こちらも寝る間を惜しんで勉強に励んだ。
その甲斐もあって領主邸に住み初めて半年も過ごせば、他の使用人と然程変わらない程度には礼儀作法も身に付いた。
ここでカナルの生い立ちについて話そう。話すと言っても然程難しい事はない。何歳か分からないが親に捨てられて、そのまま貧民街でゴミを漁って生きてきたのだ。
では何故小さな子供がゴミを食べて生きていけたのかと言うと…
「これはなんでしょう!」
「これは……リリエス海の塩ですね多分…前に食べたトウモロコシを茹でた時に使った残りですか?」
目隠しをされた状態でカナルに何かを食べさせているテレシア。見る人が見れば怪しい状況に見えるかもしれないが
「すごい!何で分かるの!?」
カナルは嗅覚と味覚が尋常では無いほど鋭かった。一度食べた物の味は忘れないし、教えて貰えれば産地まで分かる。
そんな特異な体質が貧民街ではすこぶる役に立った。腐った食べ物に手はつけないし、見た目だけでは分からない食材の傷みも分かる。
カナルが持ってくるものを食べれば腹を下さないと目を付けたのは勿論周りの大人だった。時には褒め称えて、時には強く脅しカナルに食べられるものを持ってこさせていたのだ。
テレシアが見た時の光景は強く脅された時の光景だった。何時もはあそこまで過激にはならないが偶々男の機嫌が悪かった為にあそこまで暴力がエスカレートしたのだ。
そして今カナルは困惑しながらもお嬢様が喜んでくれると言う一心で意味の分からない目隠し産地当てゲームをやっている。
「あ、あのこんな事してて良いんでしょうかお嬢様一応仕事は終わってますが大事な食材をこんな風に…」
カナルとしてはお嬢様が喜んでくれるなら別に良いのだが、サボってると思われたり食材を無駄にしてると思われると余計にお嬢様の立場が悪くなると考えてる。
サランさんに怒られるのが一番怖いと思ってるのは内緒だ。
「え?だ、大丈夫です!……サランには黙っていましょうね?カナル」
考えることは同じだとクスリとカナルが笑うとテレシアもクスクスと笑い始める。カナルが考えるこの世で一番尊い時間だ。
転機は突然訪れた。
「何だかこの料理変な匂いがします…食べない方が良いんじゃ無いでしょうか?」
カナルの仕事は多岐にわたる。テレシアの従者とは名ばかりで、実際は屋敷の下働きと同じ様な扱いだ。
勿論調理場にも駆り出される。今日はカエルの親分と第一婦人の結婚記念日だそうで、屋敷の調理場はさながら戦場の様に慌ただしい。
カナルも料理を運ぶのに大忙しだったが、ふとひとつの料理から奇妙な匂いがした。貧民街でもたまにあるどんなにお腹が空いてても決して手を出してはいけない匂い。
それが領主一家の料理の皿から漂ってくるではないか。言っても良いものか迷ったが一応領主の娘としてテレシアも料理を食べるかもしれないのだと、思い直しサランさんに声を掛けた次第である。
「どの料理ですか、カナル?」
サランはカナルとテレシアが目隠しで食材の産地を当てると言う普通は出来ないような遊びをやっていることを知っている。
その根本にカナルの嗅覚と味覚の圧倒的感度だと目星を付けてはいた。そのカナルが料理から変な匂いがすると言えば確認くらいはする。
「あれとあれと…あれからもです」
カナルが指差した料理は見事に領主と第一婦人、そして第一婦人の子供で次期当主の料理が乗った皿だった。
「ちょっと待ちなさい」
料理を持っていこうとした下働きの者のを呼び止めるサラン、ビクリと止まった下働き達は何か粗相をしたかと緊張が走る。
「そちらとそちらの料理をこちらへ持ってきなさい」
指を指しながら料理を持つ下働きに持ってこさせる。見た目だけでは全く分からないが、一応の用心の為にと作った料理人を呼ぶ。
「バンスさん、この料理は貴方が作ったんですか?」
バンズと呼ばれた男は忙しそうに動きながら
