少女幻想 おっぱいがいっぱい
おじさん構文やらなにやら、おじさんの変な言動が話題になっているようで。
これって森奈津子さんが言っていたおじさんは少女に囚われているから読み解けるような気がするので、やってみましょう。
おじさんは何故少女に拘るか?
シャア大佐に登場して貰おうか。
シャアがララァに対して言った「彼女は私の母となったかも知れない女性だ」
原典調べてないので、多少違うから知れん。
この気持ち悪い名言が本質をぶち抜いている。
自分より年下の少女に対してではなくて、自分より年下の少女だからなのだ。
産みの母の他に母なるものを求める以上それは、理想の母、幻想の母の実現もしくは擬似的な実現になる訳だけど、幻想の母は現実の子持ち女性にははまらないのだ。
子どもがいる女性に幻想の母を重ねようとしても、どうやっても自分はその女性の子どもにはなれない訳じゃん。ファンタジーじゃないんだから、その女性に自分を産み直してもらうことも不可能じゃん。
つまりあくまで誰かの母であって、自分の母にはなりようがないのな。
風俗の赤ちゃんプレイはやったことないけど、多分あれは責任と決断の放棄に妙味があるのであって、母を求めているのとは違う。
経験者でいやそれは違う、俺は母を求めて赤ちゃんプレイをしてるって人がいたら感想に書いて欲しい。
子どもがいる女性がダメなら、子どもがいない同年代の女性ではダメなのか?
ダメなのだ。
いま子どもがいないにせよ産むことを期待されている、もしくは期待されてきた年代だからだ。
しかし、少女は将来産むことを期待されていても産むこと自体は社会から要求されていない。
だから若くして子どもを生んだ女性はヤンママと言われて速やかに少女から区別されるじゃん。
まだ産むことを期待されていないから幻想の母が衝突せずに重なる。
だからさ、おじさんの少女好きって簡単にロリコンと断じられがちだけど、ロリともまた違う気がするんよな。それを言い出すとどこからどこまでがロリコンなのだ? ってまた面倒くさいことが始まるんだけどさ。
おじさんが少女に囚われるのは幻想の母を重ねることが出来るだけではなく、社会的経験の少ない少女相手ならマウントを取りやすく自分が脅かされる恐れも少ないこともあるだろう。
鍵は社会経験よな。
若くても社会経験豊富な相手だと、おじさん色んな意味で負けてしまうかもしれんからな。
だから学校という形で社会から隔離されている少女がおじさんは大好きなんよな。
ほれ、女子高生を拾うラノベがあるじゃん。あれが女子高生で女子大生ではないのは、女子大生ともなると社会経験でおじさんを脅かす輩がちらちら出始めるからな。
おじさんが不良少女に眉をひそめるのは、不良少女が社会経験で自分を越えている可能性があるからだ。
少女は産むことを期待されていないわ学校という形で社会から隔離されているわで、巫女めいた立ち位置にある。その少女に選ばれるというのは特権を錯覚させる。
どんな特権か。
無限の自己承認だ。
ほれ、ちんこついてるのに心は女だから女子トイレ使わせろだろ、女湯入らせろだの喚いているおじさんたちの背後にあるのは無限の自己承認である。
と、思いたい。
そういう背後関係なくいい年したおじさんがガチでそんなこと言ってたとしたら、あまりに悲惨じゃん。
なんでいい年したおじさんが世界の敵の亜種みたいなことになっているのかと言ったら、乳離れできてないんだろうな。
俺は何歳の時におっぱいから卒業することを決めたって人いたら手をあげて。
おらんだろ?
乳離れと言うけれど、実際には乳児期に行われる強制的な断乳じゃん。
本人の意思関係ないじゃんな。
そのせいで、子どもの時オモチャ欲しくてたまらなくて、でも全然買って貰えなくて我慢させられてきた。それで大人になって自分で買えるようになったら歯止めが効かないなんて良く聞く話。
同じように強制的な断乳によって、幻想の母、それが転じた無限の自己承認に歯止めがかからないんだろう。
まじに世界の敵の亜種よな。
慟哭をもって世界と戦う代わりに無限に世界に甘えている。
だから言動が変になる。
女性がこんな風にならんのは成長とともに嫌でもおっぱいを貰う側ではなくあげる側であると自覚させられるから、無限の自己承認には陥らない、いやいや待てよ。
フェミ界隈の一部がなんか変なこと言っているの見ると、女性もおっぱいを貰う側からあげる側へのシフトが上手くできないとおじさんと同じく無限の自己承認の罠にはまるのかも知れん。
人間、人生のどっかで意識的に乳離れすることも必要よな。