失態
ふと処刑人が目を覚ませば夕暮れになっていた。
いつの間に寝ていたのか、処刑人の心得を集団で聞いていたはずなのにその記憶がない。
これはいよいよ問題である。使命に支障をきたし始めている。
神託者に報告して今後の方針を決めなければならない。
次の断罪を終えたら、断罪終了の報告と共に自身の異常を報告しよう。
恐らくしばらくの間休養を言い渡されるだろう。神の道具である神格者は常に万全の状態でなければならない。
(あれの異常もついでに報告しておくか)
自身の不調と共に共鳴者の記録者の異変も報告しておこう。
人間のように言葉を交わそうとする記録者は神格者の範囲から逸脱している。
そう決めると、処刑人は次の処刑に向かった。
午前二時。断罪の前、処刑人は連れてきた罪人を処刑台に括り付けようとしていた。
しかし今回の罪人は暴れまわって仕方がない。
やはり死を目前にした人間とは生きるために必死になるものなのだな、と処刑人は思った。
「放せっ! 放せぇええええええっ!!」
夜の静寂をかき乱し、男が暴れる。男の体格と言えば処刑人より二回りも大きかったが、処刑人は神格者である。
人間ではない分、見た目より強い力を持っていた。
しかし今回はやけに男の力が強く感じられる。鍛えていた人間なのだろうか、そんなことを考えながらも無理矢理男を処刑台に括り付けた。
「嫌だ嫌だっ!! 死にたくない! 死にたくねぇよぉおおおおおお!!」
ガタガタと処刑台を震わせる男に、処刑人は辟易していた。こんなに暴れるのは数か月ぶりだ。
ここ数か月は大人しかったり泣きわめいたりと、うるさくなかったり、うるさくても暴れたりしない罪人を処刑していたからこんなのは久しぶりだ。
そろそろ漆黒の聖域がやってくる。
断罪の間にあるランプを消して回り、その時がくるのを待つ準備をする。
その背後でガチャンと金属の不協和音が響いた。
背中から感じる悪寒に処刑人は咄嗟に、振り向きざまに大鎌を薙いだ。
罪人の男の腕が宙を舞い、ぼとりと断罪の間に転がる。
「あぁあああっ!! 俺の腕が、腕がぁあああっが!!」
切断された腕を押さえて罪人がうずくまる。
処刑人は何が起きたのか理解できなかったが、すぐに目の前の異常をどうにかして対処しなければならないと感じていた。
その感覚のまま大鎌を振り上げ振り下ろす。
大鎌は顔を僅かに上げた男の顔面に突き刺さり、そのまま顔を両断した。
先ほどまでの喚き声が嘘のように消える。
どさりと罪人の体がその場に倒れ、見る見るうちに赤い液体が広がっていく。
気づけば息が荒れていた。
ドッドッと胸の辺りがうるさい。
これが驚くと言う事なのだろうか、とどこか他人事のように思った。
額から汗が噴き出る。異様な暑さと寒さを同時に感じたような気がした。
ともかく落ち着かなければ。そう考えた時にゴーンと鐘が鳴った。一度目の鐘、処刑人が処刑台に近づくのを知らせる合図。
今度は全身から汗が噴き出したような気がした。
断罪に失敗した。
今までこんな大失態を犯したことはない。
他の処刑人が失敗した話は何度も聞いたことがあるが、初めて断罪をした時から今まで一度も自分は失態を犯していない。
だというのに、今、どうして、何故。
視界が暗くなるような気がした。気を失いかけていると気づいたところでなんとか踏みとどまる。
どうにかしなければならない。まずは断罪に失敗したことを報告して、いや、その前にこのゴミを処分して、それから。
ぐるぐると思考が迷走する。何を一番にしなきゃいけないのか分からない。
それが動揺による混乱だと処刑人は気づけなかったし、知らなかった。
生まれて初めて強く感情を揺さぶられた処刑人にとって、それは大きすぎる壁だった。
「エクゼクトル」
鈴を転がしたような声が聞こえた。
反射的に声の方を見れば、共鳴者である記録者が瞳を閉じたまま断罪の間から少し離れたところに立っていた。
目が穢れる、と思ったが今は漆黒の聖域の時間である。
処刑人ではない記録者の目には何も映らない。そのことに安堵して、処刑人は硬直していた体をようやく動かせた。
「断罪に失敗した。断罪過程の不履行だ。罪人は処分済みで……」
記録者に近づきながら淡々と事実を告げていく。
これらの報告を記録者に任せて、自分は普段より大きく穢れてしまった断罪の間を清めなければ。
そう考えているとふと、違和感を覚えた。
今は漆黒の聖域。
処刑人以外は出歩くことが出来ない時間。
それなのになぜ、この共鳴者はここにいる。
「報告はこちらでしておきます。清めの作業はエクゼクトル、貴方にしかできませんからお願いします」
記録者はそう言って踵を返し、歩き出す。その足取りに迷いはなく、まるでこの世界が見えているかのように進んでいく。
呼び止めようとしたが、鼻を血生臭い悪臭が掠めてハッとした。
今は、罪人を処分しなければ。処刑人の胸には形容しがたい思いが渦巻いていたが、それを放って場を清めることに専念した。