「あ゛?そうだか?何か問題があんのか?仕上げは……ルッツ!お前に任せたよな」
料理人より剣闘士の方が向いているんじゃないかと言う風貌のバンスは怒鳴り声にも似た声でルッツを呼ぶ。
ふとサランさんと呼ばれた方のルッツを見ると明らかに目を泳がせて尋常じゃない程汗を掻いている。一目で怪しい人物だ。
「ルッツ、こちらへ来なさい!」
サランに呼ばれたルッツは足元も覚束ない様子でこちらへ向かってくる。
「ルッツ、この料理は貴方が仕上げたのね?」
「………………はい」
下を向いたまま今にも消え入りそうな声で答える。
「この料理……食べてみなさい」
サランはそっと調理場に置いてある皿をルッツの方へ動かす。
「い、いえ……これは領主様達の為につ、作りましたので……私なんかが、た、食べて良い物では……」
しどろもどろになりながら言い訳を並べ立てるルッツに向かって料理の置いてある台をダンッ!と叩きながらサランは
「私は!食べろと言ったのです!責任は私が取ります!!」
そこでルッツは観念したのか
「あ、あいつが……あいつのせいで!!俺の婚約者を弄んで飽きたら死体になって帰って来たんだぞ!!何でアリシアがあんな目に遭わなければいけないんだ!!あんな奴なんか……死ねば良いんだ……」
膝から崩れ落ちながら床を叩いて叫ぶルッツを誰も取り抑えようとはしなかった。屋敷で働いてる者は多かれ少なかれ領主一家の理不尽に晒されてきたのだから、気持ちは…分かるのだ。
「だから毒を盛ろうなどと……誰か!衛兵を呼びなさい!……領主様には後で私が知らせます」
第一に領主に報告では無いのかとカナルは思ったが、ふと考え直した。衛兵に引き渡されれば領主を毒殺しようとしたのだから間違いなく死罪だろう。
しかし、領主に報告した場合は…簡単には死なせてくれないかもしれない。サランさんは最後の慈悲で先に衛兵に知らせたのだろうか?
そんな事を思いながらじっとルッツを見詰めていた。
「カナル、よくやりました……これで貴方は…」
良くやったと言う割には歯切れの良くない言葉を吐くサランを不思議に思いながらその日は過ぎていった。
その日からカナルは領主より食材の吟味を言い渡された。カナルの味覚と嗅覚の話を聞いた領主の鶴の一声だった。
朝から市場へ出向き領主一家の食べる食材を買い付ける。帰れば食料貯蔵庫にある食材の管理や、調味料の劣化具合等も見なければならない。
必然的に朝から晩まで食材と向き合う事で更に食材への理解を深め、より良いものを見定めることが出来るようになっていった。
しかし、カナルはとても不満だった。それは勿論テレシアとの時間が極端に減ったからだ。
カナルも時間を見付けてはテレシアの元へ行ってはいるが、やはり仕事はしっかり終わらせないと自分の為にもそして、自分を救ってくれたテレシアの為にもならない。
屋敷や市場を行ったり来たりして、屋敷の中でもすばしっこく動き回るカナルに対して、テレシアは部屋で日がな一日本を読むことなどが多い。
身体も決して強くないテレシアがカナルの仕事に付いていくのは現実的ではないし、逆にカナルがテレシアの側にずっと居ることも出来ない。
そして二人の時間はすれ違い、夜の夕食が終わった後の少しの時間だけが、二人っきりの時間となっていた。
「カナルはあれからずーっと大忙しですね?」
全く険も無く純粋にカナルを心配して出た言葉にカナルは言葉を詰まらせる。
「…………っ!わ、私は本来お嬢様の従者なのに…ずっと側を離れずお嬢様に尽くす事を許されて居ない自分が恥ずかしいです…」
カナルはこのままテレシアとの時間が減り、テレシアもそれを受け入れて自分の世界の全てであるテレシアから見放されるのが死より何百倍も怖かった。
一度世界を諦めた自分にもう一度世界を与えてくれたテレシアにどうやって報いようかと考えて一所懸命に頑張ってきたが、この頃、本当にこのままで良いのかと考えることがある。
