41、朝廷からの使者
永禄四年(1561年) 六月 等持院 三好長慶
大叔父上たちが去っていく。虎福丸を殺そうとしたのか。しかし、この童子を死なせるわけには行かぬ。三好にとって、いや天下にとっての良くないことだ。
弾正少弼と筑前守をつけておけば、手出しはできまい。大叔父上も早合点が過ぎる。今、ここで虎福丸を、伊勢を敵に回してはならん。虎福丸がこちらを見てくる。
「修理大夫様、私は越後に行くことになりました」
「存じておりまするぞ」
虎福丸が越後に。おそらく上杉政虎を上洛させるためだろう。公方様は三好の力を弱めたい。そのために上杉を使ってくる。だが、上杉は周りを敵に囲まれている。さらに国人衆にも上杉の統治を快く思わない者たちもいる。上杉の足元は危うい。畿内まで打って出てくることはないと踏んでいるが。もし出てくれば。
私は虎福丸を見る。何なのだ、この童子は。この肝の座りぶりは。解せぬ。何がこの童子をここまで落ち着かせるのだ?
「上杉弾正少弼様も三好修理大夫様も公方様の臣。私はどちらの家も仲良くされることを望んでおります」
「それはできぬ。あちらには関白殿下がおられよう。上杉弾正少弼殿は太閤殿下と組まれている。三好を目の敵にしておられましょう」
「それは」
「殿下も困った御方にございます。妹姫様は御台所様であるというのに」
虎福丸が困った顔になる。上杉を煽っているのが関白近衛前久殿。近衛殿とつながっているのが公方様。分かってはいる。分かってはいるのだが。
「三好が畿内を制していることが気に食わぬと見える。足利家を守っているのが三好であると上杉殿も分かってくれると良いのですがな」
「弾正少弼殿も修理大夫様と話されると誤解も解けると思うのですが」
「そうであれば良いのですが」
誤解か。上杉政虎は若い。公方様のためと、思い詰めているのであろう。ただ幕臣たちのことを知れば、落胆するに違いない。
「虎福丸殿、上杉殿に三好は敵意ないと伝えてはもらえぬか」
「私は公方様の使者です。三好の家臣ではございませぬ。しかし、先ほど、修理大夫様には助けていただきました。内密に上杉様には修理大夫様のことお伝えしまする」
「有り難い。三好と上杉。仲良くなれると天下の諸侯も胸を撫でおろしましょうぞ」
上杉とも虎福丸を通して取り込むことはできるか? 上杉を取り込めば、公方様も妙な気は起こすまい。三好は畿内を治める。もう細川管領家では駄目だ。私と筑前守で治めねばならぬ。そのためには虎福丸に頼んででも上杉の動きを封じねば。
永禄四年(1561年) 六月 等持院 伊勢虎福丸
やれやれ、この席で三好長慶に会うことになろうとはな。ずっと芥川山に籠っていると思ったが。松永久秀辺りが説得したのかな? どうも、そうだろうな。これで俺は足利と三好、双方の顔を立てなければならなくなった……。二重スパイみたいだな。ただ三好に逆らえば、伊勢は滅ぶ。苦しいところだ。
義満の百四十七回忌は問題なく、行われた。朝廷からも花山院右大臣が訪れていた。帝の代理だろう。他にも河内畠山、赤松、六角、朽木、北畠、若狭武田、一色、朝倉といった諸大名の使者が顔を出していた。義輝の力が増している。そう感じさせる式だった。これは俺が知っている史実では有り得なかったことだ。
母上が俺の手を引く。義輝が俺を呼んでいるらしい。重々しい儀式が終わって、武将たちはそれぞれ話し込んでいる。
寺の中に迎え入れられた。母上は別の部屋に案内される。俺は細川与一郎藤孝の後ろについていくことになった。
「公方様は花山院右府様とお話しされています」
花山院右大臣、公家の中でも義輝に近いと見なされている御方だ。帝の信任も厚いと聞いている。
「右府様が」
「虎福丸殿は朝廷でも名が知られていますから。公家衆も会いたがっているのですよ」
与一郎が嬉しそうに言う。公家衆か。考えたこともなかったわ。今のところ、接点も三条家以外、ないしな。あるとすれば慶寿院様と御台所様の近衛家か。花山院家と近衛家は仲が良くない。それは御台に冷たい義輝と花山院家が仲を深めることにもなった。
部屋に入ると壮年の公家の男と若い公家の女が俺を見た。壮年の男が花山院右大臣。鍛えているのか、筋肉質な体つきだ。若い公家の女は誰だろう? 帝の寵妃・目々(めめ)典侍かな? それとも美人で知られる匂当内侍か? 義輝がニヤリと笑みを浮かべる。
