没落令嬢は最強魔術師さまの介護をしています!
「それではミリアム・シャルトル。この国の筆頭魔術師フィル・リ・ウィギンズの侍女としてしっかり勤めるのだぞ。本来であれば王家直属の者が任じられる所、彼の婚約者であらせられる王女殿下の御恩情でそなたに命が下ったものなのだ。ありがたく思えよ」
そう言うだけ言って、宰相様は扉も閉めずに従者を連れて去っていった。お辞儀をしたままガタガタ走り去る馬車の音を聞いていた私は、その音が遠ざかってしばらくしてからようやく顔を上げた。
「さてと……」
私はホッとしながら開けっ放しの扉を閉めた。小さな扉には鍵がついていない。後で何とかしないとな……、なんてことを考えながらぐるりと室内を見回す。
私が連れて来られたのは森の中の小さな一軒家。かまどや水瓶、テーブル、ベッドなど生活に必要最低限の設備はあるが、後は何もない。かまどの脇に積まれた粉の袋と、保存のきく野菜は数週間程でなくなってしまうだろう。
「たぶんもうあの人たちはここには来ないわね。まず食べ物を何とかしないと……」
独り言をつぶやきながら振り返った私は背後の椅子に腰かけている主に向かって叫んだ。
「ご主人さま! これからここに住むんですって! よろしいですね!?」
「……ふがっ、……ん? あぁ、はいはいごはんか………………、ぐぅ」
椅子に座っていた彼は私の声に気づき、重そうに垂れ下がった瞼を一度上げたが、また元通りの位置に戻してうたた寝を始めてしまった。
「あらまあ。風邪ひきますよ」
私は自分の肩にかけていたショールをフィル様にかけながら、改めて主人の姿を見つめた。
丸まった背に、手元の杖(多分魔術用)を器用に支えにしながら船を漕ぐ頭の毛はほぼない。すっかりあらわになっている頭皮には茶色のシミが何個もある。杖を持つ手には深いしわが刻まれ、同じようにしわだらけの顔は目を開けるのも大変そうだ。杖を使っても足元がおぼつかない彼は、移動はもちろん、一人で食事もとれないし、着替えも排泄も一人では無理だ。
そう、この国の最強の魔術師であり王女殿下の婚約者でもある私の新たな主人、フィル・リ・ウィギンズ様はご老体なのだ。私はそんなフィル様の侍女という名の介護人に命じられたのである。
◇
事の発端はこの国が巻き込まれていた周辺国同士の争い、通称「80年戦争」である。その名の通り80年もの長い間続いていた戦争はちょうど一年前、我が国の一人の魔術師の手によって終止符が打たれた。その救国の英雄である魔術師こそがフィル様なのだ。
フィル様は強大な魔力を用いてそれぞれの国に呪いをかけた。ある国には「漁獲量が上がるが、他国の権利を侵せば途端に国中に瘴気が満ちる」というもの。また他の国には「豊かな土壌を産むが、その富を独占するなら地は揺れ、山は火を噴く」というもの。要するに「皆、助け合い生きていこう」という非常に平和的なものなのだが、ある国がフィル様の作り上げた盟約を破り滅んでからというもの、それは「呪い」と称されるようになってしまった。
ただ、そうは言っても長く続いた戦争が終わったことは多くの者に幸福をもたらした。
ある一人を除いて……。
ある一人、それはフィル様本人だ。
フィル様は呪いをかけた際、大量の魔力を放出してしまったせいで老人になってしまった。一人では移動もままならなくなってしまったフィル様は、もちろん魔術の事もすっかり忘れてしまったらしいのだ。
「ご主人さまっ! はい、ごはん! お口開きましょうねぇ!」
「うーむ、私の子どものときはなぁ……」
楽しそうに杖を振り回しながら話し始めたフィル様に、なけなしの野菜で作ったスープを落とされてはかなわないので私は一旦身をひいた。
「はぁ……。ちゃんとお食事とってもらうにはどうしたらいいのかしら」
