2、転生
永禄三年(1560年) 一月 京 伊勢貞助の屋敷 伊勢虎福丸
転生したら戦国時代だった。しかも伊勢虎福丸に転生だ。伊勢虎福丸ってマイナーな戦国武将だよな。元々歴史好きなサラリーマンだった俺でなければ、知らなかったような戦国武将だ。祖父は政所執事の伊勢伊勢守貞孝、幕府の重鎮だ。史実ではこの二年後に三好に反乱を起こして、戦死している。この時に父親である伊勢兵庫頭貞良が祖父と一緒に死んでいる。その後、伊勢虎福丸は若狭武田家を頼って、北に逃れた。
永禄の変で将軍義輝が暗殺されると、帰京し、伊勢家を再興させた。そして十四代将軍義栄について、四国に渡った。信長が義輝の弟・義昭を擁してくると、信長とは敵対した。
義栄が死んで、しばらくすると伊勢虎福丸は織田家の軍門に下り、義昭の家臣となっている。成人して伊勢貞為と名乗った。
義昭の側近となった伊勢貞為は信長と対立して義昭に従い、二条城に立て籠った。二条城は落城し、伊勢貞為は信長に降伏する。信長の家臣を続けた伊勢貞為は本能寺の変の前年に世の中から隠遁し、著述業に励むことになる。こうして伊勢家は歴史の表舞台からひっそりと消えた。
このままいけば、史実通り、伊勢貞孝の反乱が起きる。俺は伊勢貞孝の反乱は義輝の指示だと思う。義輝は何としても、三好を倒したかった。そのため、六角と畠山に三好討伐を呼びかけた。そこに伊勢貞孝も加わっていたのだろう。この時代、六角と畠山はしきりに三好と戦をしている。伊勢貞孝の反乱がこれと無関係というのは有り得ないだろう。
俺は祖父と父の死を黙って見ているつもりはない。何より母上が可哀想だ。仲睦まじい夫婦だからな。その暖かい家庭を壊したくない。それが息子である俺の強く思うことだ。
「加賀守様もおかしいと思われませぬか。三好筑前守と松永弾正忠の専横は目を覆うばかりでございまする」
「宮内少輔殿の申されることは分かるがなあ」
加賀守様が腕を組んで、壮年の男の言い分を聞いている。細川宮内少輔隆是。幕臣の一人だ。
「三好は強大じゃ。朝廷も三好を頼りとしておる」
「それは分かっておりまする。まるで義輝様に力なきような振る舞いは無礼同然。朝廷とも交渉するのは武家の棟梁たる征夷大将軍の仕事にござる! それを三好筑前守が奪うは専横にございまする!」
兄ちゃん、気合いが入り過ぎだ。細川宮内少輔は握り拳をすると、思わず立ち上がった。
「三好筑前守は義輝様を心配しておるのだ。そのため、自分が政務を行っている。儂から見ても、義輝様は危うい」
「と申されますと?」
「武力がございませぬ。立ち上がったところで討たれるだけでございまする」
「将軍を討つ、だと。馬鹿な」
宮内少輔が信じられないようなものを見る目で俺を見た。
「む。先ほど気になっていたのですがこの幼子は誰ですか。加賀守殿」
「伊勢伊勢守の孫・虎福丸じゃ。面白き子じゃぞ。今日も母に抱かれて儂の屋敷に参ってな。太平記の物語の講釈を所望してきた。宮内少輔殿も一つ、この童の言うことを聞かれると良い」
宮内少輔は興奮が治まったのか、座に座った。そして、俺を見る。
「義輝様を討つことなど有り得ようか。全国の諸大名が許すはずもあるまい」
「今、三好に勝てる大名がいましょうか。周防の大内も滅びましたが」
「ある。関東の北条。越後の長尾。駿河の今川。安芸の毛利、それに近江の六角。皆、三好のやりように不満を感じている」
「関東の北条は無理でしょう。遠すぎまする。越後の長尾も家臣たちをまとめきれませぬ。安芸の毛利は出雲の尼子という敵がいますし。近江の六角は強大ですが、三好にかないますまい。三好は八ヵ国、いえ大和を入れたら九ヵ国になりまする。局所での戦いでは六角は勝つかもしれませぬが、持久戦になれば、三好が勝ちましょう」
細川宮内少輔を見た。微かに震えている。ブルっちゃったのかな?