「はっはっは。上臈局殿、虎福丸があなたに目を奪われている」
幕臣たちがニヤニヤする。いや、俺は年上には興味ないんだが。ただ綺麗な人であるとは思う。
上臈局。公家の二条家の出だ。二条は近衛のライバルのような家だな。帝に仕える女官で側近の一人と聞いている。
「まあ、そうなのですか」
上臈局が目を細める。
「はい。お美しい方であると」
俺は愛想笑いをしながら世辞を口にする。相手は高位の女官だ。愛想をふりまいておいても損はない。
「お上手ね」
上臈局は笑みを浮かべた。機嫌が良くなったようだ。隣にいた花山院右大臣が咳払いする。
「話を戻しても良いでおじゃるか」
「近衛関白のことございますね」
義輝が右大臣に言う。近衛関白。越後に出奔した関白のことだ。上杉政虎の背後で上洛戦を唆していると噂になっている。
「正直、宮中の皆も困り果てている。関白殿下の独断専行におじゃりますからな」
右大臣が溜め息をつく。そうだろうな。朝廷にしてみれば、政に関わりたくないのだろう。政に関わって朝廷は痛い目に遭ってきた。承久の乱を起こした後鳥羽上皇は島流しになったし、後醍醐帝の建武の新政は足利尊氏に挙兵を招いた。今の帝も廷臣たちも三好と足利の対立に首を突っ込みたくないだろう。いくら、三好長慶が温厚な男だとしても、だ。
「関白殿下は我が義兄。なぜ京を出奔したのか見当もつきませぬ……」
よく言うよ。お前と関白で示し合わせているのはこの場にいる全員気が付いているよ。
「関白殿下の出奔で主上の憂いも深うございます」
上臈局が悲しそうな表情で言った。まあ、関白が出奔して越後に行くなんて、歴史上稀に見る珍事件だからな。帝が困っても無理はない。
「関東管領は余の家人であります。しかし、北条は上杉憲政殿を追放し、上杉家の言うことを聞こうとはしませぬ。しかも上杉弾正少弼は北条討伐をしようと考えているのでしょう。そのことに対して、将軍家は口を挟めませぬ。関東平定は足利の望むことです故」
右大臣が厳しい表情になった。義輝は上杉を擁護している。このままじゃ、関白が京に帰ってこない。朝廷としても困るのだろう。
「将軍家から関白に帰ってくるように呼びかけてもらえませぬか」
「……主上を困らせるのは本意ではございませぬ。関白殿下には文を認めまする」
義輝が素直に応じる。右府様が安心したように表情を緩める。右府様も義輝を甘く見ているな。こいつは策を弄することが日常と化しているんだ。そう簡単に関白殿下に帰るように説得するわけないだろう。文を二通送って、一通は帰るように説得し、もう一通で上杉上洛工作を進めるように頼む。そして上洛を唆すことを勧めた文を焼き捨てるように頼んでおく。後世の歴史家は残った文を読んで、義輝と近衛関白は組んでいない一次資料だと判断してくれる。近衛関白の勝手な暴走であると。義輝ならそれくらいの芸当はやるだろう。
「ありがとうございまする。主上にも良いことをお耳に入れることができまする」
右府様がお礼を言う。上臈局はツンと澄ましている。納得いっていない。そんなところか。聡い女だ。主上には義輝が信用できないと報告されるかもな。まあ、仕方ない。義輝の演技もわざとらしいからな。与一郎たちも白けた表情をしている。
「公方様、ちょっとよろしいでしょうか」
上臈局が俺を見る。俺に何か言いたいことでもあるのか? 幕臣の一部の俺を見る目が冷めている。やめてくれ、これ以上、嫉妬で幕臣たちから睨まれるのは御免だ。
「目々典侍殿から虎福丸殿に私の甥にぜひ会っていただきたいと言伝を頼まれていたのです。朽木谷の領主・朽木竹若丸殿です。麒麟児、神童とも呼ばれています。越後に行く道中、朽木谷に立ち寄ってくださりませ」
上臈局が艶然と微笑む。朽木竹若丸か。確か十三歳くらいだったな。義輝からは余の忠臣とうるさいくらいに聞いている。帝の寵妃・目々典侍は竹若丸の叔母に当たる。
「主上も虎福丸殿と竹若丸殿が会われることが世のためであると私に仰せになられました」
帝が? そうか。朝廷も俺に注目しているんだな。それ程の人物ならば、会わねばなるまい。さて、どれほどの人物か。今から会うのが楽しみになってきたな……。




