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157、勝利の後で

永禄五年(1562年) 一月中旬 尾張(おわりの)(くに) 小牧山(こまきやま)(じょう) 柴田勝家


「ふむ。(おい)御殿(ごどの)が勝ったか。武田義信も他愛(たわい)ないの」


 殿が書状を読むとニヤリと笑う。三河で武田が負けた。大海というところに武田軍が引き出された。そこで武田軍は敗れ去った。武田(たけだ)義信(よしのぶ)信濃(しなの)まで逃げたらしい。


「伊勢虎福丸殿は武田に勝った。これで吉田城の今川と北条も(ふる)え上がりましょう」


 殿が(けわ)しい顔になる。虎福丸殿の敵は今川と北条が残っている。ただ伊勢軍は勢いを得た。野依(のより)二郎(じろう)()衛門(えもん)も戦上手と言われている。今川・北条は吉田城を捨てて逃げるかもしれない。


「三河が落ち着けば心置きなく美濃を攻められるというものよ。美濃を手に入れれば次は近江。その次は……」


 京。殿は三好と戦うつもりなのだ。今川義元を討った殿の野心は大きい。この乱世を終わらせる、殿は本気なのだ。


「関東の佐竹は北条を攻めていると聞く。これも(おい)御殿(ごどの)の策だろう。フフフ。しかし、やりおるわ。四歳の童子とも思えぬ」


「真に」


 虎福丸殿はどこまでも羽根(はね)()ばす。(つい)には武田の大軍を退けた。


「俺は見ていることしかできん。(おい)御殿(ごどの)、三河を守ってくれ。そなたならできる。東の守りは任せたぞ」


 織田は身動きが取れない。その間に虎福丸殿は動き回る。羨ましいものよ。殿もそう思っている。致し方ない。待つしかないのだ。虎福丸殿が勝つのを。










永禄五年(1562年) 一月中旬 三河国 岡崎城 伊勢虎福丸


「北条め、逃げたか」


「御意」


 吉田城から北条軍が逃げ出した。佐竹のことを気にしたのだろう。今川軍は(とど)まっている。これは好機(こうき)だ。今川軍を蹴散(けち)らす。


「若、ここは一気に吉田城まで軍を進めましょうぞ」


 野依(のより)二郎(じろう)()衛門(えもん)が言う。家臣たちも何人か頷いている。


「分かった。二郎左衛門、二万の兵を預ける。織田軍と共に吉田城の今川を討つのだ」


 二郎(じろう)()衛門(えもん)がにんまりとする。兵数もこちらが上だ。ただ、心配なこともある。今川の兵は強い。まともにぶつかって勝てるのか……。


 それに松平の家臣たちが城に(こも)って出てこない。筆頭家老の石川家(いしかわいえ)(なり)をはじめ、出仕(しゅっし)を断っている。旗色を見ているのだろう。まずい状況だ。


「はっ」


 二郎(じろう)()衛門(えもん)が大きな声で返事をする。志気は高い。勢いを殺してはいけない。


 武田の略奪(りゃくだつ)によって領地の者たちは傷ついている。俺は兵糧などを百姓や町人に分け与えた。こういう時に惜しんではならない。民は俺に感謝しているようだ。


 善政(ぜんせい)()く。そして松平が統治しやすい体制を作る。


 京でのクーデターは三好(みよし)(よし)(なが)実権(じっけん)を握った。御所にも三好義長が入ったという。将軍気取りだな。公家たちも義長の機嫌を(うかが)っているという。


 義輝の行方は分からない。噂では大津の三井寺(みいでら)に逃げ込んだのではないかという。今川軍を蹴散(けち)らせば、三河国内は安定するだろう。


 その後で京に戻る。義輝のことは助けない。足利の巻き()えは御免(ごめん)だ。三好とうまく付き合う。それで天下は安定するはずだ。


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