83、恐るべき童子(どうじ)
永禄四年(1561年) 十月 近江国朽木谷 朽木城 伊勢虎福丸
「お久しゅうございます。虎福丸殿」
部屋に入ると、竹若丸が立ち上がって、挨拶する。俺の大事なビジネスパートナーであり、宮中にも強力にコネのある御仁だ。四ヶ月ぶりか。竹若丸の隣に美しい女性がいる。竹若丸の母親だろう。帝の寵姫・目々(めめ)典侍の姉に当たる女性だ。子供が大きいとは思えんな。まだ二十代でも通じる若々しさだ。
「竹若丸殿、お元気そうで何よりです」
俺は竹若丸に勧められて座る。母子と向かい合う形になる。
「公方様は京に帰られると。三好は公方様に手を出しましょうか」
竹若丸が声を潜めて聞いてくる。俺は首を横に振った。
「出しませぬよ。隠居したとはいえ、三好修理大夫殿ご健在。それに松永弾正少弼殿もおられまする。三好家の新当主である三好筑前守殿は立派な御仁でございまする。三好家中は三好修理大夫殿と筑前守殿の親子が睨みを利かしておりまする故」
「……それならば安心でございますね」
竹若丸がほっとした表情になる。竹若丸の母親もほっとしたようだ。足利の忠臣。朽木家は諸大名からはそう見られている。実際に話してみても、朽木家の人々は足利家を案じている。
「こたびの騒動で三好の力は弱まりました。修理大夫殿は隠居なされ、筑前守殿は公方様と仲良くしようとされている。すべてが終わってみれば、公方様に有利に事が進んだとも言えまする」
「ただ公方様は」
「公家衆、そして寺院から反感を買っています。兄と妹の文に書いてありました」
竹若丸が答えようとしたところで母親が口を挟んだ。兄というのは公家の飛鳥井雅教のことだろう。妹は帝の寵姫のことだ。
「それは私も心を痛めているところです。幕臣の方々のやりようには閉口されられまする」
あの馬鹿どもは三好だけじゃなく、公家や坊主たちにも喧嘩を売っている。私兵を養い、力を得たいのだろうが。もうちょっとやり方を考えられんのかねえ。
「虎福丸殿、これが新たな火種になることはありましょうか」
「そうですね……幕臣の方々も此度のことで三好の恐ろしさを思い知ったようですし。また乱暴なことはしないと思いますが」
史実では信長に抵抗して、義昭を担いで毛利のところに逃げ込んだ連中だ。何をしでかすか分かったもんじゃない。俺は知らんぞ。俺を巻き込むなと言いたい。
「うむむ……難しいことで」
竹若丸が唸り声を上げた。竹若丸の母親も心配そうに俺を見る。
「しばらくは平穏に時が過ぎましょう」
俺が言うと、二人がほっとした表情になった。無責任だが、そう言っておかないと二人とも不安のままだろうからな。竹若丸の母親からは飛鳥井雅教への紹介状を貰えた。飛鳥井雅教は公家たちの間で信望がある。和歌に蹴鞠の会を頻繁に催している。一度、会っておきたい人物だ。公家にも人脈を作ろう。俺は公家たちと敵対したくないからな。
永禄四年(1561年) 十月 京 三好長慶の屋敷 三好義長
「伊勢虎福丸を斬るべしとは、いささか乱暴に過ぎましょうぞ」
「あの童は化け物よ。処断する他あるまい」
大叔父上が興奮気味に話す。閉口させられるわ。童を斬れば、幕臣どもと一緒になってしまう。
「そうじゃ。我らが京より追われたのもあの小僧のせいに違いない」
憎々し気に鳥養兵部丞が大声を出した。元々物静かな男だったが、虎福丸のことになると騒ぎ立てる。うるさいことよ。
「斬るのは反対にござるが、あの童は不気味に感じまする」
松山新太郎が兵部丞に同調するように言う。新太郎、そなたもか……
「童と言えど、もはや四十の壮年の男を相手にしているのと変わらぬ。誰ぞの生まれ変わりではないか」
岩成主税助が落ち着いた声で言う。四十か、確かに童とは思えぬ。物怖じせぬし、皆が恐れることも分かるが……。
「虎福丸殿は公方様の寵児にござる。斬ると申しても公方様、そして伊勢家も敵に回しまするぞ」
三好下野守がたしなめるように言う。厳めしい顔つきだが、穏やかな男だ。
「いっそのこと、伊勢家ごと滅ぼせばよい。そのほうがせいせいするわ」
今村紀伊守が吐き捨てるように言う。紀伊守は領地を巡って、伊勢家と大夫揉めている。聞いたところでは押領した伊勢の領地を取られたらしい。先ほどから苛々(いらいら)しておる。全く大人気ないことよ……。
「幕臣たちがあの餓鬼を始末してくれれば、我らも手を汚さずに済んだのじゃが」
「大叔父上!」
「むう。口が過ぎたかの。許せ。だがあの童を放っておけば、厄介なことになろう」
大叔父上が怯んだように私を見る。大叔父上に大声を出したくはない。
「されど、若。このままあの小僧を野放しにすれば……」
今村紀伊守が私を見る。執念深い男よ。そんなに三歳の童が怖いか……。
「紀伊守殿、落ち着かれよ。虎福丸殿に三好は手を出さぬ。皆もそうだ。父上も私も虎福丸殿のことは重く見ている。皆もそのことは分かってほしい」
「……」
「虎福丸殿は公方様のお気に入りだ。あの者を使って公方様と幕府との関係を築いていく。それでいいではないか。私は虎福丸殿を殺すよりも生かすことに重きを置く」
皆が静まった。納得してくれたのだろうか? いや、当主の私の前だ。大人しくしておこうと思ったのだろう。まずいな。家中でここまで虎福丸殿への疑念が大きくなると私でも抑えきれん。ここは彦六の力を借りるか……。




