203、義の武将
永禄六年 (1563年) 一月上旬 丹波国 八上城 城下町 波多野秀治の屋敷 波多野秀治
「大村城が落ちましてございまする」
大膳が言うと皆がどよめいた。福住四郎左衛門吉次、伏屋左衛門氏章、広瀬豊後師国、安木平左衛門家能、太宰善之助義矩、西朱雀治郎左衛門、鷲尾平太郎、いずれも一騎当千の兵だが、顔には怯えの色すらある。
「田中河内守は如何相なった?」
「一族郎党降伏し、そのまま大村城主に任じられた由」
皆から溜め息が漏れる。まただ。城が落ちた。これでは園部は虎福丸の物になる。
「虎福丸は死んだという雑説が流れておりまする」
慰めるように大膳が言う。そうだ。そういう雑説を民が口にしている。虎福丸の所に京の名医である曲直瀬道三が呼ばれたというのだ。流行り病だという。もし虎福丸が頓死すれば僥倖だ。
「籾井も荻野も赤井も虎福丸に靡きつつある。これではまずい。六角は動かんのか」
六角とは秘かに盟約を結んだ。虎福丸を討つ。そのために波多野と六角で手を組むと。六角は観音寺城に兵を集めて、動きがない。遅い。文句も言いたくなる。
「そろそろ動いてくれないと困りまする」
豊後守が文句を言う。当てにならんな。
「まあ良い。虎福丸の病重ければ、この右衛門が大村城まで攻めるということもできよう。ただな、堤三郎兵衛も蜷川丹後守も戦上手。そうそう勝てるとは思えぬ。ここは一つ策がある」
皆が俺を見る。気になるようだ。
「父上の首を差し出す。それで皆助かる。俺も皆も伊勢家で立身出世する。どうだ、悪くない話であろう」
「何と!」
「若、お戯れを!」
皆が俺を責める。うるさいな。伊勢家に、虎福丸殿に利があるとなぜ分からぬ?
「戯れではないわ。民百姓から憎まれ、町人に家に押し入っては女房娘に乱暴する。寺の尼には乱暴する。これが父上の兵のやったことだ。俺にも庇いきれん暗君よ。フン。死にかけの虎福丸の方が仕え甲斐があるというものだ。そなたらも犬死には嫌だろうが」
皆が黙る。先代の方が良かった。口には出さないが皆そう思っているのだ。ま、先代に毒を盛るように父上を煽ったのは俺だが。
ククク。早く来てくれ。虎福丸殿。病如きで死ぬそなたではあるまい。俺はそなたに仕えたい。足利も朝廷もどうでもいい。一族郎党の首を手土産にそなたを天下人に押し上げさせてくれ。
永禄六年 (1563年) 一月中旬 丹波国 園部の屋敷 蜷川貞周
「田中河内守は随分と富を蓄えておるな」
「御意にございまする」
横になった若が笑みを浮かべる。道三の薬のおかげで良くなった。ただ若は重病だと思われたいようだ。昨日は京から清原の姫がやってきた。若は姫たちに好かれている。若が元気だと知ると皆ほっとして帰っていく。
「河内守には太刀と馬を与えよ。倅もおっただろう。小姓に取り立てる。降伏した者でも冷たくはせぬ。それが俺のやり方だ」
返事をすると若が嬉しそうにする。
「波多野では波多野右衛門が中心になって伊勢家討つべしと意気盛んのようでございます」
話を変えると若の顔も真剣になる。
「右衛門……知らんがどのような人物なのだ?」
「まだ十七でございまするが、馬を使いこなし、槍も弓も相当な腕前とか。童の時には高僧にすら論を挑んで負けなかったほどの神童でございまする」
「ほう」
若が邪悪な顔をする。こういう時の若は天魔としか思えん。天狗でもとり憑いているのではないかと。
「殺すには惜しい。何としても手に入れたい。うむ。欲しい」
また始まったか。これは病のようなものだな。
「無理でしょう。義に厚い男のようですから」
「丹後よ、果たしてそうかな。波多野右衛門とてこの戦国の世に生まれたのだ。義よりも自らの野心に思うがままに生きたい思う心も有ろう。芽はあるのだ。ふむ。分かった。右衛門か。フフフ」
若がますます悪い顔になる。病になって性根がますます歪んでしまったようだ。いや元からか。




