178、今岡の戦い
永禄五年 (1562年) 六月上旬 丹波国 今岡城付近 伊勢虎福丸
夜が明けて今岡城まで進軍する。今岡城には福井因幡守六百が籠っている。何とか潰す前に和議に持ち込みたい。
城を囲んだ。三方向から攻めることにした。南に河村権之助、東に香西道印入道が布陣する。
本陣は一万で北に布陣した。
かねてよりの計画通り、並河兵庫家治が百の手勢を率いて城の水の手を絶とうとしている。隠し井戸があるらしい。それは兵庫に任せた。
各軍が動き出す。攻城兵器も揃っている。力攻めに押すしかない。
「若、大変でございます。ふりが参りまして、手傷を負っているとのこと」
岡部左門が血相を変えていた。ふりというのは北条弥七郎の配下の忍びで穴太城で女中として忍んでいる女だ。会ったことはないが、相当な美人らしい。
「何、どうしたのだ。大丈夫か」
「こちらに連れて参りまする」
すぐに女が寝たまま連れてこられた。ふりの顔色は悪い。
「斬り合いになって殴られました。何とかここまで逃げてきましたが。穴太城の赤松播磨守が兵を集めており、その数は一万を越えています。おそらく八木城の兵が穴太城に逃げ込んだものと」
ふりが荒い息を吐きながら話す。赤松か。抜かったわ。福井ではなく赤松に兵が集まっていたのか。
「ふり、無理するな。休め」
「は、はい。私ももっと早く知らせたかったのですが、波多野の忍びの目が厳しくて」
「もう良い。喋るな。傷に触るぞ。左門、ふりを休ませろ」
「御意」
床几に座る。喚声が上がった。西の方だ。赤松軍だろう
「赤松播磨守を討つ。城の方に備えを残し、西に備えよっ」
采配を振る。危なかった。このままだと本陣は壊滅していただろう。こちらの動きが読まれている。波多野め、やりおるわ。まあいい、迎え撃ってやる!
永禄五年 (1562年) 六月上旬 丹波国 今岡城付近 伊勢虎福丸
弓兵の一斉射撃に赤松軍が怯んだ。そこに徒武者と騎馬兵が突っ込む。赤松軍の先陣が乱れる。
「若、このまま堤軍を押し込みましょうぞ」
岡部左門が提言する。いいこと言うな。俺もそう思っていたところだ。
堤三郎兵衛の第二陣を投入する。赤松軍は耐えられるかな?
地響きがあった。
「権之助か」
南に布陣していた権之助が俺の本軍を助けに来た。波多野軍が面白いくらいに蹴散らされる。
第三陣を押し出す。大沢内記の軍だ。赤松の本陣が逃げ出した。他の赤松家臣たちもじりじりと後退する。
「波多野、恐るるに足らずっ」
赤松軍が総崩れになる。堤、河村、大沢の軍が追い立てる。勝った。これで今岡城をゆっくりと料理できるとおいうものだ。