81、三好の新当主
永禄四年(1561年) 十月 京 三好長慶の屋敷 伊勢虎福丸
「よくぞ来た。虎福丸殿」
若者が白い歯を見せて、俺に微笑んだ。三好家当主の三好筑前守義長だ。年齢は二十歳。イケメンで京女たちをキャーキャー言わせている。現代にいたらアイドルとかできそうな奴だ。側にはイケオジの三好長慶がいる。隠居しても存在感は抜群だ。
「困ったことに大樹は朽木谷に逃れてな……六角と畠山に京を攻めさせようとしておる。何とか京に戻ってもらえぬものか……虎福丸殿、悪いが頼めぬか。公方様の信任篤きそなたにしかできぬ仕事と思うのだが」
「その儀、確かに承りました。朽木谷に行って、公方様の説得を行います」
三好の重臣たちがどよめいた。俺が断ると思ったか? 俺も鬼じゃない。幕臣の妻子が不安がるだろう。生活費もままならんだろうしな。女子供のためだ。義輝の側に三淵藤英と細川藤孝の兄弟がいる。この二人を味方につけて、義輝をうまく丸め込む。
「うむ、うむ。重畳じゃ。公方様には父が隠居し、私が後を継いだ。私は大樹に政を行っていただきたいと考えている。幕臣の知行も取り上げぬ。公家や寺社には私が頭を下げよう。虎福丸殿、三好は変わったのだ」
過保護だねぇ。筑前守にとっちゃ、義輝は錦の御旗みたいなもんだ。まだまだ使える。こいつ、政治家としての才があるな。好青年っぽいから騙されそうになるが、かなりのやり手だ。
「分かりました。筑前守様のお話、しかと公方様にお伝えします。公方様も心動かされましょう」
「頼むぞ。それと虎福丸殿、そなた、三好の家臣にならぬか」
は? 今なんて言った? 三好の家臣? 冗談じゃないぞ。伊勢は足利の家臣だ。
「その儀は……」
「若、虎福丸殿がお困りです。その話はそこまでに」
松永久秀がやんわりと窘めた。松永も三好の進軍に呼応して足利を裏切っている。まあ当然と言えば、当然だ。松永は三好の重臣なのだから。
「む。弾正少弼殿が言うのならば、やめよう。すまぬな、虎福丸殿、そなたがどうしても欲しくなったのだ」
筑前守がにこやかに笑みを浮かべながら言う。全く冷や冷やしたぞ。俺は足利の臣だ。あくまでもな。三好だっていつ滅ぶかも分からない。信長の上洛だって、いつ起こるか……。今のところ、足利に引っ付いておいた方が得策だ。三好家内部のゴタゴタに巻き込まれたくないしな。
永禄四年(1561年) 十月 京 曽我助乗の屋敷 伊勢虎福丸
部屋に入ると、大人しそうな女が緊張した面持ちで座っていた。年の頃、二十歳くらいか。美しい女だ。女は曽我兵庫頭の妻だ。又次郎は物静かな男だが、義輝の信頼が篤い。俺も兵庫頭に悪い印象はない。
「奥方様、こちらの方は……」
「月乃様です。主殿様の奥方の」
上野主殿の妻が頭を下げた。申し訳なさそうな表情をしている。こちらもハッとする程の美人だった。幕臣たちには美人が嫁に来るんだろう。腐っても鯛ってことか。主殿の妻が来ることは事前に聞いていたので驚きはない。というよりも主殿の関係者に会いたいとコンタクトを取ったのは俺の方だ。主殿は三好に憎まれている。俺を追い出したことで幕府を操ろうとしていると思われているのだ。三好日向守長逸らが主殿の奥方を斬ろうとしている……。そんな噂が流れている。俺は奥方を見る。
「伊勢の屋敷に来てください。屋敷の守りは固く、三好の忍びは簡単には近づけませぬ」
単刀直入に言った。主殿の家族を伊勢屋敷に避難させる。そして主殿に恩を売っておく。これから朽木谷に行くんだ。手土産があったほうがいい。奥方が下唇を噛んだ。
「御迷惑をおかけしてすみません。子らと共に屋敷にお邪魔します」
「何の。遠慮なされることなく、ゆっくりされよ。ただ主殿殿御帰還の折はよしなにお頼みしますぞ」
奥方がぎこちない笑みを作る。
「それはもう。虎福丸様に感謝するように夫にはお伝えします」
こうなったのは俺のせいなんだが、まあいいや。俺は笑顔を作る。物分かりの良い女で助かったわ。これで朽木谷に行って、幕臣たちの説得材料ができた。連中も女房に縋られると弱いだろう。えーと、次は諏訪家の女房を訪ねるか。そう思っていると、曽我兵庫頭の女房が文を渡してきた。奥方も文を俺に差し出す。いいねえ。順調だ。




