奇怪な雨宿り
灰色の雲が見えると思ったら雨の匂いが漂ってきた。
ああ、これは降るな。そう思った頬にピシャリと雨粒が落ちてくる。
早足を駆け足に変えて雨宿りできる場所を探すが、段々畑や生垣が多い小道にそんな物はなく、ただひたすらに走って行く。角を曲がった先にトタン屋根のあるバス停が見えた。
慌てて滑り込むように中に入ると、時を置かずにポツポツと降り出していた雨は瞬く間に土砂降りに変わった。
バス停は2mもない奥行きだが、ずぶ濡れになるよりはマシだろう。所々落書きされている古い木のベンチに座り込み、足元で振り込んでくる雨粒を見つめる。
ザアザアと激しく降る音が目の前を通り、バチバチとトタン屋根を叩きつける雨音が降り注いでくる。
すげーな。止むのか、これ。それ以前に保つのかこのバス停。
雨で壊れるんじゃないかと危惧する程ボロボロなバス停。今は雨だけだが、風が吹いたらお終いな気がする。
まぁ、その時はその時か。
もう仕事も終わったし、後は帰るだけ。
駅まで濡れて行っても構わないと言えば構わないんだが、わざわざ濡れたい訳でもない。できれば濡れたくない。
だから、出来るだけ止むまで待ってみよう。
視線の先にひっそりと立つバス停の時刻表はサビだらけで、もしかしたらもう廃線になっているのかもしれない。
田舎だなぁ。
と妙な感慨に耽っていたら、隣に誰かが座った。
お仲間かと横目でチラリと見ると、1人分を空けて座った人は妙に全身黒くてぬるりとテカっていた。
………………ん?
もう一度言おう。黒くてぶよんとしていてテカっている。
お隣さん、明らかに人間じゃないんですが…。
え?どゆこと?
「いやぁ降りますなぁ」
「んっ……は、はぁ、そうですね」
話しかけられた。しかも渋めのイケボだ。
え?喋んの?喋れんの?
ちゃんと見れてないけど、口どこだよ。
横目でチラリと見た感じ、風呂屋の某アニメに出てくる黒い化け物に似てる気がする。
え?食われねぇ?大丈夫?
その内デカい口がバカって開かない?
「クビのコンギだからってやり過ぎですよ。見てくださいな、陽まで隠れたら意味がないと思いませんか」
「はぁ、そうですね」
正直、何を言ってるのかさっぱり分からないが、問いただす勇気もないので適当に合わせておく。
「私、濡れるのが嫌いなんですよ。せっかくの晴れ着が台無しになるじゃないですか。本当に困ったものです」
「それは難儀ですね…」
そのヌルヌルボディはもう濡れてんじゃないのか?晴れ着ってなに?ヌルヌルぼよよんの黒ゼリーにしか見えないそれは服ですか?
え?脱げんの、それ。中身どうなってんの?
脳内ではツッコめるが、実際には怖くてできるもんじゃない。
と言うか、この状況はなんだ。
俺は一体何と話してるんだ。
誰か、誰でもいいから来てくれ。化物と一緒とか怖すぎる。
「おんや。フラシはん、雨宿りしてはるの?」
斜め前から聞こえた子どもみたいな高い声に思わず顔を上げ、咄嗟に両手で口を押さえた。そうしなければ悲鳴をあげていたかもしれない。
斜め前に現れたのは、ツヤツヤと緑色に光る体をした1m程のカエルだった。
いや、正確にはカエルに似た何かだ。
カエルは二足歩行はしないし、喋らない。しかも何故だか変な関西っぽい話し方だ。
「いきなり降り出したからね。参りましたよ」
「クビはん張り切っとったからねぇ。よっぽど嬉しいんちゃいます?」
「陽まで影らしたら意味がないでしょうに」
「さっきミョウブたちが駆け回っとりましたし、すぐに落ち着く思いますよ」
「なら良いですけどねぇ」
カエルと黒ゼリーの会話は全く意味が分からないが、もうすぐ雨が止むらしい。
雨が止んだらすぐに出よう。本当はもう濡れてもいいから出て行きたいが、こんな妙な奴らに注目されるのも嫌だ。今は存在感を消して、俺は空気になるっ!
