3、助言
永禄三年(1560年) 一月 京 伊勢貞孝の屋敷 伊勢虎福丸
嘘だと思うかもしれないが、突然三好長慶が訊ねてきた。おいおい何の冗談なんだよ。俺は二歳の幼児だぞ。長慶は俺をしげしげと眺める。
三好長慶ってもしかして小姓好きだったりする? だとしたら俺の人生詰んでるんだが。このまま小姓寵愛ルートは勘弁して欲しい。
山城、摂津、河内、和泉、阿波、播磨、丹波、大和、讃岐、と九ヵ国に及ぶ大勢力を築く三好家当主、三好修理大夫長慶。史実ではこの後、早死にする人物だ。朝廷にも信頼されており、京の住人たちからその権勢並ぶ者なしと言われている。そんな超大物がお爺様の屋敷を訪ね、俺を指名してきたのだ。心配した母上が俺を膝の上に乗せている。何しろ二歳だからな。自力で歩くこともままならないんだ。
「これなるは倅の筑前守義長、そして家臣の松永弾正少弼久秀にござる」
二人が頭を下げてくる。俺も頭を下げた。
「私の屋敷に虎福丸殿を呼ぼうと思ったのですがな。しかし、二歳の虎福丸殿を呼び出してはいらぬ憶測を呼び申す。そこで伊勢守殿を訪ねたことにして虎福丸殿にお会いしたかったのでござる」
三好修理大夫がにこやかな笑みを浮かべた。怖いな。もしかして俺って狙われている?
「弾正少弼が虎福丸殿のことを聞いてな。私に教えてくれたのだ。駿河の今川のこと、教えてくれぬか」
「ただで教えるのであれば、私にとって旨味がござりませぬ」
「こ、これっ。虎福丸っ。修理大夫様に失礼でしょう?」
「良いのじゃ。虎福丸殿。好きなことを言えばよい」
修理大夫が母上に声をかける。母上が慌てて頭を下げた。
「母上、母上は席を外してくださいませ。ここは私一人で話しまする」
母上が目を見開いた。
「でも虎福丸」
「私に万事お任せ下さりませ。伊勢の家にとって、損なことは申しませぬ」
母が修理大夫を見た。修理大夫が笑顔で頷く。
「分かりました。母はあなたを信じます」
母上が席を立った。残されたのは俺と修理大夫、筑前守、弾正少弼の四人だ。
「ふむ。良い御母堂を持たれておるな。さすがは斎藤道三入道殿の娘御よ」
松永弾正少弼が感心したように言った。確か松永久秀は斎藤道三と同じ出身地だったな。
「さて、旨味と申したな。虎福丸殿」
修理大夫が穏やかに言う。しかし、目は笑っていない。
「はい。伊勢の家を潰さないで欲しいのです。政所執事を続けさせてください」
間が合った。
「伊勢の家を潰す? 誰がそのようなことを」
修理大夫が怪訝な表情になる。
「幕臣たちの一部が伊勢伊勢守殿の専横がひどいと公方様に政所執事解任を訴えております。義輝様もさすがに相手にはしておりませぬが」
「真か……由々(ゆゆ)しきことよな」
修理大夫が眉間に皺を寄せた。修理大夫が怒っている。ということは、修理大夫はお爺様を排除する黒幕ではないのだろう。となると、幕臣たちの謀略か。
「どうせ進士美作守や三淵大和守たちでございましょう。あ奴らの考えそうなことじゃ」
弾正少弼が吐き捨てるように言った。進士美作守と三淵大和守は義輝の側近だ。
「分かった。ここには倅の筑前守もいる。私と筑前守が伊勢家を守ろう。幕臣たちの好きにはさせぬ」
筑前守も頷いた。よしっ、これで三好は味方となったな。
「それで駿河の今川のことなのだが、上洛を仕掛けてくるであろうか」
修理大夫の目が真剣なものとなる。
「仕掛けてきまする。しかし、三好の天下を揺るがすことはないでしょう」
俺が言うと、修理大夫は驚いたように目を見開いた。
「今川は上洛を果たすだけの武力を有しておりまする。しかし、当主今川治部大輔は恨みを買っておりまする。目立ったところでは三河の松平でございます。松平は表向き従っていますが、今川に従うことを嫌がっておりまする。他の国人衆も嫌々です。ということは、上洛戦を仕掛けたとしても、治部大輔の直臣たちしか本気で戦に挑みませぬ。さらに治部大輔は今川修理大夫氏親の五男坊に当たり、上の兄三人は死んでおりまする。今川は親族衆も弱い。三好の御兄弟が健在なのと比べると、どちらの大名家が強いでしょうか」
三好修理大夫と弟たちは健在でその連携もしっかりしている。今川とは違うのだ。
「さらに尾張の織田上総介信長は戦には滅法強く、小国の主と言えど、侮れませぬ。尾張を踏み潰すことは難しいと考えまする」
「しかし、織田がもし負けたら」
修理大夫が声を出した。弱気だな。よっぽど今川が怖いらしい。
「その時は美濃の斎藤が今川の行く手を阻みまする。京に出てくるのにしばらく時がかかりましょう」
「そうか。むう」
修理大夫が渋面を作った。史実ではこの後、桶狭間の戦いだ。今川義元は織田信長に討たれる。そして、信長が上洛戦に動き出す。
確か桶狭間の戦いは六月だったか。来年が第四次川中島の戦いだ。義輝は長尾景虎の上洛を熱望している。その願いも挫ける。なぜなら甲斐の武田が邪魔をするからだ。こうして義輝は孤立する。
「しかし、遠国のことに詳しゅうござるな。虎福丸殿」
「忍びを雇っております故。遠国のことに詳しくなっておりまする。それに母上の姉君、つまり私にとっての伯母が織田様の御正室でございます」
「はっはっは。そうであったな。それに北条左京大夫氏康も同族の伊勢氏。虎福丸殿のところに今川の情勢が漏れ伝わって来るわけよ」
修理大夫が笑う。笑みが引きつっているな。今川の襲来に怯えているのか。三好の天下もそう長くは続くまい。兵を雇い、領地を開拓しよう。伊勢を強くする。それが伊勢の生き残る道だ。