「駿河の今川は? まだ今川がおるぞ。今川は足利家の譜代でもある」
「左様。足利の家臣の中で最も力を持っている大名とは今川にござる。今川治部大輔義元は駿河・遠江・三河の三州を治め、東海一の弓取りと称される御仁にござる。また足利尊氏公の家臣として今川は幕府の重きをなしてきた。尾張の織田、美濃の斎藤を引き連れて上洛を仕掛けてくるでしょう。今川が、今川さえ動けば」
「確かに今川は足利の家臣にございまするな。それでももう二百年経っておりまする。足利の権勢も八代将軍の頃より衰え、今川に足利への忠義など果たしてありましょうか」
「あるからこそ今川義元は上洛するのだ!」
細川宮内少輔の顔が真っ赤になっている。ふーん。これが幕臣たちのレベルか。この読みの浅さ。見識にも深みがない。今川に対しての分析が全くできていない。
「今川の上洛が成功すれば、義輝様は将軍職を解任されかねません。それくらい、今川は足利家に従わぬでしょう」
「まさか。なぜだ?」
宮内少輔が目を剥いた。本当に何も知らないんだな。教えてやるか。
「良いですか。宮内少輔様。今川義元は実の兄を花倉の乱で破って当主の座についた御方でございますぞ。つまりは戦国乱世の申し子。下剋上のお手本にございまする。弟が兄を倒したのでございますから。と、いうことは三好と同じ下剋上の考えを持っている、と。現に今川仮名目録というものを定め、幕府の決まりに従いませぬ。足利に喧嘩を売っているのでございますよ」
「た、確かに足利家と今川家は疎遠だ……。今川の真の狙いは自らが将軍となることか」
「そうであってもおかしくはありませぬ。大内義隆様も家臣に討たれました。今川が同じことを考えてもおかしくありませぬ」
宮内少輔が青くなった。九年前に起きた大寧寺の変。大内義隆は討たれ、宮内少輔は命からがら山口を逃げ出した。そういう話を聞いたことがある。おそらく宮内少輔は大内義隆に上洛をさせる係だったんだろう。そのため、大内家に滞在していた。大寧寺の変では多くの大内家臣や公家が討たれた。宮内少輔はそのことを思い出したのだ。それで青くなっている。
「今川の上洛に期待するのは間違いか……むう。虎福丸殿。ご教授痛み入る」
宮内少輔が頭を下げてきた。俺も頭を下げる。
「いえいえ、頭を上げてくださいませ。宮内少輔様のお役に立てて何よりでございます」
俺はにっこりと笑うと、宮内少輔の肩に手を置いた。加賀守様が笑い声を上げた。あれ、俺は何かおかしなことを言っただろうか?
永禄三年(1560年) 一月 京 平安京内裏 三好長慶
庭に雪が降っている。風情があるわ。しばらく眺めていよう。
「父上、主上は嬉しそうでございましたね」
倅の三好筑前守義長が話しかけてきた。今、拝謁を終わらせたところだ。そして宮中の廊下を歩いている。私は筑前守を倅に譲った形になった。従四位下修理大夫。それが新しく任官した官位だ。細川の家臣に過ぎなかった三好が朝廷に認められ、官位が上がっていく。嬉しい、とともに職責の重さを痛感する。天下の行く末は三好にかかっていると良い。義輝様はまだお若い。私が支えねば。
「主上もこの乱世を憂いておられるのだ。そこで我らに期待されているのであろう。幕府は当てにならぬからな……」
義輝様には早く独り立ちして欲しいものだ。倅の筑前守義長が頷いた。
「ところで伊勢の童にございまするが、今川は当てにならぬと幕臣を説き伏せたそうにございます。真に愉快痛快」
家臣の松永弾正少弼久秀が笑顔でそう言った。弾正少弼も一緒に帝に拝謁した。弾正少弼に任官している。朝廷は弾正少弼にも期待しているのだ。
「ほう。そのように面白き童がいるのか」
「はっ。伊勢伊勢守の孫だそうで」
弾正少弼が笑みを浮かべながら言う。よほど面白かったのだろう。
「今川だが、上洛の動きありと忍びは知らせてきている。近く上洛を仕掛けてくるだろう。もしや、義輝様は今川を唆しているのか」
「さもありなん。義輝様ならやりかねませぬ」
弾正少弼が面白がって言う。義輝様と今川がつながっている。有り得ることだ。軍勢を京に集めねばならぬか。いや、情勢を見極めるためであれば、その童子に会った方が早そうだ。関東の北条の姫は今川に嫁いでいる。北条は京の伊勢氏が関東に下った者だ。つまりは政所執事の伊勢氏と同族。伊勢家が今川のことをよく知っているのはそれが原因だろう。
「弾正少弼、筑前守。官位を頂戴したことで喜んでいる場合ではない。東海一の弓取り・今川治部大輔は強敵じゃ。一刻も早く今川のことを知りたい」
「「はっ」」
二人が返事をした。
「伊勢の童を屋敷に呼ぶ。今川のこと教えてもらわねばならぬ」
二人とも目を丸くしておる。童子でも構わぬ。三好の天下が崩れてはならぬのだ。童子であれ、老人であれ、教えを乞おう。我ら三好に足りぬものは補わねばならぬ。