こころ
「エクゼクトル、貴方に3日間の休養を言い渡します。その間に不調を直してください」
翌日、記録者から報告を受けたらしい神託者から休養を言い渡された処刑人は、持っていた罪人のリストを神託者に返却して自室へと戻った。
予想通りと言えば予想通りの処分だった。
断罪は失敗したが許容できる範囲である。
正確な手順を踏まなかった、というのが今回の処罰の対象である。
処罰と言っていいものかどうか悩んだが、他にうまい言い方も思いつかないのでそのように考えていた。
処刑人が部屋に戻ると、そこには共鳴者である記録者がいた。
記録者は目を閉じたまま処刑人を見上げるようにして顔をあげて、「お疲れ様です」と声をかけてきた。
その言葉になんと返すべきか悩み、処刑人はただ一言「ああ」と返してベッドに腰掛けた。
休養といっても何をするのか分からない。
人間とは違う神格者には娯楽といったものがない。
気分転換に街に出かけるだとか、誰かと話すだとか、何かに興じるだとか、そんなことは出来ない。
自分を見つめなおすしかないのだ。
(これは、自分で解決しなければならない問題だ)
深々とため息を吐く。
どろどろとした思考が頭の中にうずくまっているような感じがして、頭が重い。
とにかく眠って頭をスッキリさせるべきか、いや、変に寝ると就寝時間に眠れなくなるか。
どうすればいい。
悶々と考えていると、記録者が立ち上がり処刑人の隣に移動した。
距離を詰められた処刑人は一体なんだと緩慢な動作で記録者を見る。
閉じた瞳が弧を描き、どこか優しそうな笑顔を浮かべている。
「大丈夫ですよ、エクゼクトル」
「……何がだ」
「貴方が苦しんでいることを、僕は知っています」
記録者の言葉に処刑人は首を傾げた。
悩んではいるが苦しんではいない。首を絞められているわけでもないのに苦しいとはいったいどういう事か。
ぼんやりと考えていると、ふいに頭を引き寄せられた。
ぽすん、と記録者の腕の中に入ってしまう。
「おい、いったいなんのつもり」
「何かを殺すということは、簡単な事ではありません。その手で命を奪うことに抵抗を覚えないものは、少ないでしょう。自身で殺めた相手を作業的に葬ることも、楽ではない。エクゼクトル、貴方は殺すことに抵抗を覚えているのではないですか?」
そんなことはない、自分は処刑人で、神の道具。
常に人々のために、神のために奉仕して国の平穏を守るために生き続けている。
そう答えるのが模範解答である。
分かっているのに、言葉が出てこなかった。
殺すことに抵抗を覚えている。
それは処刑人にとっては致命的ともいえる異常だった。処刑人は何も感じることなく、考えることなく罪人を葬らなければならない。
なぜなら断頭台は感情を持たないからだ。処刑人は、断頭台と同じである。
「私は、まだ、使命を果たせる……」
そう言うのがやっとだった。
自分の価値を損なわないためにも、自分はまだ使える存在であると証明しなければならない。この3日間の間に自身の異常を取り除き、また処刑人として、完全な神格者として使命を果たせることを見せなければ。
「エクゼクトル、僕たちは神格者です。でも完全ではありません。神と同じ格を持つと言われても、僕らは不完全な人間の間に生を受けるのですよ。不完全なものから、どうやって完璧なものが生まれますか」
「だが、私は神格者だ……神格者は、人間のために、神のために奉仕して」
「エクゼクトル、貴方は人間ですよ。他の処刑人も、記録者も、神託者も、普通の人間と違う特徴を持っているだけの、人間なんです。当然、心が傷つくことだってあります」
「心……?」
神格者は、神の道具。人間と人間の間に生まれる、道具。
そうずっと言い聞かされてきた。
誰も愛さない、誰にも愛されない。友人もできなければ、家族も出来ない。
神の道具としての役目を全うして、その命を終える。
それが神格者だ。
感情なんて、心なんて持たない。なぜなら神格者は、神の。
「道具じゃありません。エクゼクトル、貴方の心は限界なんですよ。生きるものとして、人間として、当然の事です。貴方自身の心まで殺さなくて、いいんですよ」
記録者の言葉が、体の中に染み渡るような錯覚がした。
途端に瞳から熱い液体があふれ出し、ぼろぼろと頬を伝って流れていった。
「私は……したくない」
神格者として、処刑人として、絶対に口にしてはいけない言葉がこぼれた。
しかしそれはあまりにも小さな声で、誰の耳にも正確に届かなかった。
二人の部屋の前にいた、神託者の耳にも。