34、門前問答
永禄四年(1561年) 五月 京 伊勢貞孝邸 伊勢虎福丸
「虎福丸、出てこいーーーーーっ」
「虎福丸は民から米を搾り取っておるぞーーーーっ」
屋敷の外から大声が聞こえてくる。それと同時に太鼓の音が響いている。
堤三郎兵衛、野依二郎左衛門、横川又四郎らが俺の周りに集まる。ざっと五十人ほど。皆、武装している。
「女房衆は屋敷の奥に隠れておれ」
俺が言うと、小姓たちが怯える女房衆を表門から誘導する。
『臆病者の虎福丸じゃ―――っ、兵庫頭貞良も悪党よ――――っ、民から重い年貢を搾り取っているぞーーーーっ』
女の金切り声が上がった。全く好き勝手言ってくれるものだ。俺は三郎兵衛を見た。
「俺が出る。門を開けよ」
「しかし、若。危のうございます」
「このまま籠っている方が討たれてしまうわ。屋敷に火をかけられたらどうする?」
「それは」
三郎兵衛が口ごもる。俺は表門に向かって歩いていく。家臣たちが黙ってついてきた。忍び衆が俺の前に立つ。瑞穂の部下たちだな。いざという時は盾になるか。忠義者よ。表門が開門した。
『蝮の娘、伊勢御前出てこーーーーーいっ、伊勢に取り憑く女狐じゃ――――っ、市中引き回してくれようぞ―――っ』
僧兵が大声を上げているところだった。父上だけでなく、母上も誹謗するか。おのれ、美作守めっ。それほど伊勢が憎いか。
「全条坊に光格院、そなたらであったか」
俺は大柄な坊主と眼鏡をかけた痩せた坊主に向けて言った。二人は大智寺の僧侶だ。曹洞宗の寺で伊勢家とは懇意な寺だ。
「おお、虎福丸殿。よう来たの。伊勢氏の横暴、耐えきれず、訴えに参った。ここに来た皆は伊勢のやり方に泣いた者たちじゃ」
大声で全条坊ががなり立てる。俺は全条坊に近づいていく。鉄砲、弓が俺に向けられる。ざっと百人ほどか。僧に百姓、町人も混じっている。
「はて、伊勢がそなたらに何かしたか?」
「とぼけるのもたいがいにせい。兵庫頭貞良、その妻伊勢御前が我らの信徒に重い年貢を課しておる。また、その信徒の妻、娘を伊勢氏屋敷に無理やり連れ去り奉公させておるとのこと、真に許せぬ。よって我ら伊勢を訴えんとする」
「訴えれば良かろう。ただし、それは嘘だがな」
「嘘だとっ、俺が嘘をついているとでもいうのかっ。」
全条坊が目の前に薙刀を突き付けてきた。三郎兵衛の槍がすかさずそれを弾く。
ガキンッ。嫌な金属音が響いた。
「伊勢の政は仁を根本に置いておる。大樹の、足利の世が続いてきたのは伊勢が支えたからよ。民を慈しみ、民と共にこの世を作る。民に重い年貢を課したといっても払えぬ百姓をいじめたことなどない。言いがかりも甚だしいわ。伊勢に奉公している女たちも無理やり奉公させたことなどない」
皆が俺を見ている。反論してこないのか? なら、先に進むぞ。
「訴えは受け取ろう。まだ何かあるか?」
「フン、伊勢に訴えなど出さぬ。すべては公方様にお願いするまで。伊勢の政所執事職をやめさせるようにな」
「はっはっはっは。公方様に俺を讒謗せしめようというのか。それは通じぬぞ。全条坊。細川与一郎様、三淵弾正左衛門様、摂津中務少輔様。公方様の周りは俺の味方だ。そなたの言い分を信じる者などおらぬ」
「光格院、話が違うではないか。大草三河守様が公方様に取り計らってくれると」
「これ、全条坊。大草様の名を出すなっ」
光格院の金切り声が響いた。大草か。進士美作守の子分だな。やはり、進士美作守が黒幕か。
「む。しまったぁっ、口が滑ったわ」
全条坊が手で口元を覆う。あまり賢くはない。俺は光格院に向き直る。
「この者たちを引き上げさせよ。そうしないと公方様に大草三河守のこと申し上げねばならぬ」
「ぐ……。う……」
光格院の目が泳いだ。生臭坊主め。金をいくら積まれたんだ? 大草のことを言われると都合が悪いようだな。
「公方様は大智寺にどのように思われるかの」
「ぐう。虎福丸殿、公方様に大草様のこと申し上げるのは平にご容赦願いたい」
「良かろう。伊勢は善政を敷いておる。それは大智寺にも分かってもらいたい。御苦労であったな。帰られよ」
光格院がうなだれた。勝った。僧たちが俺を鬼でも見るかのように見て、怯えている。また鬼子とか噂を流されるか。俺は温厚で行儀のよい伊勢家の御曹司なのだがな。不本意だ。