私はくたくたに煮たスープをかき混ぜながら、しわくちゃの顔をさらにしわくちゃにして歌い始めたフィル様を見つめた。
フィル様と言えば、私たちの国では知らないものはいない超有名な魔術師だった。
その魔術の才能はもちろんだが、女性なら一度はフィル様に恋をすると言われるほど、その美しさが話題になっていた。かつてのフィル様はそんな感じの有名人だったので王女殿下との婚約の話は当たり前の流れだと、みな祝福して受け止めていた。
ちなみに私は身分だけで言えばれっきとした貴族であり、伯爵家の一人娘なのである。とはいえ私が物心つくかつかない頃にはすでに我がシャルトル伯爵家は80年戦争の影響を受けて没落の一途をたどっており、使用人も雇えない程の貧しい生活を送っていた。そのため貴族令嬢にしては悲しいかな、ある程度の事は一人で出来るようになってしまった。そしてさらに不幸なことに、私が15歳になる頃に両親が相次いで他界してしまった。
今、継ぐ者がいない伯爵領は王家預かりとなっており、私がどこかに嫁ぐと同時に王家に返還されることとなっている。貧しい生活をしていた貧乏伯爵家の娘が、救国の英雄として称えられているフィル様に会える機会などあるはずもなく、彼の活躍の噂を耳にしては美しいともてはやされているその姿を想像して過ごしていた。
「ご主人さまっ! 立ちますよっ! せーのっ、……っこらしょっと!」
私は入浴のお世話のため、フィル様を移動させようと抱えて立ち上がらせた。貴族令嬢らしからぬ掛け声が出てしまうようになったが、そんなこと気にしていても仕方ない。どうせここにいるのは私と耳の遠いフィル様しかいないのだ。すぽぽんと服を脱がせて、あらかじめお湯を張っておいた湯船に片足ずつ浸からせる。普段は体を拭くだけなのだが、今日は移動して初めてなので使い勝手を知りたかったのだ。
「ふう、悪くなさそうね」
湯につかったフィル様は鼻歌を歌っている。これは機嫌のいいときの彼の癖だ。私は湯船の横から彼の背中をこすり始めた。
戦争が終わってすぐ、お世話になっていた遠い親戚から王女殿下の侍女として奉公に出ないかという話をもらった。親戚の元での扱いは悪くなかったが、これから先どう生きて行けばいいのかという不安を解消するために、奉公の話はありがたいものだった。トントン拍子に話は進み、王城に呼ばれたその日、私は驚くべき仕事を与えられたのだ。
「わ、私がウィギンズ様の侍女に? 王女殿下の侍女ではなくですか?」
女官長は難しい顔をして頷いた。
「その通りです、ミリアム・シャルトル。あなたは王女殿下の婚約者であらせられるフィル・リ・ウィギンズ様の侍女として仕えてもらいます」
「あの、ありがたいお話ですが、どうして私が?」
「あなたに質問の権利は与えられておりません。加えて、ミリアム・シャルトル。あなたはこれからこの王城内で見聞きしたことを外部に漏らしてはなりません。わかりましたね」
「……はい」
なにやら意味深すぎるやり取りだったが、私はフィル様と対面することになった。想像の中にいた人が突然目の前に現れ、さらにその方に仕えるという夢のような事態に心臓が破裂しそうだった。フィル様は80年戦争での功績から王城内に住まいを与えられており、私は女官長に連れられてフィル様の部屋に向かった。
何度も廊下の角を曲がり、薄暗く不気味な雰囲気になってきた頃、女官長はようやくある部屋の前で足を止めた。
女官長はドアを軽くノックし、返事が返ってくる前にドアを開けズカズカと室内に入っていった。女官長にしては失礼なふるまいに驚きながら、私は後に続いた。
部屋の中は意外と明るく、家具も少なくさっぱりとした印象だった。女官長は窓辺の椅子に座る一人の老人の前で足を止めた。噂通りであれば、目もくらむような美しさの青年がいるはずなのだが……、と私は目だけをキョロキョロさせたが、室内にはその老人しかいなかったのだ。
