65、小笠原喜三郎
永禄四年(1561年) 八月 京 御所 伊勢虎福丸
能見物が終わって、俺は今井宗久を連れて小部屋に入った。俺は家臣の横川又四郎らを引き連れている。宗久も部下たちを連れている。
「虎福丸様、公方様の真意をどのように思われますか?」
「毛利、尼子の上洛にございましょう。そのため、山名様を上洛させたのです」
宗久が渋い顔になった。本気なのか、そんな顔をしている。
「山名様も毛利家と尼子家との仲介のこと受けられますまい。尼子様を敵に回すようなものでございますから」
山名と尼子の仲は悪くない。しかし、山名が毛利への使者に出向けば、尼子は山名に不信感を持つだろう。山名は但馬・因幡の二か国を治める。だが、実権はないに等しい。国人衆の顔色を窺っているような状況だ。
「そうなると毛利、尼子両家とも承服できぬとなりましょう。特に毛利家は尼子を攻めることに血道を上げております故」
「今井様、武家とはそういうものでございます。毛利家とて、尼子を滅ぼさねば次は我が身。九州には大友という難敵もございますれば」
「公方様が和議せよと言っているに関わらず、ですか」
「陸奥守様は公方様に忠義厚き御方。しかし、公方様よりも尼子領の征服を優先されましょう。もし尼子を放っておけば、自らが滅ぼされかねませぬ」
陸奥守、というのは毛利元就のことだ。元就は幾多の修羅場を潜りぬけてきた歴戦の強者。義輝が和睦を持ちかけても、無視せざるを得ないだろう。それくらい、尼子の軍事力は毛利にとって、脅威なのだ。
「公方様は陸奥守様の上洛にこだわると思われまする。しかし、陸奥守様とて九州の大友を無視できぬでしょう。簡単にはいきますまい」
宗久が黙って聞いている。
「公方様のお力でも毛利様、大友様は動きませぬか」
「公方様があまりに無理強いをするのであれば、陸奥守様たちも公方様を避けましょうな」
「むむむ」
宗久は唸り声を上げる。
「公方様は西国を平らげるおつもりであるように見えます。ただ、恐れながらこの宗久、諸大名は従わぬと思っているのです」
「諸大名が公方様に従わぬ原因は三好ですね?」
「はい。三好修理大夫様は稀代の英傑にございます。阿波に逃れたとはいえ、毛利様、大友様に使いを出して、誼を深めておるご様子にございます。さらに甲斐・信濃でございますが、美濃に兵を出したことで信玄公と御嫡子の間で揉めています」
武田の内部で揉めている? 初耳だな。しかも三好が毛利・大友と仲良くしようとしている、か。さすが堺の豪商・耳が早い。あとで忍びたちに聞こう。
「商人たちも公方様、上杉様では不安だと言っております。皆、阿波に出かけ、修理大夫様の御機嫌を伺っている有り様でございます」
宗久が息せき切ったように言う。まあ、要するに義輝が頼りないと言うのだろう。それは分かる。三好の方が頼れるからな。
「虎福丸様は不安ではございまぬか」
「私は公方様を信じております故」
宗久の顔つきが厳しくなった。俺も義輝では持たないと見ている。義輝には武功がない。大名たちは容易には従わないだろう。俺は宗久にお礼を言った。宗久は義輝側近の俺とつながりを持ちたいのだろう。俺も豪商・今井宗久とつながっておくことに損はない。今後ともよろしくと言い合ってその場は別れた。
永禄四年(1561年) 八月 京 伊勢貞孝の屋敷 伊勢虎福丸
「今井宗久殿の御紹介で参りました小笠原喜三郎貞虎と申します。今後ともよろしくお願いします」
少年が頭を下げてくる。小笠原貞虎、三好から足利に寝返った武将の一人だ。信濃守護小笠原長時の三男で信濃から越後に亡命。そして京の三好を頼ったという経歴の持ち主だ。年は十五か、そのくらいだな。
「伊勢伊勢守貞孝の孫・伊勢虎福丸にございます。こちらこそ、よろしくお願いします」
「虎福丸殿、喜三郎殿は信濃のことに詳しゅうござる。何なりと尋ねて下され」
武田信虎が大声を出した。しかし、元気な爺さんだ。いわずと知れた信玄の父親で今は義輝のところに出仕している。息子に追い出されてから三好、足利、今川と付き合って、文化人のような立場を築き上げていた。茶道も好むらしく、今井宗久ともそれで知り合ったようだ。宗久の紹介で甲斐・信濃の情勢に詳しい武田信虎と小笠原喜三郎の二人を紹介された。俺は武田のことを調べている。武田の内部事情に小笠原喜三郎は通じている。おそらく、草の者を甲斐・信濃に大量に放っているのだろう。
「信濃の国人衆の間では武田信玄殿への不満が強く、嫡男・武田太郎義信様への当主交代を願っている者もございます。諏訪、木曽の者たちも不満を口にしているとか」
喜三郎が憮然とした顔で言った。喜三郎の実家・小笠原氏は武田に無理に追い出された。信玄の領土拡大政策と急激な軍備増強は国人領主たちに嫌がられているのだという。そして、美濃攻めが起きた。武田義信が大将となった美濃攻めで信玄は義信に後詰めを出さず、義信は城を攻略することもなく帰還する羽目になった。義信は不満らしく、父信玄と言い合いになったという。その時は信玄の弟・信繁が二人をなだめて事なきを得た。
喜三郎は淡々と話す。俺は信玄の味方だから、喜三郎に敵だと思われているのかもしれん。史実だと義信は失脚するんだが、この世界だとどうなるか。
「喜三郎殿も義信様の方が良いと?」
「はい。信玄がいなくなれば、御家再興もなりましょうし」
喜三郎がにっこりと笑みを浮かべた。信玄も恨まれたもんだ。
「しかし、武田が御家騒動となれば」
「弾正少弼殿も帰国せざるを得まい。義信の室は今川氏真殿の妹ときている。南ではなく、北に向かうだろう」
信虎が言う。武田が同盟放棄して、上杉領に攻め込む。最悪の展開だな。政虎も慌てて帰国するだろう。まずいな。といっても、武田のことだ。俺に打つ手はない。信玄の領土拡大政策の無理が吹き出しかけている。俺は喜三郎を見る。
「喜三郎様、武田家のお話、教えて下さりありがとうございます」
「何の。それがしも虎福丸殿に会いたかったものですから。武田の話ならば、屋敷に呼んで下されば、いくらでもしまするぞ」
喜三郎の目が爛々(らんらん)と輝いてくる。俺を信玄潰しに利用する気だろうがその手には乗らんよ。御所に行って、義輝に会おう。武田の異変を知らせておかねばなるまい。




