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25、鬼のいぬ間に

永禄四年(1561年) 三月 京 御所 摂津晴門


 義輝様、慶寿院様、伊勢(いせ)伊勢(いせ)(のかみ)(さだ)(たか)殿(との)大草(おおくさ)三河(みかわ)(のかみ)(きみ)(しげ)殿(どの)(いい)(かわ)肥後(ひご)(のかみ)(のぶ)(かた)殿(どの)中沢掃部(なかざわかもん)助光(のすけみつ)(とし)殿(どの)、そして私は御所の一室にいた。


 (せがれ)の糸千代丸たちが部屋の外で警護する。密談の内容が三好に万が一にも漏れてはならぬ。侍女たちにも間者が混じっているやもしれぬからな。


「虎福丸殿、大手柄でございますな」


 興奮気味に大草(おおくさ)三河(みかわ)(のかみ)殿(どの)が話す。義輝様が頷かれた。


「虎福丸はよくやってくれた。関東管領が京に攻め入るのもそう遅くはあるまい」


 義輝様は嬉しそうだ。上杉と武田の和が成った。北条も滅ぶ寸前にまで追い込まれている。上杉の勢いは凄まじい。本当に軍勢を率いて上洛するかもしれん。


「これで三好を京から追うことができますな」


 中沢掃部(なかざわかもん)(のすけ)殿(どの)が喜びを噛みしめて、言う。そうだろうか? 簡単に三好が敗れるとも思えぬが。それに北条は意外としぶとい。粘られると厄介だ。この場で落ち着いているのは慶寿院様と伊勢伊勢守殿、それに私か。皆、浮かれておる。私は伊勢伊勢守殿を見た。厳しい表情をしている。当たり前だろう。他力(たりき)本願(ほんがん)が過ぎる。上杉と武田が思う通りに動くか分からぬと言うのに。


「義輝殿。浮かれている場合ではありませぬよ」


 浮ついた空気が冷えた。慶寿院様がじっと義輝様を見ておられる。


「母上、これが喜ばずにいられましょうか。もはや天下の大乱は収束に向かっておりまする。弾左衛門と虎福丸のおかげじゃ。この上は朝廷に金子(きんす)を差し上げ、足利を認めさせねばなりませぬ」


「金子? 誰が出すのですか」


「三好に出させまする。三好が出さねば、六角、畠山に命じるまで」


 慶寿院様が首を振る。


「浅はかな。諸大名に嫌がられますよ」


 慶寿院様の言われることは最もだ。足利には金がない。それを諸大名にねだるとは。三好も怒るのではないか? 六角や畠山も嫌な思いをする。


「この策の良いところは母上が金子を持って朝廷に参るところにござる。母上は太閤殿下の妹にございましょう? 足利と公家の筆頭・近衛。両者が朝廷を盛り立てていくことを皆に示す良い機会となる……」


 義輝様が嬉々(きき)として語る。


「素晴らしき名案と思いまする」

「さすがは大樹(たいじゅ)。我らには及びもつかぬ妙案と思いまする」


 大草三河守殿、飯河肥後守殿が賛意を表す。むう。何と言うことよ。このようなたわけたことをすれば、足利は三好に(にら)まれる。三好修理大夫は弟を亡くしてから、居城に(こも)ったままだというし、三好は三好(みよし)日向(ひゅうが)(のかみ)長逸(ながゆき)が動かしている。三好日向守なら御所に火を放ち、足利を滅ぼすくらいのことはするだろう。上杉弾正少弼を頼るのは良い。しかし、まだ上杉が上洛するまでに間があるのだ。その前に短慮(たんりょ)で動いてはならん。


「中沢掃部助、そなたはどうか?」


「はっ、大草三河守殿、飯河肥後守殿と同じく。良き御思案(ごしあん)と思いまする」


 中沢掃部助殿がニヤリと笑みを浮かべて、義輝様に言う。掃部助め、一体どうしたのだ? お前はそんな馬鹿な男ではないだろう。


「ほら、母上。家臣たちは余の考えに同意してくれておりまする」


 慶寿院様が義輝様を見る。御不満のようだ。当たり前だろう。そんなことをすれば、足利が滅びかねん。


進士(しんじ)美作(みまさか)(のかみ)ですね? あの者を重用(ちょうよう)するのはやめなさい。あなたたちの考えでは三好に勝てませぬ」


 進士美作守? 御所には顔を出さぬが、裏で糸を引いておったのはあ奴か! たわけめ! 大草三河守や飯河肥後守を使って、義輝様におかしなことを吹き込んだな!