「ミリアム・シャルトル、ご挨拶を」
「えっと、こちらは……」
「失礼ですよ、ミリアム・シャルトル。こちらがフィル・リ・ウィギンズ様です」
「……え、えぇ!?」
そこで私は本物のフィル様に初めて会ったと同時に、フィル様の負った呪いの対価を知ったのだ。
フィル様は滅多に怒ることなく、たいていは機嫌のいいご老人だった。魔術もすっかり忘れてしまったようだが、国々にかけられた魔術が解けることがないところを見ると、その強大さに少しだけ恐ろしさも覚える。
「実の所、王女殿下は愛する婚約者であるフィル様の負われた現状に大変心を痛め、床に臥してお出でです。国民にフィル様の状態を伏せているのはそのためです。王女殿下にこれ以上刺激を与えるわけにはいきません。そこで出自もしっかりとしたあなたに白羽の矢が立ったわけです。しっかりとお勤めなさい」
その日そう言って女官長は立ち去り、その後王城を出るまで私は彼女に会うことはなかった。
それからというもの、私は先輩侍女たちに介護のあれこれを伝授される毎日を過ごした……、というか押し付けられながら過ごした。
よぼよぼになっていても上背のあるフィル様は重く、移動したり体勢を変えるときの補助が大変だった。何度も腰を痛めてそのたびに担ぎ方を研究しなおした。食事もどの程度の柔らかさで一口がどの程度までなら支障なく食べられるのかも学んだ。入浴や排泄の介助も初めは恥ずかしがっていたが、そんな恥じらいもどこかに行ってしまうくらいには慣れ、フィル様の身の回りのお世話を一人でこなせるようになってきた頃、私とフィル様は王城を出された。
そこまで来て、ようやく私は気づいた。体の良い厄介払いだったんだ、と。
不敬ながら王女殿下の御病気も怪しんでいる。こんなに国に尽くしたフィル様を邪魔者扱いするなんて、王家の人々は人の心がないのだろうか。
私は湯につかって表情の緩んでいるフィル様を見た。
つい最近まで魔術を紡いでいたその手は、いまやすっかり強張ってしまっている。聡明に輝いていたであろう瞳も、白く濁っているように見える。
他に行く場所がないという境遇に自分を重ねてしまっているのかもしれないが、身の回りのお世話をするうちにフィル様にはすでに家族のような情が湧いてしまっていた。
私はされるがままになっている主の手を湯につけて、柔らかくもみほぐしながら誓った。
「ご主人様、私は何があってもお側におりますね……」
フィル様は聞いているんだか何を考えているんだか、鼻歌を歌いながら静かに目を閉じていた。
◇
一か月経つ頃にはすっかり二人きりの生活にも慣れ、私は家の周りで取れる木の実を町で売り、新たな食糧や生活に必要なものを調達していた。フィル様は相変わらず寝ているんだか起きているんだかわからない様子だったが、特に病気らしい様子もないのでありがたい限りだった。
その日は朝から雨が強く降っていた。外にも出られず、室内で歌を歌ったり、フィル様の独り言を聞きながら繕い物をしているうちに夜が訪れた。
私はフィル様のベッドの横に簡易寝具を置いて寝ている。いつ彼が起き出しても対応できるようにするためだ。この日もいつも通りフィル様の身体を拭き、口内を清浄した後にベッドに横たわらせた。
「今日は雨が強かったですね。明日晴れたらお外を歩きましょうね、きっと気持ちが良いですよ」
そう言いながら掛布を引き上げようとした瞬間、勢いよく腕が引かれ、私はフィル様の上に倒れこんでしまった。
「――っ!! も、申し訳あ」
「頭を下げていなさい」
自分以外の声が飛び込んできた。訳もわからず倒れ込んでしまった挙句、初めて聞く声に私は混乱状態だったが、その混乱はすぐに恐怖に変わった。
――ドンッ!! ドンッ!!
