229、父の不安
永禄六年(1563年) 七月下旬 近江国 観音寺城 六角承禎
皆が揃っている。ゆっくりと座に腰を降ろす。
「父上、三好は四万五千の大軍で伊勢攻めをする由。我らも三万五千で伊勢虎福丸を攻めまする」
倅が嬉しそうに言う。青いな。当主になっても甘い。愚かではない。人を引き寄せるものを持っている。ただ苦労がない。それが損をするということもある。
「それで如何する? 虎福丸を討ったところで公家衆を敵にするだけぞ」
倅が目に見えてむっとする。重臣たちが呆れたように目を伏せた。子供だ。まだ童なのだ。
「ふむぅ。さしもの虎福丸もそなたを敵にしては歯が立つまいな。して、戦に勝ち、虎福丸を殺してどうするのだ?」
「三好と共に将軍家を支えまする。それが六角の役目かと存じまする」
「では諸大名はどうか。例えば、越前の朝倉家よ。朝倉がそなたたちに手を貸すと思うか」
「もちろんでございましょう」
間が合った。倅が首を傾げる。これでは頼りない。いや、儂のせいだ。儂がこの男を甘やかした。父として嫌われたくなかった。体の力が抜けていく。
「朝倉は京に来ない。なぜか分かるか」
「天下を三好と六角に任せたのでありましょう」
「違う。右衛門督よ。朝倉はな。この近江を狙っておる」
倅が目を見開く。
「虎福丸が丹波を手にし、朝倉は近江、若狭を取る。虎福丸ならそれくらいの腹芸をやる。分らぬか。そなたは朝倉義景に踊らされたのだ」
「ば、馬鹿な。左様なことが……」
倅が目を白黒させる。朝倉義景は虎福丸と組んでいる。そして六角を滅ぼそうとする。困ったことだ。そんなことにも気づかぬとは。
「で、では兵は動かせぬ……。清水山城に早馬を。兵を清水山に集める。京には兵を進めぬ。皆、ここから動くな」
倅が重臣たちに言う。やれやれ、ようやく気が付いたか。まあ、これで家が滅ぶこともあるまい。しかし、何とかせねば……当主を変えることも考えなければならぬ。
永禄六年(1563年) 七月下旬 京 御所 伊勢虎福丸
「六角勢、動かず! 朝倉の南下を危ぶんだと思われまする!」
宗助が駆け込んできて大声で報告する。三好軍は四万五千の大軍を発し、もう京へ入ってきている。
「これは幸先や良し」
俺が言うと重臣たちが笑みを見せた。近江国には忍びをたっぷりと忍ばせてある。特に狙いを付けたのが六角承禎入道だ。隠居だが影響力も馬鹿にできない。承禎入道の母親の女中にくノ一を何人か忍ばせておいた。承禎は朝倉が南を攻めると疑心暗鬼に駆られるように仕組んだ。承禎は愚か者ではない。だからこそ、逆に騙されやすい。深読みをした承禎はまんまと俺の罠にかかった。素直に息子の行動を黙認すれば良かったのにな。息子を信じ切れなかった父親の甘さだろう。
朝倉は兵を出す余裕がない。加賀の一向一揆に手を焼いている。
六角は動かない。これで戦局は一気に有利になるだろう。




