88、戦の天才
永禄四年(1561年) 十月下旬 近江国 和田山城付近 新庄直頼
若が地図に見入っている。もうすぐ和田山城だが、攻めることはない。素通りして観音寺城を攻める。観音寺には三千程の兵がいるはずだ。ただ和田山城、箕作山城、伊庭城、垣見城に兵力が分散している。総勢で一万は越えるだろう。我らも一万に過ぎん。ただ若はやる気だ。六角を叩く。それには観音寺城を攻めるのが手っ取り早い。
「駿河守、無謀だと思うか?」
「いえ、留守居の蒲生左兵衛大夫は小心者と聞いておりまする。我ら浅井に戦いを挑んでくるに相違ありますまい」
若が笑顔で頷く。素直な男だ。大将として申し分ない。
「観音寺城を攻める。できれば城も落としてしまいたい」
皆が静かになる。この御方は戦に天性の物を持っている。野良田の戦いでも大軍の六角軍を破った。
「今の浅井にとって、三好に滅んでもらっては困るからな。勝負は一気につけるぞ」
皆が大声で応じた。皆、気合いが入っている。ここが勝負のしどころであろう。
永禄四年(1561年) 十月下旬 山城国 京 伊勢貞孝の屋敷 伊勢虎福丸
「ふぅ」
もぞもぞと布団から起き出した。叔母上が寝息を立てて寝ている。昨日は叔母上と侍女たちと百人一首をして遊んだ。楽しかったわ。いつの間にか叔母上の胸の中で眠っていた。母上に怒られるかな? まあ子供らしいところも見せておかないとな。あまり聡いところばかり見せると六角も波多野も警戒するだろうし。
「何だ、出て参れ」
夜が明け始めている。行商人風の中年男が現れた。瑞穂の忍びだ。
「火急の用か?」
「はっ、観音寺城が落城」
ほう、もう新九郎の奴、動いたのか。早かったな。これで六角は兵を退くだろう。
「六角の兵は箕作山城に逃げたか?」
「はい。蒲生左兵衛大夫、逃げ上手ともっぱらの評判にございます」
蒲生左兵衛大夫か。蒲生氏郷の父親だ。史実では本能寺の変で信長の女房衆を連れて安土城を脱出したことがある。奇しくも同じ役回りになったわけだ。
「逃げてくれて助かったわ。観音寺城が落ちたことで右衛門督も慌てるであろうし」
「はい」
男がニヤリと笑った。俺も笑みで返す。男の気配が消えた。忍びという奴はプロだな。欠伸が出た。もう少し寝るか。起きるには早すぎる……。