二度、腹の底に響く低い破裂音が鋭く突き刺さってきた。
「魔法銃か……」
耳元でつぶやく声に私は背筋が凍った。魔力を用いた魔法銃の威力は火薬を使う銃の比ではない。出力次第ではこの小さな家くらい軽く吹き飛ばせるのだ。それほど威力を持つ危険な武器なので、この国で魔法銃の管理責任は王家が担っている。もし今放たれた魔法銃が密造品でないとしたら……。
外の雨音がはっきりと耳に届くと同時に、びゅおうと水滴混じりの風が私の頬を撫でた。
「あら、外したのね。まったく何やっているの?」
私の騒々しい心臓の音とはまるで正反対の鈴のなるような可憐な声が響いた。
ハッと顔を上げると寝室の扉は無残に枠を残すだけとなっており、ぽかんと空いた部分から外が丸見えになっていた。
外は相変わらず雨だった。だが夜のはずなのにあちらこちらに赤い光が浮かんでいる。
「はじめまして、ミリアムさん」
ゆるりと空気を割るように一つの人影が近づいてきた。
その人影を追いかけるように何人もの兵士の姿が明かりに照らされて現れた。赤い松明の光に照らされた兵士がこちらに筒のような物を向けていることに気づいた私は、カラカラに乾いた唇を無意識に舐めていた。
浮かび上がった人影が声を発した。
「ツィラローザよ。よろしくね」
ツィラローザ、ツィラローザ……。私はその名前を頭の中で何度も唱え、ようやく思い当たる人物に行き当たった。
「お、王女殿下……」
松明の光に浮かび上がるのは豊かな黄金の髪の毛。しなやかな肢体。色はわからないがきらめく瞳。
「あなた様が……」
思わず身を起こした私は「フィル様を追い出した」という言葉が喉まで出かけたが、そこはぐっと堪えた。私は声を出す代わりにベッドに横たわるフィル様を背で隠した。
「今までその年寄りの面倒をありがとう。貴族だけどもう貴族じゃなくなるあなたは面倒を押しつけるのにちょうど良かったのよ」
「な、なにかご用でしょうか……」
発言を許可されていないのに声をかけるのは不敬だと思いながらも、警戒心をあらわにせずにはいられなかった。なにせ魔法銃をぶっ放される程の殺意を向けられているのだ。
ツィラローザ様はそんな私の様子にちょっとだけ驚いた様子を見せたが、すぐに面白そうに笑った。
「あははっ! あなたまさかその老いぼれを庇うつもり?」
王女殿下はうっとりと思い出すように語り始めた。
「あなたご存知? フィル・リ・ウィギンズと言えば最強と呼ばれる魔術師で、神のような美しさのお方だったのよ……。そのようなお方なら私も結婚してあげても良いと思って、お父様にお願いしましたのに……。いくら戦争を終わらせた英雄と言っても、こんな老いぼれが婚約者では困るのです」
ほぅ、とため息をついた王女殿下の姿に私はぶるりと身体が震えたが、これは恐怖ではない。怒りだった。
「な、なんて身勝手なの? いくら王女殿下でもそんなの許されません! フィル様に失礼ではないのですか?!」
私の言葉にツィラローザ様の周りの兵士が動いた。しかしツィラローザ様はその兵士らをさっと手で制し、表情を消して私に向かって口を開いた。
「いいわ、不敬は見逃してあげましょう。これまで愛しの婚約者様をお世話してくださったんですもの。そこの年寄りで良いならあなたに差し上げたいところだけど、そうもいかないの」
ツィラローザ様はそう言って一歩引いた。
「そいつに消えてもらわないと新たに婚約者も探せないのです」
後ろの兵士の腕が上がり、何かが光った。私はその光を見た瞬間、反射的に横たわるフィル様に覆い被さっていた。
「やりなさい」「――だめぇっ!!」
私の叫び声とツィラローザ様の声が同時に響いた。
「……なんと愚かなことだ」