屋敷の仕事をどれだけ必死にやっても上がるのは領主の評価と自分の評価だけで、テレシアの評価が上がることはない。
今もテレシアへの小さな嫌がらせは続いているし、使用人の態度だって一部の人を除けば明らかに悪い。
どうしたら良いのかと悪い頭で考えてみるがそう簡単に浮かぶものではなく、いつもの忙しさに押されて考えが纏まらない。そんな風に考えていると、俺の顔を覗き込みながらお嬢様は
「カナルは何時も頑張っていて偉いですね、カナルが褒められると自分が褒められたようで私もとっても嬉しいんですよ。私はフォルタ家の出来損ないですけど、カナルを見付けたことだけは、誇れます!」
そう眩しい笑顔で言われたカナルは胸が熱くなりテレシアの顔を直視出来ない程に喜びを感じていた。
自分の唯一の世界に誇られた。
自分を見付けたことを誇ってくれた。
あの何もない暗闇の中に差した白い光。
「ああ、お嬢様…俺は、そのお嬢様と一緒なら…」
何処へでも…そう口から言葉が零れ堕ちそうになった瞬間
コンコンッ
「お嬢様?カナルは居ますか?」
部屋の扉がノックされ、サランさんの声が聞こえる。主人に対して余りにも不敬な想いを吐露しそうになったことに焦りながら、あのまま言葉を
続けていたらどうなっていたかの想像でまた胸が熱くなる。
「どうぞ入ってサラン、カナルなら中にいるわ」
そうテレシアが告げるとすっとドアが空く。サランさんも俺がこの時間には、お嬢様の部屋に居ることを知っているし、流石に俺がお嬢様に何かするとは思ってないだろうから、普通に入ってくる。
「やはりここですかカナル、実はカナルに新しい仕事をさせよと、当主様からのご指示がありました」
サランさんの言葉にカナルは少なからず落胆する。今の仕事量でもお嬢様に会う時間が少ないと感じてるのに、更に仕事の量が増えればこの少しの時間さえなくなるのかと。
その気持ちが顔に出ていたのかサランさんは続けて
「ほら、そう落ち込まないで下さい。カナルには少しの間、料理を習って貰います。貴方、調理場で賄いを作ったでしょう?それを料理長のバンスがいたく気に入った様でその事を当主様に話したようです」
確かに心当たりはあった。その日は市場への買い出しに行ったは良いが、中々良い食材がなく屋敷に帰るのに時間がかかったのだ。
戻った時には既に使用人達の食事の時間は終わっていて、当主達の料理が作られている最中だった。
カナルは今日の朝飯は諦めようと肩を落としながら調理場をさろうとしたが、その後ろ姿に声を掛けたのが料理長のバンスだ。
バンスはこの領主の屋敷の中でも古株で、元々は自分の店を持っていたが、これもまた現当主が強引に屋敷に引き抜いたのだ。
引き抜かれた当初は色々と思うこともあったが、今ではこの生活に大分馴染んでる。食材や調味料などは好きに使えるし、料理の研究の為ならばある程度の裁量権まで当主から貰っている。
そんなバンスだが、この間の毒殺未遂には胆を冷やしたものだ。あのまま料理を出されていたら一番に疑われるのは間違いなく料理を作ったバンスであっただろうと言うことは想像に難くない。
その事でカナルには少しばかり恩もある。それに、カナルが市場から買ってくる食材はどれも質が物凄く良いのだ。
香辛料などは匂いからある程度良し悪しが分かるが、中を切ってみないと分からない野菜なんかも沢山ある。
だから万一の為に食材は多く買ってくるのが常識なのだが、カナルは余りに量を買ってこないのだ。
最初は、もし悪くなってたらどうするんだと尋ねたのだが、もし足りなかったら自分が野菜売りを叩き起こしてでも買ってくるとまで言われれば何も起きてないうちからはこれ以上は言えない。
そして数日も過ぎればカナルの評価は上がるのみだった。どの食材でも一級品であるし、無駄な食材は一切でなかった。
