7、疎(うと)ましい者
永禄三年(1560年) 七月 京 細川藤孝の屋敷
「まあまあ、可愛らしゅうて」
女が俺の頭を撫ででくる。麝香夫人。細川与一郎の奥方だ。十七歳らしい。俺は奥方の膝の上に座って、頭を撫でられている。なすがままだ。誰か助けてくれ。
「細川宮内少輔、参ったぞ!」
大声がした。甲冑がこすれる音が聞こえる。三淵弾左衛門の軍勢が到着したようだ。幕府奉公衆が俺を守るために駆け付けてくれた。大事だよ。全く。元はといえば、進士美作守のせいだ。奴は兵を率いて、俺を殺そうとした。すんでのところで逃げ切れた。与一郎のおかげだ。感謝しないとな。与一郎は義輝に俺の警護を命じられたという。
「御無事でござったか」
三淵弾左衛門が頭を撫でられている俺に心配そうに話しかけてきた。後ろには松井山城守正之、飯河肥後守信堅ら幕臣がいる。皆、甲冑に身を包んでいる。
「与一郎殿に助けられ申した。御所にいれば、殺されたやもしれませぬ」
「与一郎に虎福丸殿をお救いするように申し上げたのはそれがしにござる。義輝様も深く頷かれておりました」
「弾左衛門殿は進士美作守殿とは仲が良いはず。それが敵対して大丈夫なのですか」
「美作守殿は忠義の臣と思っております。しかし、虎福丸殿を亡き者にとは、解せませぬ。上野民部大輔様たち長老衆も美作守殿の独断専行を憂いておりまする」
「幕臣同士の戦など、諸大名に呆れられるだけでございますからなあ」
俺が言うと弾左衛門たちが頷いた。美作守たちの御所襲撃は過激すぎてついていけないのだろう。しかも狙いは二歳の幼児ときたもんだ。幕府の威信が地に堕ちる。義輝も側近の暴走に困っている。
「本当に美作守様たちは愚かなことを。こんなに可愛らしい虎福丸殿を連れ去ろうとするとは」
むぎゅーーと抱きしめられた。胸のせいで息が出来ん。与一郎も幕臣たちも笑い声を上げるな。早く止めてくれ。こんなところで死んだら、死んでも死に切れんぞ。
永禄三年(1560年) 七月 京 細川藤孝の屋敷 伊勢虎福丸
「美作守は退散したか」
「義輝様の書状が効きました。あの悔しそうな顔、虎福丸殿にも見せたかったですぞ」
与一郎が上機嫌に言う。進士美作守は兵を退いた。義輝が俺に手を出すな、と命じたという。美作守もさすがに逆らうわけにはいかなかっただろう。
かく言う俺は与一郎の奥方の膝に座っているだけだ。というより、寝ていた。奥方は俺を気に入ったらしい。頬をプニプニと触ってくる。居候の身なので無下にできないんだよな……。
「御所には戻れぬな」
「美作守もさすがに手控えるでしょう。虎福丸殿を襲えば、義輝様に叛くことになりまする」
与一郎が言う。与一郎殿は俺に御所に戻って欲しいらしい。
「美作守殿では頼りになりませぬ。虎福丸殿、どうかお戻りを」
与一郎殿が懇願してくる。俺がそれ程、必要なのかね。
「義輝様と幕府の仲を取り持つのは虎福丸殿しか、おりますまい。兄も私もそのように思っておりまするぞ」
「……」
俺は与一郎殿を見た。甘いな。進士美作守は馬鹿だ。だからこそ、暴走する。二度目の暴走がないとは限らない。
「いや、御所には行かないほうがいいでしょう」
「し、しかし」
「与一郎殿や宮内少輔殿が祖父の屋敷に来れば良い。そこでお困りであれば、意見を申し上げます」
「うむ……」
与一郎殿が奥方の顔を見た。
「そうなされませ。虎福丸殿の申されること、最もと思いますよ」
奥方の言葉に与一郎殿が渋々といった感じで頷いた。やれやれ、これで身の安全が確保されたわ。与一郎には悪いが、義輝には近づかない方が良い。気になるのは進士美作守を操っているのは誰か。ってところだろう。怪しいのは三好だ。探りを入れてみるか。