処刑人と記録者
午前三時。ゴーンと低い鐘の音が鳴った。それは数十秒の間をおいて、再び鳴り響く。
断罪の時間を告げる鐘の音である。
この鐘が鳴り響いている間、人々は息を殺し家に閉じこもり、明かり一つない暗闇で祈りをささげた。
昔からこの国に住まう者たちは幼い頃から言い聞かされる。
一度目の鐘は死神の足音。
二度目の鐘は死神の吐息。
三度目の鐘は死の宣告。
四度目の鐘は最期の懺悔。
五度目の鐘は断罪の終わりを告げる。
全ての光を飲み込む暗闇の中で行われるそれは、罪を犯したものを裁く神聖な儀式。
高い塀の中、漆黒に抱かれたその儀式を見る事が出来るのは神に選ばれた一部の者のみ。
処刑人と呼ばれる、天より穢れなき瞳を授かった神格者だけであった。
今週初めての断罪を終えた処刑人は、深いため息をついた。
普段眼帯で隠れている若葉色の左目は、地に転がった罪人の生首を映している。
流れ出る血は神聖な断罪の間を穢していき、あたりに錆びた鉄のにおいを漂わせていた。
これらを掃除する事、それも処刑人の仕事である。穢れる事のない瞳はこのために授かったものであり、他の者はこの光景を目にすることで瞳が穢れてしまうという。
物言わぬ骸となった肉塊を処理場につながるゴミ箱に捨てる。
罪人はなんの罪もなく亡くなった人とは違い、弔われることは無い。
箒で集めた塵と同様に、なんの尊厳もなく火に焼かれて人々の記憶から忘れ去られる。
大きなゴミを片付けたあとは、あたりに飛び散った血液の処理だ。
血液は基本的に不浄なものとされ忌避される。普通に生きていれば大量の血液など見る事はない。転んですりむいて出た血液とは別物だ。
それを水で洗い流し、穢れを払うために太陽の光で清めた陽光石の粉末を撒く。
陽光石はこの国・シャムスペイでしか採掘されない貴重な石だ。太陽の光を蓄積し、夜にはぼんやりと光を放つ。
暗い所を照らすという性質から、穢れを祓うと言われている。
断罪の間は常に清らかにしていなければならない。それは他の神格者の目を穢さないためだ。
ディユハルディンに断罪の間がある以上、なにかの拍子に他の神格者が断罪の間を目にしてしまう。その時その場が穢れていたら、取り返しがつかない。
場を清めた処刑人は一仕事終えて再びため息をついた。もうそろそろ暗闇が晴れる時である。
とはいえ、時刻は午前三時半くらいだ。明かりを灯さなければ何も見えないだろう。
普通の人ならばそもそも眠っているはずだ。
漆黒の聖域。それが断罪に適した時間とされている。
シャムスペイは午前二時半から午前三時半まで、どんなにまばゆい光を灯しても暗闇に飲み込まれてしまう環境にあった。
陽光石もこの時ばかりはただの石と変わらず、光を失う。
その中で唯一、日中と変わらない視界を得られるのは処刑人だけであった。
神格者であっても処刑人でなければ漆黒の聖域の中で活動は出来ない。ゆえにこの時間に出歩いているのは処刑人たちだけである。
自室へと戻る処刑人とすれ違うのは同じ処刑人だけだ。
神託者の姿もなければ記録者の姿もない。
驚くほど静まり返った場所に処刑人たちの足音だけが響いている。
自室へとついた処刑人は静かにドアを開けた。
普通の人間や神託者、記録者といった処刑人ではない神格者にとっては真っ暗闇で何も見えないはずの時間帯である。
にもかかわらず、同室の共鳴者である記録者はベッドの横に備え付けられたローテーブルの上にランプを置いて、火を灯していた。
もちろんそれで漆黒の聖域が明るくなるはずもない。記録者の目には何も映らないだろう。
となると漆黒の聖域に入る前にランプを用意したのだろうか。
なんのために。
何をするでもなく、長い銀髪の記録者は目を伏せてベッドに腰掛けていた。
その顔が僅かに上げられる。
「おかえりなさい、エクゼクトル」
「……戻った。早く寝ろ、カタグラフィー」
時計に視線を移せば、漆黒の聖域が終わる時間である。そろそろ記録者の目にも光が戻るだろう。
そうなる前に処刑人は若葉色の瞳を眼帯の下に隠し、葡萄色の瞳を代わりに外界に晒した。
葡萄色の瞳は普通の人間と同じ視界を持つ。神より授かった目は片目だけだ。故に断罪の時間は右目に眼帯をして葡萄色の瞳が穢れないようにしなければならない。
手慣れた様子で眼帯を付け替える処刑人の背中を金色の瞳が眺め、すぐに瞼の下に隠れた。
記録者はゆっくりと口を開く。
「エクゼクトル、変わりはありませんか?」
「ない」
「ならいいんです。おやすみなさい」
「……あぁ」
もぞもぞと布団に入る記録者の姿を見て、処刑人はため息をつきそうになるのを堪えた。
本来同じ神格者であっても、談笑することはあまりいいこととされていない。
神の道具として生まれた神格者には、必要ないことだからだ。
人間らしく関係を築いて、友人を持って、恋人を持って、なんて話はあり得ない。
だというのにこの記録者は他愛もない、いうなれば必要のない話をする。
今だって「おやすみなさい」などと、余計なことを口にした。
「変わりはないか」という問いはまだ理解できる。客観的に見て何かしらの異変を感じ、それが使命に支障ないかを確かめるためだ。
しかし「おやすみなさい」は必要ない。
(前から言っているが直らないな)
穏やかな寝息を立て始めた記録者を眺めて、処刑人はランプの火を消した。
自分も布団に入って目を閉じる。
明日には明日の処刑がある。疲れはその日のうちに取っておかなければならない。
目を閉じると汚い赤色が視界を覆い、そして泥に沈むような感覚と共に意識が薄れていった。