食料貯蔵庫にある物も、献立により使う日に最高の状態になるように寝かせている節すらある。バンスは驚きながらも、カナルの才能を受け入れていった。
そんなカナルが調理場から肩を落として出ていくのを只見ているのは忍びないと一言声を掛ける。
「おい、カナル!そこら辺の余りでなら好きに使って構わんから何か食ってけ!昼まで持たんぞ」
そうカナルに声を掛けると、パッとこちらを振り向いて少し驚いた顔でこちらを見た後に
「あ、ありがとうございます…」
少し無愛想だが、貧民街から引き取られて一年程と考えれば相当努力したのが分かるから腹もたたない。
いそいそと余った食材の方へ駆け寄ったカナルを一瞥すると、バンスは仕事に戻った。
ふと、自分が料理中にも関わらず、他の料理の匂いに気を取られる。普段なら絶対にあり得ない事だが、何故か無性にその匂いが気になったのだ。
その匂いの方向を見ると、小さな鍋をかき回してるカナルの姿が目に入った。別に普通の光景だった。自分がカナルに言ったのだ、余った食材を好きに使って良いと。
多分トマトとタマネギ…それにベーコンだろうか?ありふれた食材だろうし、目を引くような食材は無い筈だ、所詮は使用人が食べる食材なんだ。
勿論普通の家庭で使う物と比べたら良いものを使っているが、決して特別な物では無い。無い筈だが、どうしてもカナルの作っている物に心引かれてしまう。
料理人として、ここで動かないと一生後悔するような気がして、バンスは恥を忍んでカナルに声を掛けた。
「お、おうカナル出来たのか?」
いつものバンスにしては少し遠慮がちなのを不思議に思ったが然程気にする事はないだろうとカナルは答える。
「は、はいバンスさん、自分なりに作ってみました…」
何処か自信なさげに鍋を見詰めるカナルだったが、バンスの視線はカナルの作ったスープに釘付けだ。
カナルも料理と言えるかは不明だが火を使ってギリギリ食べられそうな野菜を焼いて食べたりしたことはあるので、手付きはある程度手慣れていた。
「そ、そうか…味見はしたか?」
味見?そうか、味見なんて考えてもいなかった。別にカナルが食べるだけだから、自分の頭で考えた味付けにしたのだが、やはり料理人は味見をしなければいけないのかな?っと変な勘違いをしたカナルは
「い、いえしてないです……して貰えますか?」
バンスは渡りに船だと快諾してスプーンで一匙カナルのスープを掬う。うん、まあ食材の切り方は適当だし、無造作に入れられた野菜が浮いてる只のスープなのは間違いない。
一瞬自分の気の迷いだったかと落ち込むが、一口啜ると新たな世界が開けた気すらした。何だろう…調和とでも言えば良いのだろうか?
特段味が強いわけでも弱いわけでもなく完璧に整っているのだ。トマトとタマネギ、ベーコンの塩気、多分少しだけ塩を足して完璧に仕上げている。
後一欠片でも何か味が入れば崩れてしまう程に繊細なバランスでこのスープは成り立っている。
「あ、あの……駄目でしたか?」
味の調和の衝撃でずっと考え込んでいたバンスはカナルの声で我に返る。
「い、いや凄いぞ!カナルは料理したことあんのか?」
バンスの好意的な反応に胸を撫で下ろしたカナルは
「い、いや料理と呼べるような事をしたのは今日が初めてです」
余りの衝撃でつい聞いてしまったが、そりゃそうだろう。ここに来る前は貧民街に居たのだし、厨房でカナルが料理をしてるのを見たことが無いのだから。
「そ、そうか……そうかそうか……」
その後そうか…しか言わなくなったバンスの事が少し気になったがまだまだ仕事はあるのだと思い直し硬い黒パンと今作ったスープを食べ始める。
一口啜ると想像した通りの味が口に広がった。塩で味付けしただけだから、大した味ではないが初めてにしては中々じゃ無いだろうかと自画自賛しながらも急いで食事を済ませるために掻き込むように食べる。
「うん、おいしいかった」
一言だけそう呟くとカナルは仕事に戻っていった。