166、初陣
永禄五年(1562年) 四月上旬 近江国 大津 伊勢虎福丸
大津に軍勢八千が集結していた。朝日が昇っている。これから朽木攻めだ。方々には触れ回っている。本当は陽動だ。狙いは桐野河内にある。
波多野を油断させる。
「虎福丸殿、朽木は怯えておりましょうや」
頭巾の男がやってきた。香西道印入道。細川の家臣で丹波に根を張る男だ。
「怯えておりましょう。そろそろ使いが来るのではないですかな。まあそれよりも六角が驚いておりましょう」
「六角を敵に回して良いのですか」
道印の背後にいる若い男が言った。
「香西源蔵元近と申す。入道殿の甥にござる。六角が京に雪崩れ込めば、いくら伊勢家と言えど」
「六角はそれどころではござらぬ。東に浅井と言う大敵を抱えておりまする。危ない橋は渡りますまい。六角右衛門督も愚かではない」
「しかし」
「心配無用。入道殿の軍勢と合わせれば、桐野河内を取り戻すことは難しくありませぬ」
香西元近が不満そうだ。若いな。
「これ、源蔵。落ち着け。虎福丸殿には天賦の才がある。三河一国を守ったのだ。この御仁に我らがとやかくも言うまい」
「それは承知しておるのですが」
何か言いたそうだ。まだ若いな。そして青い。小僧だ。
「その先が厄介です。三好が我らの動きを許すか」
「虎福丸殿と三好筑前殿は昵懇の間柄とお見受けするが」
今度は入道だった。そうだ。表向きはな。ただ筑前は俺の力を懼れている。筑前は俺の邪魔をしたくてたまらなくなっているだろう。
「許すでしょう。今はまだ。三好も六角・畠山と仲が悪くなっています。公方様を追放したのがまずかった。三好は周囲に敵を作った」
三好の天下も長くない。三好長慶も力が衰えている。この隙に伊勢家を大きくする。伊勢家にはそれだけの力がある。
永禄五年(1562年) 四月上旬 丹波国 桐野河内 伊勢虎福丸
摩氣神社の境内に入る。甲冑は着ていない。軽装だ。周りを堤三郎兵衛、河村権之助ら家臣たちが固める。波多野勢二千は逃げるように去っていった。呆気ないものだ。戦になると思ったが。
境内には巫女たちがいた。十人くらいだろうか。見たことがない若い女たちだ。
「ど、どうかお命だけはご容赦を」
巫女の一人が慌てて床に這いつくばる。他の巫女たちも土下座した。怖がられたものだ。
「波多野の女衆か。手出し無用と命じてある。俺は伊勢虎福丸。どうだ。俺に仕えぬか」
「つ、仕える……」
巫女の目が見開かれた。
「そなたたちは見捨てられた。波多野に先はないぞ」
巫女たちが顔を上げ、顔を見合わせた。
「伊勢家は豊かだ。良いところだぞ。波多野なんぞについていれば殺されるだけだ。どうかな?」
巫女たちが頷いた。良かった。これで血を見ることはあるまい。
これで波多野がどう出るか。お手並み拝見といこうか。




