16、旅立ち
永禄四年(1561年) 三月 京 御所 伊勢虎福丸
そんなに驚くことないじゃないか。俺は慶寿院様と摂津中務少輔を見ながら、思った。公家風の衣装は様になっていると自分でも思う。衣装は御台所様に着せてもらった。
「義輝様、これは一体」
「虎福丸は三条家の家人として武田に赴くことになる。そのため、武士の格好ではおかしかろう。余と御台とで衣装を見繕ってやったというわけよ」
義輝の言葉に摂津中務少輔が目を丸くしている。中務少輔は幕臣の中では温厚で冷静沈着な男だ。その男が驚いている。そんなに俺が公家風の衣装なのがビックリなのか?
「正親町三条家の家人、としてですか。三条の御方を寵愛される信玄殿のこと。温かく虎福丸殿を迎え入れる……なるほど。三条家と話をつけられたわけですな」
「そうだ。虎福丸が話をつけてきてくれた」
笑顔で義輝が言った。そうなんだよ。三条の連中には津島で焼いた壺を持って行ってやった。当主の正親町三条宰相は目の色を変えていたな。津島の壺は有名だ。宰相は食いついてきた。そして武田の説得を頼んだ。決して北条を見捨てるわけじゃない。長尾景虎の上洛を実現させるためには武田の協力が必要不可欠であると丁寧に説明した。三条宰相は長尾と近衛に反感があるようだったが、俺すなわち伊勢虎福丸なら信用できると書を認めてくれた。内容は武田信玄に向けて、だ。長尾の上洛戦を邪魔しないことを約束せよ、と武田に迫るものだ。足利と武田の秘密軍事同盟のようなものだろう。そして、信玄をびっくりさせるため、俺は名義上、三条家の家人ということにしてもらっている。こういうのはド派手な演出がいるんだよな。三条の使いで幕臣の俺が武田に使者として来る。信玄たちの驚く顔が目に浮かぶわ。
「義輝殿。虎福丸殿を大切になされませ。この子は、いえこの者は足利にとって欠かせぬ臣となりましょう」
慶寿院様が温かな目で俺を見てくる。俺も慶寿院様を見た。若い頃は美人だったんだろうな。雅なお姫様の雰囲気を醸し出している。優しそうな女だ。しかし、芯は強い。乱世を夫と共に生き抜いてきた女の強さなのだろう。
「分かっておりまする。虎福丸は余の股肱の臣。このたびの武田への使いも見事に務めを果たしてくれると思いまする」
義輝が言う。調子のいいことを言うと思う。それでも三好一強を変えるには武田を味方とするしかない。気を引き締めて事に当たらねば。
永禄四年(1561年) 三月 相模小田原城 北条氏政
評定が終わった。結局、籠城しか手はない。重臣たちもそう言っている。側には隠居の父上がいる。父上の手には書状があった。北条の当主は私だ。しかし、重臣たちは父上の言うことを聞く。当たり前と言えば、当たり前だ。今は父上から学ばなければならない。そのためには己を封じ込めねば。
「新九郎、虎福丸から文じゃ。長尾は人望なき故、ご安心めされよ、とな。笑ってしまうわ」
父上が声を出して笑った。
「烏合の衆故、早晩、長尾は内輪もめを起こすとも書いてある。ハハハ。兵庫頭殿の倅は面白いわい」
「虎福丸は父上の見立てと同じでございまするな」
「そうよ。長尾の十万など虚仮脅しに過ぎぬ。長尾弾正少弼に、あれに十万の軍勢などまとめきれまい」
今のところ、長尾の軍勢は結束が強いようだ。忍びからそう聞いている。北条憎しで連中は結束している。父上の言うことが外れるなど、有り得ぬだろうがな。しかし、心配がないとは言えぬ。もし小田原が落城すれば、父上も私も斬られるだろう。北条は一族ことごとく処刑かもしれぬ。じっくりと構えていられぬ。
「もしもの時は儂が腹を切る。そなたを斬ることはせぬだろう。正室が武田の娘じゃ。三条の御方の娘でもある。そなたを斬れば、三条家を敵に回すことになる」
「父上、腹を切るなどと」
父上は笑みを浮かべた。
「上杉を関東から追った。そのことで公方様もお怒りよ。しかし、上杉を放っておけば、滅ぼされるのはこちらであった。上杉を越後に叩き出したことに悔いはない」
「はっ、それがしもそう思いまする」
父上が頷いた。
「もし北条一族、重臣が長尾の手によって討たれることあらば、虎福丸を頼るのもいいかもしれん。あの童の下で北条家再興を目指すのだ」
「はっ」
父上も弱気になられたのか? いや、父上のことよ。腹を切る覚悟で籠城戦に挑んでいるということであろう。また、虎福丸殿に文を送らねばな。できれば足利と北条の仲も良くしていかねばなるまい。そのためには同族の虎福丸殿を頼るのも致し方なしよ。




