172、新しい人材
永禄五年(1562年) 五月上旬 丹波国 八木城 伊勢虎福丸
「刀鍛冶助行が七男、長七にございまする」
若い男が頭を下げた。大柄な男だ。
「それからあとの二人、百姓の倉助と町人の又八にございます」
右筆の岡部左門が指し示す。痩せた男と太った男が顔をこわばらせた。四歳の俺をそんなに怖がるな。取って食ったりはしないぞ。
「ようやった。左門から仔細聞いておる。城攻めの折、大した働きであった。その方ら武において比類なき働き、天晴れである。武士に取り立てよう」
「滅相もない。ありがてえ申し出じゃがわし百姓じゃで」
百姓の倉助がぶんぶん首を振る。他の二人も俺のことをまじまじと見ていた。
「嫌ならやめておくがこれから厳しい戦いになる。そなたらの力が借りたいのだ。このまま波多野や六角をのさばらせていいものか。俺は百姓だからと言って武士に劣るとは思えぬ。伊勢家中は良いぞ。手柄を立てれば取り立てられる。このまま親のところにいても親類にやいのやいのと言われるだけだ」
「若様の言う通りじゃ。家に帰っても兄弟もたくさんおるし、肩身が狭い。武士として戦働きをするのもいいかもしれん」
長七が真面目な顔をして言う。吹き出しそうになった。そうか。肩身が狭いか。そうだよなあ。実家の刀鍛冶は嫡男が継ぐし、七男は居場所がない。居心地は悪いだろう。
「その方らの働きが我が家にとってはいるのだ。波多野との戦いを共に戦おうぞ」
「若様がそこまで言うなら……」
又八が遠慮がちにこちらを見る。
「若様、わしみたいな田舎者でも良ければ」
「私もです。若のことは好きだ。若のお役に立ちたい。刀鍛冶の倅で良ければ使ってください」
「うん。その意気だ。いいぞ。稽古に励むが良い。戦はすぐに起こる」
三人が笑顔になった。良い人材だ。三河に伊勢家臣が行って人材不足だからな。町人でも百姓でも使える家臣は増やしておいた方がいい。
永禄五年(1562年) 五月上旬 丹波国 八木城 伊勢虎福丸
「若、起きて下され。若」
オッサンの声で飛び起きた。褒美や人員配置、国人衆の挨拶などに昼は忙殺された。夜はすぐに眠った。幼児の身だ。まだ疲れやすい。
大沢内記の顔があった。内記の眉が垂れ下がっている。困り果てているのだ。一目でわかる。
「香西源蔵殿、波多野衆に追い立てられ、敗走致しました」
「あの阿呆が」
俺は源蔵の間抜け顔を思い出した。負けた。数の上では三倍近い兵を擁していたのにか。
「波多野軍はこちらに千の軍勢で向かっておりまする。いかがなされますか」
「千か。少ないな。内山城の兵は囮だろう。兵が潜んでいるはずだ。探せ」
大沢内記が返事をして部屋から飛び出していった。
波多野を舐めていた。ここまで早く逆襲するとは。さすがに細川の者たちだ。ゲリラ戦が得意ときている。
しばらく待った。じれったいな。
「宗助、いたのか。さすが忍びよな。気づかなかったぞ」
廊下から男が姿を現した。忍びの宗助だ。
「ハハハ。いつでもお側におりまするぞ。……忍び衆で探しましたが、怪しい山はいくつかありましたが、入っていくわけにもいかず」
「山に籠られると忍びでも探すのは難しいだろう。良い。波多野軍は俺が蹴散らす」
俺は立ち上がる。もう深夜一時だろう。全く波多野も必死だな。こんな夜遅くに攻めてくるとは。
軍勢は七千。八千は八木城の留守を任しておいた。城下町に兵を伏せ、内記に右翼、左衛門尉に左翼を任した。じっと待つ。来るなら来い。叩きのめしてやる。
永禄五年(1562年) 五月上旬 丹波国 八木城 伊勢虎福丸
勝負は一瞬でついた。のこのこやってきた波多野軍は大沢・蜷川の両軍と伊勢本軍に押されて、すぐに崩れた。後は楽なものだ。
「よし、幸先や良しっ」
俺は輿に乗り込む。暗いが、城下町は灯りが灯っている。眠らない町だ。岡部左門がやってきた。
「お味方大勝利にございまするぞ」
左門の奴、嬉しそうだ。俺も嬉しい。これで内山城も手に入ったも同然だ。
「左門、嬉しいか。俺も嬉しいぞ。胸をすく勝ちだわ。者ども、勝鬨を上げよ! エイ、エイ、オーーーーーーっ」
「「エイ、エイ、オー――――――――っ」」
兵たちが答える。深夜だというのに皆、興奮しているな。このまま内山まで進む。波多野を内山城から叩き出す。