地を這うような低い声が響いた。おそるおそる目を開けると、私の身体は逞しい腕に包まれ、ふわりと浮かび上がっていた。
「フィ、フィル様っ! お姿がお戻りになったのですね……、良かった……」
私の下には地に膝をつき引き攣った笑みを浮かべる青ざめたツィラローザ様。その周りには魔法銃を抱えたまま石像となり固まった兵士たちがいた。
そして……
私を抱えて浮かぶ人物。
あの時私をベッドに引き倒し、魔法銃から守ってくれた声と同じ声の持ち主。
「ご、ご主人さま……」
緩やかになびく黒髪に空色の瞳。骨ばっている大きな男性の手。
ここにいるのは私の知るフィル・リ・ウィギンズとは似ても似つかないが、この人物こそ本来の「フィル・リ・ウィギンズ」なのだということが感覚的に理解できた。
「勝手に結ばれた婚約を、勝手に破られ、挙げ句の果てに殺されかけるとは……、私も見くびられたものだ。まあおかげで想定よりも早く魔力が回復したのだからよしとするか」
フィル様はそう言いながら喉の奥でくくっと笑った。私をつかむ腕にグッと力が入る。思わず見上げると、フィル様と目が合った。フィル様は眩しいものでも見るかのようにすっと目を細め、柔らかく微笑んだ。
「ツィラローザ、お前は知らないのか?」
「え?」
その声に私の視線はツィラローザ様に移った。相変わらず同じ姿勢でフィル様を見上げているが、さっきとは何かが違う。先ほどまでの光り輝くような美しさに陰りが見えた。
「戦争を終えるため、私がこの国と結んだ盟約だ」
「っ!?」
驚愕に目を見開くツィラローザ様は、次の瞬間自分の髪の毛を手に取り息を飲んだ。あの黄金の輝きがみるみる間に失われ、乾いた白髪に変わっていくではないか。
「この国は結界に護られ何処からも脅かされることはない……」
「ぁ、ああ……、なにこれ?!」
しなやかなカーブを描いていた肢体からは湯が蒸発するようにシュワシュワと瑞々しさが失われていく。ツィラローザ様が震える手で触れた頬はすでにげっそりと痩けて、口元や額には深い皺が生まれていた。
フィル様は眉一つ動かさず言葉を続けた。
「ただし、王族が邪な心を持って他者を害そうとした場合……」
「やめて! やめてやめてやめてぇぇっ!!」
ツィラローザ様の上げる静止の声は変化を止めることは出来ずに、自らの顔の前にかざした腕があっという間に萎びていく。
フィル様はどこからか現れた杖をもう片方の手に持ち高く掲げた。
「その時代に生きる王族の魔力全てを貰い受ける、と!」
「――っ、いやぁぁぁっ……!!!」
杖の先端がカッと光を放ち、辺りは昼間のような明るさに包まれた。突然の眩しさに目を開けていられなくなった私は、私を抱えるフィル様の胸に咄嗟に顔を埋めた。フィル様の胸は一瞬ビクッと震えたが、すぐに優しい手が髪を撫でた。
どれくらいそうしていたのだろうか。私が顔を上げると光はすっかり収まり、辺りには再び夜闇が戻っていた。いつの間にか雨は止み、しっとりとした空気が漂うだけになっていた。
「ぁぁああ゛あ゛っっ……!!」
ふと眼下を見れば枯れ木のように乾ききった老婆が狂ったように叫び声を上げ続けていた。
「王女、殿下……」
私の呟きが届いたのだろうか、老婆となったツィラローザ様は空中にいる私達をキッと睨みつけ、歯のない口で何か叫び出した。
「うるさい輩は巣へ帰ってもらおう」
その姿を見かねたのだろう、フィル様が手に持った杖をひと振りするなり、叫び声を上げている王女殿下や石像と化した兵士たちの姿がこつ然と消えた。
「王城は大騒ぎだろうな」
そう言ったフィル様は私を片腕に抱いたまま、どんどん高さを上げ始めた。
「っと、とんでる!」
「ああ、久しぶりに身体が軽い」
