45、浅井新九郎の招き
永禄四年(1561年) 六月 近江 小谷城 井口経親
「伊勢虎福丸殿と春齢女王が朽木城を訪れた……」
妹が袖を口に当てて、目を瞠っている。俺は妹に向かって頷く。
「うむ。井口の手の者が城中にいる。早馬で知らせに参ったのだ」
朽木城には竹若丸の母親の側近くに侍女としてくノ一が忍ばせてある。そのくノ一が知らせてきたのだ。
「殿は書院におられるか」
「はい。新九郎殿は書院にいます。呼んできましょうか」
俺は頷く。この部屋に殿を呼ぶ。殿は妹の生んだ俺の甥に当たる。妹は大殿から冷遇を受けていた。そのことを思うと涙が出てくる。だが、今は違う。妹も俺も自由だ。大殿は竹生島で隠居させている。浅井は俺と妹と殿とで蘇る。すでに六角は打ち破った。
殿がやってきた。顔にはにこやかな笑みを浮かべている。
「母上、伯父上。いかがなされましたか」
「越前守殿が朽木に伊勢虎福丸殿が訪れていると知らせてくれたのですよ」
殿から笑みが消えた。
「それだけではござらん。虎福丸殿は春齢女王様も連れておるそうにございまする。これは伊勢と朽木が春齢女王様を通して結び付いたということにござらんか」
「そうでしょうね……」
殿が困ったように笑みを浮かべた。伊勢虎福丸め、余計な真似をしてくれる。あともう少しで朽木は浅井の、そして井口の物になるはずだったというのに。
「もはやじっとしておれぬ。兵を出して、朽木を攻めましょうぞっ、伊勢虎福丸を捕えてしまうのですっ」
「伯父上、虎福丸殿を敵に回せば、六角のみならず美濃の斎藤、越前の朝倉も攻めてきかねませんぞ。虎福丸殿は公方様の御使者でございます故」
「朽木は六角と通じているに相違ない! 今ここで虎福丸を捕えねば、公方様は六角・朽木の味方をなさるでしょう。多少荒っぽい手を使ってでも虎福丸を味方につけねば」
俺の言葉に殿は目を細める。
「伯父上、落ち着いて下され。虎福丸様を捕えれば、浅井は近江で孤立しまする。足利家と朝倉家は親しい。朝倉と六角が浅井を攻め潰し、喰われることになりかねませぬ」
「ですが……」
「虎福丸様を小谷城にお招きしましょう。そこで私と伯父上とで敵意なきことをお伝えするのです。それと伊勢で作られた盆は浅井の領内でも売れておりまする。伊勢と付き合うことは浅井にとっても利あることにございます」
「しかし、伊勢は信用できるのでしょうか」
「信用するのではなく、相手と組むことに利があるかどうかにござる。虎福丸殿は斎藤左京大夫の甥でござる。斎藤、六角も虎福丸殿の言うことは聞かねばなりませぬ。虎福丸殿は敵に回してはなりませぬ。敵にするのではなく、取り込むのです」
俺と妹は息を呑む。やはり、殿は只者ではない。しかし、越後に行く虎福丸が小谷城に立ち寄るか……。むう。来るとも思えぬが。致し方ない。ここは殿に従ってみるか。
永禄四年(1561年) 六月 近江朽木谷 伊勢虎福丸
「浅井新九郎殿と会ってほしい、と?」
「はっ」
目の前の坊主が頭を下げた。宮部善祥坊継潤。浅井の家臣だ。善祥坊の隣には安養寺三郎左衛門尉氏秀がいる。二人とも浅井では重用されている人物だ。俺は朽木竹若丸と話を終えて、竹若丸の用意した宿で寛いでいた。そこに浅井の使者である二人が俺を訪ねてきたのだ。
「我らはこれから越後に行く、浅井に行っている暇はござらん」
俺が素っ気なく言うと、二人の表情が硬くなった。最初から友好的だと足元を見られる。最初は冷たくしておこう。
宮部善祥坊が安養寺三郎左衛門を見る。三郎左衛門は口を噤んだままだ。諦めたように善祥坊が俺を見る。
「我が殿は虎福丸様を希代の英傑と言われています。どうか小谷まで来ていただけませぬか」
「浅井新九郎様がそれほど私のことを買ってくださっているのですか……」
「はい。殊の外、殿は伊勢虎福丸様のことは気にかけておられます」
浅井新九郎が俺のことを気にしているか……。浅井にとっても足利の動向は気になるところだろう。浅井は野良田の戦いで六角に勝った。六角義賢といえば、近江の雄。誰も逆らえないのに浅井は六角を叩きのめすことで存在感を示した。しかし、浅井にとって予想外のことが起きる。俺、伊勢虎福丸の登場だ。俺が上杉と武田の同盟をまとめてしまったため、義輝の権威が向上した。それによって、義輝の頼りとしている六角と敵対している浅井の分が悪くなった。浅井新九郎かあるいは浅井の重臣が俺の取り込みにかかった。そんなところか。
「そこまで言われてはこの虎福丸。小谷城に行く他ございませんね」
二人が安堵した表情になった。まあ、竹若丸からも浅井新九郎と会うように頼まれているからな。予定通りだ。浅井新九郎か、どれほどの人物か。見極めてやろう。




