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191、弱気

永禄五年 (1562年) 六月中旬 山城(やましろ)(のくに) 京 三好(みよし)(よし)(なが)


「西田城まで落ちたと申すか」


「はっ」


 内藤(ないとう)備前(びぜん)(のかみ)が答える。()め息が出るのを(こら)えた。古世(こせ)(じょう)が落ちた。それと馬堀(うまぼり)(じょう)も。虎福丸の領地は増えている。関一族を加えて総兵力も五万を軽く越えただろう。浪人たちも競うように虎福丸に仕官している。


 兵力において三好家を越えつつある。もはや大大名といっても良い。


「幕府は丹波の戦乱を(しず)めるために虎福丸を丹波守護代に任じる動きも出ておりまする」


 松永彦六が言った。そんな動きが。幕府ですら虎福丸につくと言うのか。


「このまま新庄城が落ち、伊勢虎福丸の治める地が増えれば、三好に襲いかかるやもしれぬ」


「安心めされよ。新庄城は(かた)く、すぐには落ちぬ。それよりも北の赤井(あかい)(あく)()衛門(もん)らを討って、丹波を我が物とするであろう」


 彦六がぎろりとこちらを(にら)むと言った。動じるな、と言うのだろう。そうだ、彦六の言う通りよ。落ち着くのだ。虎福丸は敵ではない。表向きは味方だ。今はな。


「それよりも六角じゃ。上洛する動きがある。正直な、豊前(ぶぜん)殿(どの)が三河に行って防ぐのは厳しい。ここは芥川山(あくたがわやま)に戻って兵を集めるべし。我らも大和から南山城(みなみやましろ)(うかが)う。虎福丸のせいで波多野は動くに動けんだろうしな」


 彦六が苦り切った顔で言う。備前(びぜん)(うなず)いていた。父上と叔父上がいないだけでこんなにも苦しいとは。虎福丸め、憎たらしい奴、あ奴のせいで京を捨てざるを得なくなったわ。










永禄五年 (1562年) 六月中旬 丹波(たんば)(のくに) 西田城 伊勢虎福丸


屋賀(やが)(じょう)の内藤新介、美濃(みの)田館(だやかた)(あら)()新兵衛(しんべえ)を攻める。これらは河村権之助に任せよう」


「我らは西田城で新庄城の内藤軍を抑えるのですな」


「そうだ。作兵衛。奴らを抑えていなければならん」


 作兵衛、宗助と地図を見る。新庄城を中心とした地図だ。


「それと若、京に出張(でば)っていた三好(みよし)筑前(ちくぜん)の軍でございますが摂津(せっつ)退()くようで」


 宗助が思い出したかのように言った。


「何と。筑前(ちくぜん)め、弱腰になったか」


 京ががら空きになる。それは俺にとっても面白くない。六角が出てくれば、こちらに兵を向けかねん。波多野と六角、同時に敵に回せば厳しくなるだろう。


「三好に使者を送れ。京を捨てれば、六角は勢威(せいい)を増す。そうだな。古世(こせ)内記(ないき)を送ろう」


 筑前の弱気を(つぶ)しておく。こういう時は強気に出ないと家の衰退(すいたい)を招く。三好と六角なら三好の方がいい。俺が丹波(たんば)攻略(こうりゃく)している間はな。


 ここはじっと待つ。内藤(ないとう)安芸(あき)(のかみ)は戦上手で備前(びぜん)(のかみ)のお気に入りだった男だ。戦がしたくてうずうずしているだろう。我慢比べだな。早く出てこい、安芸(あき)(のかみ)。出てきたら野戦で叩きのめす。



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