スウスウする足元の浮遊感に耐えられず、私は必死にフィル様にしがみついた。私はフィル様の担ぎ方にあんなに苦労したのに、今は軽々と片腕で抱えられてしまっている。
そんなことを考えているうちに、フィル様はピタリと上昇を止めた。
「ご、ご主人様……」
「見ろ、城だ。こんなにすぐに呪いが発動するとは、国王は思いもよらなかっただろうな。まあおかげで俺は元通りに戻れたが……」
フィル様の視線を追うとはるか先に王城の影が浮かび上がっている。
黒く大きな城影にポツリ、ポツリと明かりが灯っていく。きっと王女殿下の騒ぎを聞きつけた部署が動き出したのだろう。王女殿下が枯れ木のように老いたのなら、その親である国王陛下や王妃殿下はどうなっているのだろうか……。城内はきっと騒然とすることだろう。
「とは言え久しぶりに動くと疲れるものだな。さあミリアム、家に戻るか」
「家……?」
そう言われて見下ろすと、半壊状態だった小さな家が淡く光っている。きっとフィル様が修理してくれたのだろう。
ただ……。
「わ、私は戻れません……」
「何故だ?」
震える声で答えると、フィル様は驚いた様子で私の顔をのぞき込んだ。
「私は、フィル様にお仕えできるような身分ではありません……。フィル様が元のお姿に戻られたのなら、もっと相応しい侍女をお雇いになった方が……」
そう答えるとフィル様はふむ、と一瞬考えたような顔をしたが、すぐに悪巧みを思いついたような表情に変わった。
「何があっても側にいてくれるのではなかったのか?」
「え?」
怪訝そうに聞き返した私にフィル様はさらに続けた。
「風呂で言ってくれたじゃないか。『何があってもお側におります』と」
私は記憶を巡らし、ハッと思い当たる光景に行き着いた。身体中の熱が顔に集まり、多分真っ赤になっていたことだろう。私はあたふたとフィル様に尋ねた。
「き、き、聞いていたんですか!? と言うか覚えているんですか? あ、あの全部……」
そう聞くとフィル様は面白そうにくつくつと笑った。
「ああ、全て覚えているさ。ミリアムは俺の全てを知ったんだ。責任を取ってもらわねば……。それに、何があっても側にいると言ったのはミリアムだからな」
そしてとても美しい笑顔で言ったのだ。
「今度は俺が君の面倒を見る番だ」
◇
王女殿下が盟約を破ったため「呪い」が発動し、この国の王族全員が同時に老体となった。後継を定めることすら儘ならなくなったことで、一時は混乱状態にあった王城内だが、フィル様の口添えもあり遠縁から養子を迎えていた公爵家へと王位を移すことが決まった。つまり現王家の血筋は絶えることとなったのである。
系譜が移ったからといって「呪い」がなくなる訳ではない。この国が存在する限り、争いを生まないためのフィル様の「呪い」は続いていくそうだ。
さて、私はというと……
「ミリアム、ほら風呂に入れてやろう。こっちにおいで」
「もうっ! お風呂くらい自分で入れます! そ、そんなキラキラしたお顔でこっちを見ても無理です!」
「腹が大きくて大変だろうと思ったのだが……」
「そんなシュンとされても……。じゃあ、手を貸してくれるくらいなら…………」
「そうか! まかせてくれ!」
もう少しで家族の増える私たちはなんだかんだ幸せに暮らしている。「もう君に知られて恥ずかしいことはない」と言うフィル様に影響されてしまったのか、私も若干お世話されることに抵抗がなくなって来てしまっているのはここだけの話だ。
いつかまた介護が必要になるのだろうか。だがそれは大分先のことになるだろう。その日までフィル様と共にいられたら、それはとても幸せなことだと思うのだ。
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