214、祁答院家(けどういんけ)創立
永禄六年(1563年) 四月上旬 山城国 京 伊勢虎福丸
出された茶を飲む。対面する男がニッコリと笑った。元関白で太閤殿下と呼ばれる二条晴良。公家社会の大物だ。
「左少将も虎福丸さんの申し出に乗り気でおじゃりました」
左少将と言うのは二条晴良の甥・豊良のことだ。今年で十六歳になる。二条家は本家である晴良の子供たちが継ぐ。豊良はハッキリ言って暇人だ。そこに俺は目を付けた。新しい公家・祁答院家の成立を働きかけたのだ。
公家の数を増やす。そして伊勢家がそれを後押しする。帝も俺の息のかかった公家の存在を無視できなくなるだろう。公家は後継者がおらず、家が滅んだ例も少なくない。ここで数を増やしておく。そして活躍の場を与える。出家させるのも勿体ない。
二条家は近衛家の勢いに押され、今は地味な存在になっている。ここで二条の後押しをしてやろう。二条も伊勢家に頭が上がらなくなる。
ただそれじゃ足利と同じになる。公家に対し、王と振る舞う足利。義輝が悪い例だ。世を混乱させるだけだ。
あくまで一歩引いた立場になる。そこで足利も公家も操る。影のフィクサーというやつだ。二条家には他にも男児が数人いる。この者たちにも新しい家を作らせる。家臣は二条家と伊勢家からも出す。俺が傀儡にするためだ。公家の学問所も必要だ。いずれ作らないといけない。
公家で気になるのは後醍醐帝のような人物が出ることだ。要は過激派だ。この芽を摘み取るために過激派にはわざと資金援助を行う。人の口に戸は立てられない。ならば囃し立てて、内部をコントロールをしてやればいい。公家たちの鬱憤をうまく解消してやる。それで政権は長続きする。
権力を持った者の常道だ。
二条家の娘の嫁ぎ先も考えてやらないとな。近衛家や九条家との関係修復もいいかもしれない。公家の結束を固めて伊勢家を支援させる。我ながらいい考えだ。
永禄六年(1563年) 四月上旬 山城国 京 伊勢虎福丸
「この茶器は」
「丹波で作ったものでございます。見事でございましょう?」
「ふむ……」
岩成主税助が茶器をしげしげと眺める。どうやら気に入ったようだ。ここは三好の本陣だ。といっても三好も六角も本格的には戦っていない。この相国寺では暇を持て余している。
「有り難く頂戴しよう。して、虎福丸殿。天神山城を落としたようじゃな。仁木三郎兵衛も寄騎したとか。見事という他なし」
主税助がニコニコしている。噂通りの数寄者だ。茶器に目がない。茶器と焼き物を送った。三好家内部を揺さぶるためだ。味方につけて損のない相手だ。
「伊勢守殿も良い孫に恵まれた。三好家中でもそのように言っておりまするぞ」
主税助が機嫌良さそうに言う。戦の決着はつかない。六角も内部がガタついている。伊勢家だけは揺るがない。領地経営に専念できるというものだ。




