50、一乗谷(いちじょうだに)
永禄四年(1561年) 六月 越前一乗谷城 伊勢虎福丸
危機一髪だったな。浅井を滅ぼされると困るし、斎藤も母上の実家だ。斬られることは覚悟していたが、安藤伊賀守と竹中半兵衛が話の分かる奴で助かった。信長だが、もう独自路線といった感じで突っ走っている。今川義元を討ったので、次は上洛しようという考えが透けて見える。信長は織田十郎左衛門信清を取り込み、美濃攻略の機を窺っている。俺は伊勢忍びから信長が信清と仲を深めていると事前に報告を受けていた。信長の目は越後に向いている。越後の上杉の動き、上杉よりも早く上洛したい、そんな感じだ。これから美濃は荒れるだろう。もしかしたら、斎藤は滅ぶかもしれん。浅井、武田、織田と四方を敵に囲まれているからな。四面楚歌だ。
俺は近江の地を去って、越前に来ていた。越前は朝倉氏の支配する土地だ。朝倉義景は俺を歓待したいと言って、使者を寄越した。朝倉には進士美作守が行っていたはずだがな。義景は俺が足利で重要な位置にいると分かっているのかもしれん。俺と会おうともしなかった今川氏真とは大違いだな。
義輝からは越後に早く行くことを願っていると文が来た。まあ、そう焦るなよ。朝倉も歓迎してくれるなら滞在するのも悪くない。朝倉家も名将・朝倉宗滴の死後、朝倉右兵衛尉景隆と朝倉孫八郎景鏡が対立を深めているという。景鏡って最後に裏切った奴だよな。油断ならない男だ。
「虎福丸殿、ようこそ参られた。朝倉左衛門督義景にございます」
大広間に通されると朝倉家臣団がずらりと並んでいる。壮観だな。越前の雄・朝倉の勢威が伝わって来るな。
奥に座るのが朝倉義景。おっとりした公家顔だが、目には力がある。決して、愚鈍な人物ではない。むしろ、逆に知性を感じるな。
俺はまっすぐに義景を見る。
「左衛門督様、初めて御意を得まする。足利家家臣・伊勢虎福丸にございまする」
俺は平伏する。朝倉家臣たちがざわついた。三歳の所作とは思えん。との声が漏れ聞こえてくる。
「公方様の懐刀たる虎福丸殿を一乗谷にお迎え出来て、この左衛門督。嬉しくてなりませぬ」
義景が顔を綻ばせる。歓迎されて何よりだ。朝倉も足利と仲良くしたいのかな?
「先に来られた進士殿では朝倉にとって旨味がありませぬからな」
「孫八郎殿、殿のおん前ですぞ」
「はっはっはっは。新左衛門。隠すことではあるまいて」
孫八郎。朝倉孫八郎景鏡だな。ひとしきり笑うと、孫八郎は義景の方を向く。
「進士美作守は朝倉が京に兵を出して、当然と言わんばかりの尊大な物言いにござりました」
「孫八郎、やめよ。その話は」
義景が苦い表情になる。進士美作守も懲りない男だな。未だに足利が武家の棟梁とでも思っているのか。強兵の朝倉に喧嘩を売るとは。義景が俺を歓待するわけだ。俺なら話が分かると思われたのだろう。座が冷めたように静まり返る。やれやれ、あのオッサンもろくなことをしないな。朝倉に不快感を与えてどうする。六角も馬鹿。畠山も馬鹿。斎藤喜太郎も阿呆なんだ。まともそうなのは朝倉くらいだぞ。まあ、幕臣が馬鹿ばかりと分かってはいたけど、ここまでとはな。俺が義景と話をつける他ないな。
永禄四年(1561年) 六月 越前一乗谷城 小宰相
殿が私の部屋にに入ってこられました。朝倉孫八郎景鏡殿、山崎新左衛門吉家殿、そして可愛らしい男の子。この子が伊勢虎福丸殿?
「虎福丸殿、あの場では話せませんでしたが、この場でならば」
「左衛門督様、何を話されたいのです?」
「公方様のことにござる。ここにいる小宰相。妻にございますが、足利分家の娘でございます。聞いたところによりますれば、公方様は朝倉を疎ましく感じている、と。真にございますか?」
殿の言葉に虎福丸殿は笑みを湛えたままです。
「幕臣、そして三好家中には左衛門督様を疎んじる者もおりまする。左衛門督様の奥方様が足利家の方であるということもその疑いを深めております。それ故に上杉への上洛を望む声があるのでございましょう」
「やはり。進士美作守殿の口上、おかしく感じたのですが。そのような裏があったのでござるか」
「はい。朝倉家が足利家を乗っ取る腹積もりであると思っている者もおりまする。かく言う私も伊勢の者故、幕臣には嫌われておりまするが」
虎福丸殿が自嘲に思える笑みを浮かべます。私は袂で口元を押さえます。何という賢い男子なのでしょう。足利家に疎んじられるというのも分かろうというものです。そして殿もそうです。殿はあまりにも聡い御方。それ故に足利家にとって殿よりも上杉弾正少弼殿が御しやすいと思われているのでしょう。
「あれでは三好修理大夫にはとても勝てまい。まるで大人と子供じゃ。進士美作守では幕府は行き詰まろう」
「まだ三淵弾正左衛門殿、細川与一郎殿の御兄弟がおられます。お二人が幕府を動かすことになれば、あるいは」
「今しばらくは進士美作守の天下ですかな?」
「はい。今のところは」
虎福丸殿が頷く。殿が苦い顔になる。朝倉は足利の家人ではありません。越前の守護だった斯波氏の家人です。それ故に殿は私を娶り、足利の血を越前でも残そうと考えている。
京の足利家は頼りにならぬと。そして、虎福丸殿はその殿のお考えを見抜いておられる。進士美作守が頼りないならば、自分を頼ればよいと言外にそう言っているのですね。足利家にもまともな御方がおられるようです。ほっと致しました。虎福丸殿を通して、公方様とつながれば、朝倉の御家も安泰でしょうし。




