食前酒(アペリティフ)
あまり長く無いので完結まで毎日投稿します。
ここではない何処か、世界は自分の方向を向いていないと実感する。今日もゴミを漁り、そのゴミすらも大人達に奪われる。
「くそ、これっぽっちかよ!しっかり集めてこい」
そう罵声を浴びせるのは、俺と同じ位汚くてボロボロの大人だった。両親の顔は知らない、物心付いた頃にはこんな生活だった。
「……ぇせよ」
「ああっ?うるせぇガキだな」
男に食べ物を奪われて倒れても尚反抗しようとした俺が余程気に食わなかったのか、男はなけなしの力で足を振りかぶり俺の胴体目掛けて振り切る。
ああ、流石に死んだかな。思ったことはその程度で自分が死ぬことをあまり重く考えられない位には、この世界に絶望していた。
「お止めなさい」
凛とした涼やかな声、今まで聞いてきた音の中で最も美しい音色が俺の耳に届く。男は声の方を一瞥すると慌てたように声を絞り出す。
「い、いや俺は何もしてねぇよ!」
そう言うと一目散に路地の向こう側に消えていった。俺はと言うと唖然と声のした方を見ることしか出来なかった。
そこは白かった。ただただ白く美しい少女が立っていた。年は俺と変わらないと思う。
「大丈夫ですか?」
まさか自分を心配してくれる人間がこの世界に居るとは思わず咄嗟に言葉が出てこない。それに何よりこんなにも美しい物がこの世界に在ることが信じられなかった。
「──っ!」
声にならない声が喉から出る。優しくこちらを見詰める白く美しい少女は何も言わず俺の反応を待ってくれていた。
「だ、大丈夫です…」
こんなにも自分の言葉が陳腐に聞こえたことはなかった。でも俺にはこれが精一杯、この人の前で声を出せただけ誉めて欲しい位だ。
「そうですか…?ボロボロでとても大丈夫には見えませんが…?」
美しい声が俺の鼓膜を揺らす。ずっと聞いていたいが、それよりも驚いたことにやはりこの人は俺を心配してくれてるらしい。
「い、いや大丈夫なんで…」
これ以上この人に自分を見られるのが堪らなく恥ずかしく、そそくさと逃げるように路地に消えていこうとしていたのだが
「あの……我が家に来ませんか?」
な、何を言っているんだろう?我が家に…?
俺が困惑に顔を歪めていると
「お嬢様、いけません見ず知らずの子供を招き入れるなど、犬や猫では無いのですよ」
美しい人と一緒に居る女の人がそんな事を言っていた。そこで初めて俺は意味を理解して更に驚いている。
「でも、私も一人くらいは専属の従者が居ても良いでしょう?お父様も貧民街の子供一人くらいなら認めてくださるのではなくて?」
美しい人は一緒にいる女の人に悲しそうに、そう訴えた。女の人はその様子を見て
「……取り敢えずお屋敷に連れていきましょう」
渋々何だろうが俺を連れて帰る事に同意したようだ。しかし、俺はまだ行くともなんとも言ってない。まあ、俺に自由意思なんて無いだろうけど。
「あ、あの…俺は…」
それでも俺は勇気を振り絞って声を掛ける。こんなにも美しい人の近くに居るなんて耐えられるのだろうか?
「あっ!貴方の答えを聞いていませんでした!」
そう言って俺の方を赤い瞳で見詰めてくる。横にいる女の人は凄く断って欲しそうだ。そうだよな俺なんかが…
「あの、嬉しいんですが…」
女の人はあからさまにほっとした表情を浮かべる。ちょっと悔しいな。
「わ、私がこんな見た目だから信用されないのは分かります……けど、精一杯貴方が幸せになれるように努めるつもりです」
その言葉を聞いて俺は無意識に頷いていた。目からは涙が自然と流れて、みっともなく泣いていた。
初めて世界が俺を見てくれたと思ったんだ。俺を見てくれる世界なんて無いと思ってた。でも、初めて真っ直ぐに赤い目で俺を視てくれた。
「だ、大丈夫ですか!?わ、私何かしてしまったかしら!?」
俺が泣いている事に動揺したのか、美しい人は慌てたように俺に近づいてくる。そっと頬に当てられる白い手の感触を感じながら
「いや…嬉しくて…」
素直な気持ちを表すのなんて産まれて初めてかもしれない。少し冷たい美しい人の手が頬から離れる。それがとても寂しく、でも手を伸ばす勇気なんて無い。
「そ、そうですか。良かった私あんまり人と喋ったことが無いので何かしてしまったのかと思いました」
そうハニカミながら照れ臭そうにその場でクルリと回る美しい人。
「それでは私と一緒に来てくれるのですね?」
手を差し伸べられる。
それだけの行為だ。
ここから俺の世界は始まった。