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3.純白

 クロは驚きに手を離してしまいそうになった。手の中の白い服が喋ったように聞こえたからだ。


「ワシ九○キロじゃきかんはずやぞ。ちっこいなりしてすごいやないか」


 また聞こえた。豪快に笑い、自分を誉めてくれているらしい。


「服が喋った……。インテリジェンスアイテム……?」


 次いだ声は背後から、ミラリエが呆然と呟いていた。


「アーティファクト……、本当にあるなんて」


 クロは自分が持つ白衣を見る。これがアーティファクト……。遥か昔から存在するというわりには綺麗な白だと、クロは見惚れた。現代人の造る道具と違い、強大な力の付与された古い道具をアーティファクトと呼ぶ。とある剣は鎧を頭から股まで真っ二つとし、ある槍は投げても手元へとかえり、ある矢筒は無限に矢が沸いてくるという。

 その中でも知性を持ち、喋る道具を、特にインテリジェンスアイテムと呼ぶ。インテリジェンスアイテムは道具としては多少物持ちがよい程度のものでしかないが、その本質は道具の持つ知性と人格にある。人間と遜色ない知性を持つ彼らは、不慣れな道具を手にした持ち主にその道具の詳細な使い方を教示するだけでなく、瞬く間に達人に変えてしまうという。

 そればかりか、ひとりでいるときは死角をカバーし、話し相手相談相手にもなる。過去には深い叡智を持つインテリジェンスアイテムが発見され、医学の発展に大きな影響を与えた例もあった。


「あ、ちょっと!?」


 突然男の子のひとりが走り出した。背を向け遺跡の出口に向けて真っ直ぐ外へ。それを追ってミラリエも走る。


「追い掛けてくる! ちょっと待ってて!」

「ルー姉! 待ってよ!」


 それを追って残りの子どもも走っていってしまい、板の間にはクロひとりが残された。ひとりになることに不安と心細さはあったが、今はこの白衣がなによりも優先されていた。


(せわ)しいのう。お友達行ってもたけど、嬢ちゃんはええんか?」

「……大丈夫。あなたはなに?」

「ワシはこの道場で空手を教えとる……、なんや?」


 太く迷いのなかった声に困惑が滲む。動揺に揺れる。


「ワシは誰や? これはなんじゃ!? ワシ道着になってもとるやんけ!?」


 力強かった声に不安が混ざり、呟きを重ねる白衣。しかしその困惑は長くは続かなかった。自分の名前を思い出そうとぶつぶつ発していた白衣は唐突に黙りこみ、先ほどとは色の違う困惑を声に乗せる。


「……嬢ちゃん、ここは、ドラゴニアっちゅう国か? 嬢ちゃんは人間で、ここは遺跡の隠し部屋か?」

「……くにはわからないけど、うん、この部屋は入り口がなかったよ」

「おおきに……。ほんでワシは喋る道着かいな。わけわからん状況やのに、なんや丸暗記したみたいな変な知識がありよる。気持ち悪ぅてしゃーないわ」


 どうやら落ち着いたらしい白衣は存在しない口の中で呟くように、もごもごと吐き捨てた。子どもの前で悪態をつきたくはなかったが、かといって飲み下すには現状が奇異に過ぎたのだ。

 白衣……道着の意識からしてみれば、稽古を終えて恩師の墓参りに向かったかと思ったらいつの間にか道場にいて自分は喋る道着になっていたのだ。尋常の範囲に収まるものではない。おまけに周辺国家の地名や自分の居所の他、この辺りの常識が知識として身に付いているらしいのだ。身に覚えのない知識など気持ちが悪くて仕方がない。その知識の内容も、日本とは全く違う国家であるどころか、物理法則すらも違うはずだ。本来一笑にふすべき戯れ言の類いだが、それら(・・・)が事実であるという確信もまた己の内にある。

 龍の興した国。実在する魔術。科学者がよだれを垂らしそうな不可解な現象や、テレビでも見たことのない、異形の生物の知識。自分の体が激変したというのに妙に馴染みがあるような感覚。目も耳も口もないのにそれらがあるかのように振る舞えるばかりか、視界はパノラマですらある。なにやら超能力じみている。