その為には必殺寝た振りだろう。と、ベンチの背もたれに背中を預けたまま、顔を俯かせて目を閉じた。
完全に閉じるのは怖いので薄目だったりする。バレないように願うだけだ。
その間もヌルヌルコンビの会話は止まらない。
「クビのヨメゴゼは竹林のお子だったか」
「さようで。クダンが告げた約束の子ぉやから気合いの入り方がちゃいますんやろ」
「迷惑な事だ」
「まぁまぁ。そない言わんと。カテンで披露目もあるそうやし、良かったら共にどうですか?」
「ほぉ。カテンで行うのか。久しぶりよなぁ。ならば、行くか」
「まぁ嬉しや。ゆきましょう、ゆきましょう。ちょうどよう天気雨になりはったわ」
「ふん。この位なら構わん、か」
嬉しげなカエルの声に黒ゼリーがふるっと震えた。
黒ゼリーがぷよんと動けば、キュッと木製ベンチが音を立てた。
何を思ったか、黒ゼリーの動きが止まった。そして、何故だか視線を感じる。
目なんて無さそうなのに、見られている気がする。
いや、気がするだけだ。勘違いだ。俺は空気だ。空気。
内心冷や汗をだらだらかきながら必死に狸寝入りをする。その間も左から視線を感じる。
止めろ、見るな。頼むから早くカエルとどっかに行け。行って戻ってくんな。
「フラシはん、どうしはったん?」
「いや、御仁も誘おうかと思ったが、邪魔するのも無粋だな」
「そら夢渡りを邪魔すんのは無粋ですわ。起きたら来はるやろ。行きましょ、ゆきましょ」
「行くか」
黒ゼリーが動く気配がして、ぴちゃん、ずりずり、ぴちゃん、ずりずりと音が遠のいて行く。完全に聞こえなくなってから目を開けてそろそろと顔を上げると周囲には誰もいなかった。
あれだけ降っていた雨は小さな粒がポツンポツンと落ちているだけで、山の方から青空がゆっくりと広がり始めている。
どこかから鳥の鳴き声や虫の声が聞こえてきた。
ほぅと息を吐いてベンチにもたれ掛かる。
なんだったんだ、さっきのは。
黒ゼリーとかカエルもどきとか。
落ち着いてみれば、さっきまでの出来事は全く現実的ではない。もしかして、狸寝入りのつもりが本当に寝ていた?
そう考えるとますます夢のように思えてきた。
「あ゛〜〜〜」
分かんねぇ。いや、考えても仕方なくね?いいや忘れよう。夢だ、夢。
そろそろ帰ろうと腰を上げる。
ふと横を見ると1人分空けたそこは、巨大なナメクジが這ったようなぬるりと濡れた跡があった。
ぞわりと一瞬で全身に鳥肌がたつ。
「夢だ、夢」
自分に暗示するように呟き、恐れを振り払う為にも足を踏み出す。
バス停を出ると雨はもう止んでいて、空には虹がかかっていた。
虹とか久々に見たと感心しながら、駅へと歩き始めた。アスファルトがある町中とは違う雨上がりの独特な匂いを楽しんでいるうちにバス停の事はおぼろげになっていった。
雨のせいで帰り着いたのはもう夜だった。直帰の予定だったのは有難いが妙に疲れたので、帰ったら風呂にしようなんて考えながら自宅に着くと、向かいの家から奥さんが出てきた。
「こんばんは。お疲れ様です」
「あ、こんばんは」
軽く頭を下げて挨拶をしてから玄関を開ける。
向かいのご夫婦は2年前に引っ越してきた。噂好きの母親の話では、子どもが行方不明で見つからず、体調を崩した奥さんの為に引っ越してきたらしい。
誘拐で2年以上経って見つかるケースは少ない。こう言っちゃなんだが、見つかる見込みはないんじゃないだろうか。
そんな事、流石に言えねぇよな。
両親に帰宅の挨拶をして風呂場に直行する。
ざぶんと湯船に浸かると、温かいお湯に体が弛緩していく。
うちの母親と違い痩せ細った向かいの奥さんを思い出す。
子どもの話を聞いたせいか、いつ見ても少し哀しそうな雰囲気がある。あの夫婦の為にも、死体でもいいから見つかって欲しいとは思う。生きてるのが1番だが、難しいだろうなぁ。
なんだっけ、寺の竹林で居なくなったんだっけか。
竹林という単語に何かが引っかかった。最近、何かで聞いたような気がする。
なんだっけか。思い出せないって事は大した事じゃないんだろう。
早々に考えるのを止めて風呂を堪能した。
風呂場の窓の外から雨の音が聞こえ始めた。
お読み頂きありがとうございます。