162、決戦!吉田城外の戦い
永禄五年(1562年) 一月下旬 三河国 牛久保城 伊勢虎福丸
「何、結城七郎の軍勢だと?」
「はっ、千葉や那須の旗印も見えまする」
忍びの大木佐兵衛が耳元で囁く。目覚めが悪いな。
「二連木で見た忍びは四万は下らぬ数と」
午前六時。忍びに叩き起こされた俺は北条の大軍が迫っていることを知らされた。今川が牛久保の援軍に来なかったのは北条を待っていたからだろう。
「清源寺には武田の旗印が翻っておりまする」
武田まで、か。岡崎から海を渡って逃げて来たか。恐ろしい奴らよ。
「武田の軍勢は?」
「一万は下らぬかと思いまする」
とんでもない大軍だな。
「それと……大崎城には六角、北畠の軍勢がおりまする」
俺は息を吐く。
「どうせ三好の差し金であろうな。ふん、どこまでも愚かな男よ」
三好義長の顔が思い浮かんだ。俺を屈服させようとしているようだ。いや、殺す気か。ならば受けて立つまで。
「吉田城に軍を進める。二郎左衛門、玄蕃にそう下知せよ」
廊下にいた小姓が足早に下知を伝えに行く。逃げるわけにはいかない。ここで今川を打ち破る。
永禄五年(1562年) 一月下旬 三河国 吉田城近く 伊勢虎福丸
壮観だな。今川勢三万の軍勢が布陣している。そこに北条軍四万、武田軍一万が加わっている。
二郎左衛門が床几に座っている。少し緊張しているようだ。俺も戦場は初めてだ。
「まずは本多平八郎の軍をぶつけまする」
二郎左衛門がぼそりと言った。口元は堅く結んでいる。大丈夫か。もっとリラックスしろ。
「うむ」
本多平八郎の軍が動き出した。牛久保でも城門を破ったのは本多軍だ。やはり平八郎は強い。
本多軍と戦うのは今川の先鋒、岡部軍。槍合戦が始まる。怒号がこちらまで聞こえてきた。
「北条は動かぬな」
北条軍は微動だにしない。武田軍もだ。流言飛語を流しておいた。三好は関東の北条を潰したがっている。そのため、今川を利用して北条・武田の両家を滅ぼそうとしている。
北条氏政は困り果てているだろう。万事において慎重で義侠心に篤い。それは良さでもあるが、同時に弱点でもある。
酒井、石川、深溝松平が動き出した。今川軍も瀬名、庵原、長谷川軍が対応する。今度は織田勢の金森、丹羽、村井が槍を繰り出した。応戦するのは武田軍だ。あちこちで槍合戦が起きる。鉄砲の音も聞こえてきた。
瀬名、庵原、長谷川がじりじりと後退する。良い傾向だ。これは勝てる。もう一押しだ。
永禄五年(1562年) 一月下旬 三河国 吉田城近く 井伊直盛
「ええい、何をやっておるのだ! 北条め、今動かねばいつ動くのだ!」
思わず立ち上がった。伊勢軍は手強い。我が軍の奥にまで入り込んできている。
「殿、ここは退きましょうぞ」
但馬が焦っている。珍しいことよ。ここで討ち死には避けねばならん。
「殿より伝令! 本陣は南に動かしまする!」
「相分かった。我らも南に下がる!」
伝令が引きつった顔になった。
「ここに踏みとどまって下され! 本陣を、本陣を守らねば」
「黙れ! 我ら井伊は犬死にせぬわっ! 但馬、全軍に伝えよ! 南に退くぞ――――っ」
但馬が頷いた。伊勢軍は強い。これは我らが負けるかもしれん。




