51、明智十兵衛殿
永禄四年(1561年) 六月 越前一乗谷城 明智屋敷 明智光忠
「十兵衛殿、朝倉孫八郎殿らが十兵衛殿に会いたいと」
「……通せ」
十兵衛殿が冷たく言い放つ。この冷めた感じが十兵衛兄上の持ち味なのだろう。諸国を放浪してから、その色は強くなっている。
周りを見ると藤田伝五行政殿、明智左馬助秀満殿、溝尾庄兵衛茂朝殿と十兵衛兄上の家臣たちが揃っている。
朝倉孫八郎景鏡殿、富田弥六郎長繁殿、山崎新左衛門吉家殿たちがどやどやと部屋に入ってきた。十兵衛殿の顔が柔和なものとなる。やれやれ、変わり身の早いことで。
あれ、孫八郎殿たちの中に童がいる。孫八郎殿の御子息か。
「フフフ。孫八郎殿、いつの間に政所執事のお孫様と仲良くなられたのです?」
「太平記の話で意気投合しましてな。十兵衛殿が東北の伊達、蘆名、大宝寺にも詳しいと話すと十兵衛殿と会いたいと」
この童が太平記を読んでいると? む、神童という奴か?
い、いや、今政所執事の孫という話が出たな。ということは一乗谷に来ているという伊勢虎福丸殿か。まさか十兵衛殿に会いに来るとは
「それはそれは」
十兵衛殿が虎福丸殿に向き直る。虎福丸殿も柔和な笑みを浮かべている。しかし、何だ? 気圧されるような。そんな気がしてならぬ。三歳の童に何を怯えることがあろうか?
「孫八郎殿から聞いておりましょうが、それがしは明智十兵衛光秀と申しまする。朝倉左衛門督様に仕えておりますが、元は斎藤道三公の家臣。織田上総介殿の御正室・帰蝶姫はそれがしの従兄弟になりまする。帰蝶姫は虎福丸殿の伯母に当たりましょう。と、いうことはそれがしと虎福丸殿は縁戚ということに」
「そうなりましょうな」
虎福丸殿が頷く。まるで四十の大人と接しているようだ。物分かりが良い。十兵衛殿も常人ではないが、虎福丸殿も噂に違わず、聡い。
「それがしは五年前まで美濃明智城におりました。叔父・明智兵庫頭光安は斎藤左京大夫義龍殿に逆らい、攻め滅ぼされました。それがし、妻と叔父上の子たちを連れて命からがら、越前に逃げて参りました。左衛門督様はそれがしを召し抱えて下さりました。それがしは朝倉家臣でありながら、三年に渡って、東北から九州まで諸国を見聞して回ったのです。そして今は左衛門督様の下で鉄砲隊を率いておりまする」
十兵衛殿が滔々(とうとう)とこれまでのことを語る。五年前、城が焼け落ち、兵庫頭の叔父上は自害された。憎むべきは斎藤左京大夫義龍よ。あの男の強欲ぶりは留まるところがない! 実の父親・道三公を討ち、道三公の頼りとする兵庫頭の叔父上まで討つとは。ええい、思い出しただけで怒りがこみ上げてくるわ! いかんな。ここは落ち着かねば。十兵衛殿も静かなものよ。無念であったろうに。
「御無念、お察し致しまする」
虎福丸殿も唇を噛んで、絞り出すように言った。虎福丸殿にしてみれば、義龍は伯父であり、明智の一族も無縁ではない。辛いところであろうな。幼い身だが、いろいろと考えるところがあるのだろう。
「さて、蘆名修理大夫のことでござったか」
「はい。武田、北条、佐竹と同盟を結び、今すぐにでも上杉領に攻め込まんかの勢いに見えまするが」
十兵衛殿が白い歯を見せて、ニイッと笑った。
「さに非ず。修理大夫殿は動きませぬよ。大宝寺新九郎義増も然り」
虎福丸殿は平然としている。十兵衛殿は顔に笑みを貼り付かせておる。
「フフフ。蘆名修理大夫殿、利に聡い御仁にござる故。もし越後に攻め込めば、山内刑部大輔氏勝、長沼兵庫頭盛秀、伊達左京大夫晴宗、白河左京大夫晴綱、二階堂信濃守輝行、田村治部少輔隆顕、二本松修理大夫義国ら諸侯が一斉に蘆名領に攻め入りましょうぞ」
「……」
「越後の北の大宝寺にございますが、大宝寺新九郎殿に器量なく、家臣たちは勝手気ままな領内統治を行っております。さらに隣国の清水家と揉めており、とても越後に兵を出せる余裕などござらぬ」
十兵衛殿が首を振る。虎福丸殿が目を細めた。どうじゃ、虎福丸殿。これが我らが殿の器量よ。常人に非ざるであろう。この越前の血で東北のことを事細かく知っている者など、そうはいるまい。驚いて言葉も出ぬと見える。
「さすが明智様でございますね。私もそのように考えておりました。上杉の上洛を蘆名、大宝寺では防ぎ切れぬと」
座が静かになる。は? 予想していた、だと。東北だぞ。大宝寺や蘆名のことなど、幕臣でも朝倉家臣でも知らぬ者がほとんどだというのに。伊勢忍びは足が早く、仕事に優れておると聞いておったが、ここまでとは。体に震えが生じるわ。これが神童・伊勢虎福丸!
「どうじゃ、十兵衛殿の目にも適う逸材であろう。はっはっは」
朝倉孫八郎殿が笑い始めた。十兵衛殿の顔から笑みが消える。それに比べて、虎福丸殿は悠然と笑みを浮かべていた……。




