168、八木城を巡る政争
永禄五年(1562年) 四月上旬 摂津国 芥川山城 三好長逸
「虎福丸殿が勝ったとな」
筑前(三好筑前守義長のこと)が目を見開いている。唇もわなわなと震えていた。やはり、若い。孫次郎(三好長慶の若い頃の名)とは違うのだ。孫次郎は幼い頃から抜きん出ていた。儂ですら、言い負かされた。あれは麒麟よ。筑前も愚かではない。だが、虎福丸は強い。強すぎるのだ。寒気すらする。正月に会った時にも尋常ではない気を放っていた。
「御意。鉄砲隊と弓隊によって波多野勢の先手は痛手を被った由。八木城に籠城はしておりまするが、長くないと思われます」
内藤備前守がゆっくりと話す。筑前が嫌そうな顔をした。ここで虎福丸を討てれば良かったものを、そういう顔だ。
三好にとってもう虎福丸は邪魔でしかない。三河国も手に入れた。銭をたくさん持っている。三好に比べれば、それ程でもない。それなのに六角も畠山も虎福丸を当てにする。面白くない。筑前はよくそう言っていた。
朝廷や商人たちですら、虎福丸を求める。南蛮の者たちですら、そうなのだという。危ない。生かしておいては三好の天下が危ぶまれる。
「四歳だ。刀とて持てぬ。輿に乗っているのだそうだ。童だ。童に波多野が負けた」
筑前が譫言のように呟いている。相手が悪かったとしか思えん。虎福丸を舐めていた。こんなところで力を出すとは。
朝廷は和睦を仲介するように使者を寄越した。朝廷ですら虎福丸を守ろうとしている。
何なのだ、これは。虎福丸とは何者なのだ。いや、四歳だ。四歳の童に過ぎん。焦るな。己に言い聞かせる。天下の主は三好だ。足利ではない。足利などもう力はない。そうだ。虎福丸などいつでも殺せる。波多野をもう一度焚きつけるのだ。
「ここまで来ると虎福丸殿は内山城を落とすでしょう。いずれ、鶴首山と八木も落とす」
内藤備前守が言う。誰も返事はしない。波多野に忍びを遣わす。負けてなるものか。何とかして勝ちを拾わねば。
永禄五年(1562年) 五月上旬 丹波国 内山城付近 香西元近
「勝ち戦じゃ。波多野も口ほどにもない」
目の前の童子がにこりと笑みを浮かべた。愛嬌がある。可愛らしい童子だ。内山城からしつこく攻めてきた。奇襲だったが、うまいこと返り討ちにした。もう五度目だ。大将首もいくつも取った。酒がうまい。女も手に入れることができた。
「内山城ももう落とそうではないか。はっはっは」
「いやまだ早い。朝廷の使者がついてからで良いでしょう」
「和睦か。我慢ならんぞ。このまま八木城を攻め潰してしまえば良い」
「なに、朝廷とて本気ではない。波多野が暴れたら京が火の海になる。そうすれば困るのは朝廷です。和睦などふりだけですよ。ただ朝廷の顔を立てるのも悪くはない」
声を上げて笑った。そうか。波多野は朝廷にも見捨てられたか。
「源蔵殿、内山城を任せましたぞ。勇ましい源蔵殿なら内山城の波多野勢を抑え込めるはずだ」
「アハハ。大船に乗ったつもりでいるのだ。この戦は我らの勝ちだ。貴殿には戦の才がある。はっはっは。気に入ったぞ。貴殿こそは諸葛孔明に匹敵しよう。はっはっは」
虎福丸が立ち上がる。笑みを浮かべていた。ふむ。良い気持ちだ。勝ち戦が続いている。波多野め、我らに手も足も出まい。うわっはっはっは。