46、小大名の生き残る道
永禄四年(1561年) 六月 小谷城 伊勢虎福丸
俺は春齢様や柚たちを連れて、北近江にある小谷城にやってきた。小谷城は浅井新九郎の本拠地だ。かつて浅井家は六角家に従属し、浅井新九郎も六角義賢の一字をもらって、賢政を名乗っていた。今は独立したので新九郎の名に戻している。
落ち目の六角に比べ、浅井は新九郎の下で強兵を揃え、美濃の斎藤、越前の朝倉も一目置く程になっている。俺も京にいる間に朝倉と浅井の間で同盟が結ばれるという話を聞いたことがある。六角右衛門督が馬鹿だし、斎藤義龍も病み上がりで後継者の喜太郎は頼りないと来ている。六角に大勝した浅井新九郎に期待が集まるのも当然だ。
俺は供の者たちを別室にて待たせ、評定の間に向かう。案内するのは宮部善祥坊。浅井の家臣の坊主だ。
「お待ちしておりました。虎福丸様」
凛とした声。見ると美男子がそこにはいた。こいつが浅井新九郎だろう。側には美麗な女性がいた。おそらくこの女性が新九郎の母親・阿古の方だろう。
そして新九郎の向かいに厳つい男がいる。この男は誰だ? 浅井の重臣の赤尾清綱かな?
俺は上座に座る。将軍の使者だからな。義輝の代理だ。新九郎がにこやかな笑みを浮かべる。人畜無害な好青年か。いや、俺は騙されないぞ。この笑顔に六角親子は騙された。こいつは曲者だ。飲まれてはいけない。
「虎福丸様、伯父の井口越前守殿にござる。私の政を助けてくれています」
厳ついオッサンが頭を下げた。井口越前守ねえ。あまり聞いたことがないな。だが、見た感じこのオッサンは新九郎の信任が厚いのだろう。そうでないとこの場には同席できない。
「浅井新九郎様、私は伊勢の者でもあります。伊勢は朽木と縁続きでもございます。朽木を攻めるのはやめていただきたい。それよりも朽木と手を結ばれてはいかがか」
新九郎が驚いた顔をした。びっくりしたか? 義輝は上杉の上洛の間、浅井には近江で静かにしておいて欲しいんだ。それに朽木は義輝のお気に入りだ。朽木を攻めれば、義輝は怒る。場が沈黙を支配した。阿古の方も井口越前守も俺の提案の意味を理解したのだろう。心配そうに新九郎の方を見ている。
「虎福丸様、願ってもない申し出でございまする。この新九郎、朽木殿とは仲良くしたいと思っておりました。我ら浅井の敵は六角にございますれば」
よく言うよ。俺が来なかったら、嬉々として朽木を攻めていただろうが。六角は野良田の敗戦で六角義賢の求心力が低下し、息子の右衛門督義治も当主の器ではないと見られている。浅井が近江統一に乗り出してもおかしくはない情勢だ。
「では」
「公方様が大事になさっている朽木を攻めたりはしません。虎福丸様を敵に回したくはありませぬし」
新九郎がニヤリと笑う。嫌な笑みだな。獰猛な肉食獣を連想させる。六角が負けるわけだ。こいつは将来有望だな。
「虎福丸様、公方様は浅井をどのように思われているのでしょうか。公方様は六角、畠山、筒井、斎藤、朝倉を頼りとしているように感じられます。しかし、浅井というと公方様は使者をお送りになられませぬ。これは何故にござろうか」
新九郎が真剣な面持ちで聞いてくる。
義輝がなぜ浅井に冷たいか知りたいのか? 答えは簡単だ。君は疎まれているんだよ、新九郎君。義輝にとっては浅井よりも六角の方が長い付き合いだ。その六角の背後を脅かす浅井なんてのは義輝にとっては邪魔な存在だ。おかげで六角が動けなくなっている。連動して畠山、朝倉の動きも鈍くなる。浅井は足利の足を引っ張っている。義輝が浅井に素っ気ないわけだ。
「公方様は残念ながら、浅井家の話は我ら幕臣に申されませぬ」
「何と……」
驚きの声を上げたのは新九郎じゃない。井口のオッサンだった。新九郎は目を細めただけだ。
「公方様は六角と畠山を気にされておりまする。それと朝倉でございまするな。三好家を抑えるにはこの三家が肝要と」
「我ら浅井のことは気にされておらぬと申されるか!」
井口のオッサンがデカい声を出した。やれやれ、興奮しやすいな。
「はい。私はそのように見ます。それ故に公方様よりも諸侯は三好修理大夫様を頼りとされているのでございましょう」
「私は公方様に盾突く気はござらん。さりとて、六角に嫁を押し付けられ、言いなりにされるのも真っ平御免にござる。六角右衛門督、真に信用ならぬ御仁にござる。六角には従えませぬ」
新九郎は断固とした口調で言った。新九郎は六角義賢の養女を正室に迎えたが、突き返したと聞いている。それくらい六角の下風に立つのが嫌なのだ。まあ、右衛門督が信用ならないのは同感だな。奴なら新九郎を隙を見て殺しかねん。
「さりとて六角は先々代の当主・定頼公が足利家と誼を通じて以来、御昵懇の間柄。公方様には悪いですが、浅井も生き残るために致し方なく」
「心中お察し申し上げます」
俺が言うと、新九郎が俺を見る。
「公方様には浅井は将軍家に忠を尽くす所存であることをお伝えください」
「分かりました。浅井新九郎様の公方様へ忠義のお気持ち、公方様にお伝えしまする」
新九郎、阿古の方、井口のオッサンが頭を下げる。まあ、浅井も大変だ。周りは敵だらけだしな。義輝も浅井に興味がない。しかし、浅井を放っておけば、近江は乱れる。義輝は嫌でも浅井と向き合わざるを得ないだろう……。