 正体不明の強大な力のようなものを感じ、いまや衣類となった体が、ぶるりと震えるようだった。


「……ハクチッ!」


 と、クロがくしゃみをした。小さな体を、こちらは実際に震わせる。


「あかん考え込んでもうた。嬢ちゃん、寒かったらワシを着たったらええわ。冬の道場には役立たんけど、ないよりマシやろ」


 クロはなにを言われているかわからず、目をぱちくりさせて聞き返す。


「……着ていいの? わたしが?」

「おう。おしゃれな柄なんかはないけど、堪忍な」


 瞬く間に衣類となった自分を受け入れ、柄物でないことを詫びる道着。神経の図太さは生来のものだった。

 

「でも、汚しちゃうから……」


 クロは自分と白衣を見比べた。垢と泥で汚れた体は、輝くような白をくすませてしまうだろう。いままで触ったこともないしっかりした布で作られ、よく見れば細かく縫製してある白衣は、服飾の知識がないクロにも背景にある職人の技術が感じられた。

 そうすると今素手で持っていることすら、まるでその白さへの冒涜のように感じられ、床に戻そうかと思ってしまう。

 そんな気後れは果たして白衣に伝わったのかどうか、白衣はあっけらかんと胴間声を響かせた。

 

「かめへんかめへん。道着なんちゅうもんは汚れてなんぼやし、多少汚れた方が箔が付くっちゅうもんや。服は着られな雑巾より役に立たんで」


 カラカラと笑うその声は、大きく、がさつで、大雑把な気質を感じさせたが、クロの身を案じる優しさも、同時に伝わった。


「……ありがとう、ドーギ、さん?」


 じんわり染み入るような感謝の言葉。


「ドーギ、さん?」

「? 違うの?」

「いや(ちゃ)うことないけど……、まぁ、ええか。名前も思い出せんしな。よっしゃ、ワシは道着のドーギや! よろしゅうな!」

「うん。よろしく」


 着方がわからないというクロは、ドーギに教わりながら五分ほどかけて身に付けた。真っ白な帯の締め方がわからず縦結びになってしまっているが、ひとまず着ることができたのでよいだろう。ドーギも「白帯にはよくある」と笑っていた。

 クロは自分の垢や、身に付けていたボロ布を恥ずかしがったが、ドーギは全く気にしていないようだった。そうしているとクロも、気恥ずかしさよりも自分が真っ白な服を着ている事実に高揚する。路地裏の薄暗がりから眺めていた、憧れの色だ。


「ワシはドーギになったわけやけど、嬢ちゃん、名前は?」

「ぁ……、わたしは……」


 名前。クロは、クロと呼ばれた少女は口ごもる。気が付いたときには独りだった。おい、こら、ガキ。呼ばれる時はいつもその辺りで、それを名前と呼ばないことは彼女もわかっていた。一番名前らしい呼ばれ方は、しいて言えば『クロ』がそれに当たる。しかし彼女にとって、『黒』は嫌なものだった。

 輝かしい白とは正反対。お城も道行く貴人も、白に黒が付けば払って落とす。泥や垢が混ざった色。汚い色。夜の色。寒い色。夜闇に紛れる悪人が着る色。それが彼女にとっての黒だった。


「嬢ちゃん?」


 ドーギは黙ってしまったクロを急かすでもなく、案じるような声を出す。その声に答えたのは、大人の男の声だった。


「おいおいほんとに喋ってやがるよ」


 はっと視線を向けると、板の間の入り口にふたりの男が立っていた。ナリーが従えていたうちのふたりだ。長身に蓬髪(ほうはつ)の男と、でっぷり太った隻眼の男だ。服装はふたりとも簡素な布の服に、革のような胸当てをして、こちらも革のブーツを履いている。腰には短剣を吊っていた。首からは金属製のドックタグのようなものが覗いている。うだつのあがらない冒険者だ。