「母上、私を子供扱いするのはやめてくだされ。幕府で朝廷と最も親しいのは母上にござる。母上には主上に金子を持って行ってもらいます」


「……義輝殿。あなたは何もわかっていない。先代義晴様と同じです。足利にかつての力はないのです。三好修理大夫殿のことを敵と思ってはなりませぬ。修理大夫殿は足利の忠臣ですよ」


「……まあいいでしょう。今日は引き下がりまする。伊勢守と中務少輔も反対のようですし」


 義輝様が我らを見る。一言も話すことができなかった……。進士美作守は義輝様の寵愛を受けておる。奴に逆らえば、私とて……。虎福丸は三河にいると聞く。早く帰ってきてくれぬか。このままでは幕府は美作守の思う通りに進んでしまうわ。














永禄四年(1561年) 三月 三河刈谷城 伊勢虎福丸


「なるほどな。そのようなことがあったか」


 忍びが頷いた。忍びは京から義輝の文を持ってきてくれた。それだけじゃない。お爺様と摂津中務少輔の文も預かってきている。中年の男だが、息は乱れていない。さすがにプロだわ。


「はっ、伊勢守様と摂津中務少輔様が反対され、その話は流れたそうにございます」


 俺は鈴奈を見た。


「馬鹿がまた動き出したな」


 鈴奈は何も言わない。水野藤十郎は遠ざけてある。機密情報を藤十郎には聞かせられん。俺は刈谷城に留まっていた。俺の代わりに伊勢与七郎を清洲城に向かわせた。信長と会うためだ。まだ与七郎は帰ってこない。その間、この城で方々に忍びを放って、情勢を探っている。大木(おおき)()兵衛(へえ)忠光(ただみつ)与田(よだ)太郎(たろう)満重(みつしげ)長谷部甚五郎宗(はせべじんごろうむね)(やす)、いずれも若い伊勢忍びたちだ。つまりこの部屋には伊勢忍びばかりがいるのだ。この連中は精鋭部隊で伊勢の古参だ。丹波に常駐している瑞穂の今川忍びの者はこの部屋にいない。


「義輝様よりの文に朝廷への献金を行うと。その使者を慶寿院様が務めると。しかも銭を三好に求めるとは。愚策にも程があるわ」


 義輝がまた馬鹿なことを言ってきた。お爺様も中務少輔も困ったようだ。俺に二人とも書状を送ってきた。進士美作守が幕臣たちを(あお)って、義輝も同調している。


 義輝も腰が定まらない。調子のいい時こそ、慎重にならなければならない。そんなことは義輝も分かっているだろう。浮ついている。今まで三好に束縛されていたからか。解放感を味わっているんだろうな。それでも朝廷に献金するための金を三好にせびるのは悪手だろう。義輝のことだからゴリ押ししてくるな。困ったことだ。


「進士美作守といえば、公方様の側室・小侍従の父親でございますね」


 甚五郎の妻の保奈(やすな)が言った。夫ともに宿を経営している。三河にある宿だ。もちろん保奈もくノ一だ。


「そうだな。まあ小侍従ある限り、進士美作守の重用(ちょうよう)は続くだろう」


「何という女狐でございましょう」


 保奈が嫌味ったらしく言う。鈴奈も頷いていた。俺も小侍従には会ったことがある。大人しい美人だ。童顔なので守って上げたくなるってところか。


「進士美作守の裏には三好日向守がいるな。間違いない。修理大夫が気力を失っているところに付け込んでいると見える」


 三好日向守の厳つい顔が思い浮かぶ。愛想は良いが、目は笑っていない修理大夫の右腕だ。馬鹿な進士美作守を取り込んで足利の力を削ぎにきたのだろう。


「虎福丸様、近江にも動きがあるとか」


 大木佐兵衛が心配そうに聞いてくる。近江。お爺様からの文に書いてあったな。


六角右衛門督(ろっかくうえもんのかみ)(よし)(はる)の幽閉を解かれたらしい。父親の(じょう)(てい)入道(にゅうどう)が折れたようだ。右衛門督は家臣たちの評定で三好を討つと大声を上げていたと。承禎入道は黙って聞いていたようだ」


 忍びたちの顔色が変わった。六角の馬鹿息子は斎藤との婚儀を進めたために父と衝突し、幽閉されていたはずだ。そのせいで六角の動きが鈍かった。六角が動くとなると上洛が始まるだろう。史実では六角が京を占領する。きな臭くなってきたな。早く京に戻りたい。いや、待てよ。尾張の後に近江に寄るか。右衛門督と会えるかどうかわからんが、顔は見ておきたい。まあ、あの馬鹿息子が大して良い働きができるとも思えないが……。


誤字脱字報告ありがとうございます。助かっています。

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