38、死の淵からの復活
永禄四年(1561年) 五月 伊勢貞孝の屋敷 伊勢虎福丸
「新御所の造営が決まった」
お爺様と父上が苦い顔をしている。銭がないわけじゃない。蔵には銭がたんまりある。
「だが伊勢に負担を求めぬとは」
お爺様が唸るように言った。そう、払わなくていい。義輝がそう言ったようだ。幕臣たちも誰も出していない。出すのは諸大名と決まった。
「近くでは、六角、河内畠山、北畠、赤松、波多野、赤井、若狭武田、朝倉、筒井」
父上が呟くように言う。
「三好、松永、十河も出しまする」
俺が言うと、父上が頷いた。
「そうじゃ。それだけではない。能登畠山、越中の椎名、飛騨の姉小路、越後の上杉」
父上の顔が紅潮する。そりゃそうだろう。北は南部から九州の島津にまで銭の供出を求めるというのだ。試算は十万貫ほど。現代日本の価値に直すと一億円か。
「関東の北条、宇都宮、佐野、佐竹。それから」
「もう良い」
父上が興奮しているので、お爺様が止めた。義輝の理想は三代将軍・足利義満だ。百四十七回忌になる義満の供養祭が開かれる。俺たち伊勢一族や三好、幕臣たちも出席することになっている。朝廷からも使者が遣わされるそうだ。新御所造営、義満の百四十七回忌。義輝は有頂天だ。だがなあ、明らかに三好を刺激するぞ。義輝が傀儡じゃないと納得できない奴らもいるしな。
噂じゃ、平島公方家が動いているとも言われている。平島公方というのは阿波の平島にいる足利家のことだ。義輝の叔父である足利義維が当主でいる。この義維なんだが、過去に義輝の父親である義晴と骨肉の争いを繰り広げた。結局、義晴が勝つんだが、遺恨が残った。義晴は三好長慶の支配を嫌がって、近江朽木谷に逃亡。一方の義維は三好豊前守義賢の支配する阿波に逼塞した。義晴は近江で病死し、義輝が三好への反抗をあきらめて戻ってきたのが三年前だ。
義維はどうしていたかというと、三好豊前守と喧嘩になった。豊前守が阿波守護の細川持隆を謀殺したからだ。これに怒った義維は一族・家臣らを引き連れて周防の大内義隆を頼った。細川持隆と足利義維は仲が良かったんだろう。大内義隆は大寧寺の変で討たれ、その後、大内領は陶晴賢のものとなった。その陶も厳島の戦いで毛利に打ち破られて、滅んだ。
足利義維は毛利元就の保護を受けていると聞いている。毛利と三好の仲は悪くない。義輝があんまりはしゃぐと義維の平島公方から将軍擁立も有り得る。実際に京に噂が流れていた。
「三好日向守殿らが騒ぎましょうか」
父上がお爺様を見る。お爺様が険しい顔になった。
「それはないと思うがな」
お爺様が言葉を濁す。三好日向守長逸は京の屋敷にいる。それでも出入りが激しい。岩成主税介友通、松山新介重治らが頻繁に日向守の屋敷に集まっている。義輝の台頭が煙たい。そんなところだ。
「もし万が一のことあれば、大樹には落ち延びてもらわねばならぬ」
父上が頷いた。俺も頷く。義輝が落ち延びるね。うまくいくとも思えんが。
「しかしこのような時に薩摩に行かねばならぬとは」
お爺様が唇を噛んだ。薩摩は九州の南端にある。御所造営の資金調達でお爺様は薩摩に行くように命じられた。父上も同行する。俺はと言えば、上杉に行くことになっている。越後か。遠いな。
「やはり伊勢を遠ざけようということか」
父上が苦虫を噛み潰したように言う。薩摩の島津。越後の上杉は大国だ。それでも伊勢家の男三人が出かければ、伊勢家は母上と分家の者たちだけ。幕臣たちに狙われることになるだろう。強欲な進士美作守や三好日向守が騒ぎ出すに違いない。
「進士美作守も朝倉家に行くのでしょう。三淵弾正左衛門殿は近江六角家へ。伊勢だけを遠ざけるというのは考え過ぎでは?」
