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231、山崎の戦い

永禄六年(1563年) 七月下旬 山城(やましろ)(のくに) 山崎 伊勢虎福丸


 もう午前六時くらいかな。暑い。本陣の辺りは静まり返っている。


 船岡(ふなおか)山城(やまじょう)に行った後、山崎に布陣した。三好軍は南山城(みなみやましろ)の国人衆や西岡の国人衆が合流し、五万以上の大軍に(ふく)れ上がっている。


 船岡山城で全軍仮眠を取ったので皆元気になっている。これで六角軍や朽木軍を相手にしなければならないと負けていた。丹波に逃げ込んでゲリラ戦になっただろう。今だって予断を許さない状況だ。


 狙うのは篠原(しのはら)右京(うきょう)(のしん)長房(ながふさ)の陣だ。小笠原(おがさわら)長門(ながと)守成(のかみなり)(すけ)赤沢(あかざわ)信濃(しなの)(のかみ)ら阿波国人衆がいる。ここを別動隊の窪庄九郎(くぼしょうくろう)が攻めかける。


 これで三好本陣を大きく揺さぶれるはずだ。こちらには河村権之助、(つつみ)三郎(さぶろう)兵衛(ひょうえ)寺本半(てらもとはん)(すけ)といった譜代(ふだい)の家臣たちがいる。一気に正攻法(せいこうほう)で三好軍に攻めかかる。相手は三好(みよし)日向(ひゅうが)(のかみ)長逸(ながゆき)だ。


 容易(ようい)な相手ではないが、庄九郎の別働隊で三好軍の足並みは乱れるだろう。


「良し、攻めかかれ!」


 采配を振る。いよいよ決戦の時だ。







永禄六年(1563年) 七月下旬 山城(やましろ)(のくに) 山崎 伊勢虎福丸


「やはり篠原(しのはら)右京(うきょう)(のしん)は引っかかったか」


 俺が床几(しょうぎ)に座りながら言う。喧騒(けんそう)は聞こえてこない。篠原軍は水無瀬(みなせ)(ばし)を渡った。これで勝負は決まったようだ。決め手は新兵(しんぺい)にある。篠原たちは阿波で腕自慢の猛者(もさ)たちを徴兵(ちょうへい)した。元気が自慢の者たちだが、思慮(しりょ)は足りない。すぐにカッと頭に血が上って追いかけてきた。


手筈(てはず)(どお)りでございますな」


 作兵衛がにやにやと笑みを浮かべる。河村、堤、寺本、並河(なみかわ)の軍が三好軍に攻めかかる。三好軍も三好(みよし)日向(ひゅうが)(のかみ)岩成(いわなり)主税(ちからの)(すけ)三好(みよし)()衛門(えもん)大輔(たいふ)の軍を()り出してくる。だが、もう遅い。


 三好本軍の後方に陣取っていた野口(のぐち)若狭(わかさ)(のかみ)は山崎の町人の女たちが乱暴(らんぼう)狼藉(ろうぜき)()っていることを知ると戦線を離脱(りだつ)。広瀬に布陣した蜷川掃部(にながわかもんの)(すけ)の軍に攻めかかった。


 もちろん町人の女たちはくノ一だ。だがそんなことにも野口(のぐち)若狭(わかさ)(のかみ)は気づかなかった。


 野口若狭守が旗本に守られ命からがら逃げ()びると、三好本陣が掃部(かもん)(のすけ)の軍に襲撃された。三好軍は本陣が攻撃を受けたことにより、我先(われさき)にと戦線を離脱(りだつ)


 昼を過ぎたあたりに勝利は確定した。


 追撃はやめる。三好軍はそのまま麾下(きか)に加えたい。三好(みよし)日向(ひゅうが)(のかみ)篠原(しのはら)右京(うきょう)(のしん)は味方にすれば心強い。


 田中善四郎がお茶を持ってきた。冷たいな。勝った。このまま摂津(せっつ)にまで攻め込むぞ。


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