 蓬髪の男が言う。


「マジでアーティファクトかよ。あるもんなんだなこんなとこにも」


 隻眼の男が答える。


「なんでもいいから、さっさとあの成金崩れに渡しちまおうぜ。それでお役御免だ」

「クソ! なんとか俺達で手に入れられねえかなあ。売ればひと財産だぜ?」

「無理だろ。あいつの命令には逆らえない。アーティファクトを持ったガキを連れてこいって言われたら、アーティファクトを持ったガキを連れてかなきゃなんねぇだろ」

「ケッ! 忌々しい……」


 ガリガリと蓬髪を掻きむしりながら、男は板の間に足を踏み入れた。薄汚れたブーツが綺麗に組まれた床板を踏み、同時に鼓膜が爆発するかのような大音声が響き渡る。


「靴を脱がんかぁッッッ!!!」


 ふたりの男も、クロも咄嗟に耳を抑えた。板の間がジンジンと震えるような、とてつもない声量だった。


「~~~っるっせえなあ、なんだよその服。デカイ声出す服って価値あんのか?」

「オレらには無価値でも大金払うやつはいるんだから、なんでもいいだろ」


 耳が落ち着くと、男はふたりともがドーギの言葉など意にも介さず、ズカズカと土足で踏み入ってきた。


「抵抗してくれんなよ。めんどくせえから」

「モノが口うるせえ服でよかったな。杖だの剣だのだったらガキ相手でもどうなるやら」


 気軽げに話などしながらクロとの距離を詰めてくる。クロは肩を縮ませながら男たちと距離を置こうとするが、位置が悪かった。すぐに隅に追いやられてしまう。


「なんやおどれら、人拐いか? 子どもに暴力振るう外道の類いか」

「ほんとにうるせえなこいつ……。さてガキ、オレらも命かかってるんでな。大人しく着いてきてもらうぜ」

「あわよくばコイツごと売っぱらって、遊んで暮らしたいもんだけどな」


 蓬髪の男が手を伸ばす。ドーギは声を発することしかできない。自分が助かるためには、自分でなんとかするしかない。

 自分から飛び掛かってやろうとクロが男を睨み付けるが、行動より早く、クロの腹が衝撃にうねる。蓬髪の男が蹴りを放ったのだ。


「反抗的な目だな。気に入らねぇ。ただでさえこき使われてイライラしてんだから、これ以上苛立たせるんじゃねえよ」


 痛みにうずくまったクロの背中を脇腹を、追撃の蹴りが襲う。二発、三発。男の鬱憤を腫らすための暴力にクロは敵愾心を募らせるが、初撃で呼吸もままならず、口での反撃すら叶わなかった。


「なにしくさるんじゃチンピラァ! 十そこそこの子ども蹴っ飛ばして楽しいんか!? イキッとんちゃうぞコラァ!!」


 ドーギが喚くが、蓬髪も隻眼も、もはやドーギに関心を払っていなかった。息を切らせる蓬髪の男を遮り、隻眼の男が踞るクロの髪を掴んで無理矢理に顔を上げさせる。


「おら行くぞ。あんま待たせてあの成金崩れの八つ当たりくらいたくはねえだろお前も」

「いっそ殺して服だけ持ってく方が楽じゃないか?」

「命令は『アーティファクト持ったガキを連れてこい』だろうが。アーティファクトだけ持ってったり、ガキ殺して死体持ってったんじゃ命令違反になりかねねえ」

「チッ……」


 うめくクロが辛うじて立ち上がると、隻眼の男はクロの髪を掴んだままズカズカと歩きだした。ダメージが残る体に大人と

の歩幅の違い。当然それについていくことは出来ず、半ば引き摺られるようになる。


「っく、うぅ……!」


 食い縛られた歯の隙間から苦鳴が溢れる。その音に込められた怒り、面貌に顕れた屈辱を感じ取り、ドーギはクロに問い掛けた。


「嬢ちゃん。負けたないんやろ。多分あとで苦しい思いするかもやけど、手ぇ貸したろか……?」


 ドーギの思いとしては今すぐに手を貸したい。しかしドーギが取れる手段にはクロの同意が必要だった。その声は男たちにも届いていたが、隻眼の男は鼻で嗤った。服になにができる、と。インテリジェンスアイテムを持って達人になれたとして、衣服の達人なぞ怖くもない、と。

 問われたクロは、迷わなかった。


「かして……! 負けたくない……!」


 瞬間。


「っでぇ!!?」


 突然隻眼の男が声を上げ、髪を掴んでいた手を離した。その手からはボタボタと血が流れ、床板に跳ねている。蓬髪の男が驚愕に目を見開き、相棒の手から目が離せない。なにが起こったのか理解できない両者の耳に、少女の声が届いた。


「反撃開始や。手加減でけへんで」

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