父上が言うと、お爺様が困ったように俺を見た。俺の考えを聞きたい、そんなところだろう。
「横川又四郎らを政所に詰めさせます。三好日向守も焦っているでしょう。母上の身が危ないかもしれません」
母上だけが屋敷に残る。日向守たちの狙いが俺たち伊勢の男衆だけとは限らない。母上は斎藤義龍の妹だ。母上に危害を加える連中が出てきかねない。三好日向守は史実だと義輝と側室・小侍従を殺している。用心するに越したことはない。
「そうだな。それが良かろう。それと美濃の斎藤だが」
「伯父上のことですか」
俺が聞くとお爺様が頷いた。
「さすが虎福丸よな。左京大夫殿の容態は思わしくない……」
斎藤義龍。床に臥せっているようだ。すでに義龍の妻が家臣たちを集めている。指示が出せる状況じゃないのか。家臣たちの中には後継者は俺にしろと言い出す者もいたらしい。俺も有名人になったようだ。
でもなあ、俺が斎藤に行ったとしても、嫡男の喜太郎と揉めるだけだ。俺は織田の伯父上に内通しているとも思われるだろうし。美濃には地盤がない。俺が美濃に行ったところでメリットがない。
義龍には京の医者を遣わそう。それでも駄目かもしれん。誰も寿命には勝てないからな。
「伊勢から見舞いを送りましょうか」
「いや、兵庫頭よ。斎藤の家中もきな臭い。堤三郎兵衛を使者として遣わそう。伊勢の秘薬も持たせてな。斎藤の重臣たちは虎福丸を担ごうとしておる。今、左京大夫殿に死なれたら、伊勢が困るわい」
「左京大夫殿もまだ若い。死ぬことはないと思いますが……」
父上が言葉を濁した。危篤か。それに近い状態なのだろう。いずれにせよ危なくて、斎藤には近寄れんな。
永禄四年(1561年) 五月 美濃稲葉山城 日根野弘就
「具合もようなったわ」
御館様が起き上がり、我ら家臣を見る。
「菊代。苦労をかけたな。伊勢からの薬と医者が利いた。頭も痛くない。隠居しなくても良さそうだ」
奥方様が頭を下げた。奥方様は六角義賢の妹だ。御館様は生死の境をさまよっていた。そのため、御方様が我らを集められ、御館様の後継について、聞かれた。我らの間でも意見が割れた。稲葉殿たちは斎藤喜太郎様を推した。我らは伊勢家の孫である伊勢虎福丸殿を推した。虎福丸殿は三歳だが、上杉と武田の同盟を仲介したことで名を上げた。さらに御館様の甥でもある。斎藤と伊勢は縁戚で固く結び付いている。虎福丸様が後継となれば、織田も美濃に攻め入ることはあるまい。そう我らは考えた。織田上総介信長殿と伊勢虎福丸殿
は昵懇の間柄。必ず織田と斎藤の間は良くなるはず。当主は虎福丸殿。補佐役は喜太郎様。喜太郎様が当主ではちと不安じゃ。
喜太郎様では家中に乱れが生じる。そのためには虎福丸殿を迎えるのが肝要と考えた。だが。御館様が死の淵から帰還されたのであれば、跡継ぎは喜太郎様で決まる。奥方様は嬉しそうだ。
「五郎右衛門、また京に行かねばなるまい」
「御上洛でございますか」
「うむ。公方様の望む世を成し遂げなければならぬ」
公方様か。全国の諸大名に献金を呼びかけていると聞く。何をなさるつもりなのだ? 三好が公方様の勝手を許すとも思えぬが。
「紀子にも虎福丸にも会いたい。妹と甥だ」
御館様が笑みを浮かべる。御館様は幕府の直臣たる御相伴衆。幕府に仕える身だ。しかし、虎福丸殿は信長と仲が良い。つまり、虎福丸殿を信長から引きはがす、ということか。御館様は織田と戦うつもりだ。
「五郎右衛門、上洛の時は伴をせよ」
私は返事をした。他の家臣たちも嬉しそうだ。虎福丸殿が御館様の上洛にどう出るか。虎福丸殿は斎藤を避けているようにも感じるが、な。




