140、三河大乱の兆(きざ)し
永禄五年(1562年) 一月上旬 近江国 観音寺城 城下町 宿 伊勢虎福丸
「どうかの。虎福丸殿。三河の様子は」
六角義賢……承禎入道が口を開いた。六角の隠居だが、未だに影響力は衰えていないらしい。ただ、俺を見る目は穏やかで落ち着いたものだった。
ここは六角承禎の用意してくれた宿だ。京を出て二日。千の兵を率いての旅となる。向かう先は三河岡崎城。観音寺に着くと盛大な出迎えを受けた。当主の右衛門督はいなかったが、隠居の承禎をはじめ、家老たちは揃っていた。
「松平、織田は滅ぶでしょう。武田は三河、尾張、美濃を切り取ろうと考えておりまする」
熱い湯呑みを置きながら話す。武田義信のところに秋山善右衛門信友という武将がいる。この男が裏で相当動いている。
美濃、三河の武将たちに調略を仕掛けているのは秋山だ。元康の重臣・石川日向守家成も迷っているようだ。石川日向守ですら裏切ると松平も滅びるだろう。
「まさか、武田がそのような……」
驚いた承禎が手に持っていた湯飲みを置いた。俺をジッと見る。
「武田太郎義信と言う男、父親以上の強欲ぶりでございます。その内、今川も飲み込むでしょう。武田太郎義信の狙いは簡単です。越後の上杉氏を討つ。そのために領土を広げている」
「武田太郎殿がな、儂の所にも書状が来た。誼を通じたい旨が書かれておった。そこに土岐美濃守殿の花押が添えられておった。武田太郎、若いと思っておったが、なかなかの者よ」
土岐美濃守というのは斎藤道三に国を奪われた土岐家の当主だ。確か妻が六角家の出だったはず。
「土岐美濃守殿の書状はそれがしのところにも来ました。六角家に来たいと」
「何と。美濃守殿がのう」
「伊勢家は同じ足利の家人にございます。土岐家御再興を願う美濃守殿の思い、痛いほど伝わってきまする」
俺は心にもないことを言う。土岐には利用価値がある。特に美濃の国人衆は斎藤家の治世に飽き飽きしている。土岐美濃守を推戴すれば、靡く者が出てくるだろう。武田は土岐を利用しようとしている。それを逆手に取って、六角の方に土岐を引き抜く。そうすれば、六角についた土岐が美濃の国人衆を武田と戦うように唆すだろう。武田は三河攻めを止めて、飯田城で睨みを利かすしかない。
俺は土岐に忍びの者を送った。俺と手を組もう、と。武田太郎では頼りない。六角承禎を頼るべしと。この虎福丸には細川晴元も味方に付いているとも書いて送っておいた。
返事が来れば、俺の勝ちだ。観音寺に寄ったのも土岐美濃守のことで承禎と話したかったからだ。
「ふむ。一色よりも土岐美濃守殿の方が六角としても良い。土岐家再興に六角としても力を貸しますぞ」
よし、承禎の心が動いた。承禎は武田の勢力拡大を望んでいない。松平、織田、一色が滅ぼされると次は自分だと思ったのだろう。倅の右衛門督は頼りにならない。承禎が動くだろう。これで武田の勢いは削げる。
あとは今川か。これは止めようがない。いや、そうでもないぞ。今川は北条の兵を当てにしている。といっても北条も敵に囲まれている。担ぐのなら佐竹義昭辺りだろう。上杉政虎は動けない。佐竹に使者を送る。
知将佐竹義昭なら俺の策に乗ってくれるはずだ。
永禄五年(1562年) 一月上旬 三河国 刈谷城 評定の間 佐久間信盛
「遅い。いや、わざとゆっくりとしているのか」
評定の間に集まった武将たちが儂を見る。虎福丸は近江にいる。そこから動くことがない。
「伊勢虎福丸は鬼才にございます。今川・武田の足止めを考えておりましょう」
武藤宗左衛門が口を開いた。織田家では軍略の才随一と称される殿の軍師よ。その宗左衛門が人を褒めるなど、珍しい。虎福丸はよほどの才の持ち主か。
「宗左衛門殿、虎福丸がいくら才に秀でようとも、それは無理というものにござろう」
村井吉兵衛貞勝殿が宗左衛門を窘めるように言った。吉兵衛殿は織田家中で重きをなす。殿も頭の上がらぬ御方だ。
「吉兵衛殿、虎福丸の目は関東にまで注がれておりまする。常陸の佐竹、下野の宇都宮といった大名ともつながっておりまする」
「関東だと! ば、馬鹿な!」
吉兵衛殿が慌てたように声を上げる。関東。聞いたことがある。佐竹や宇都宮も三好家の婚儀に使いを出した。その時に虎福丸に会ったのだろう。
「右衛門尉殿、いっそのこと、岡崎まで出かけますかな? 我らで岡崎城を落とす。その上で虎福丸殿を岡崎城主にする。織田にとって利しかありませぬ」
武藤宗左衛門、恐ろしいことを言う。やはりこの男は只者ではない。殿が頼りにするわけよ。
「いや……」
虎福丸に三河を治めさせるか。伊勢家は足利の執事たる家柄。武田も今川も手を出せなくなる。そして三河は織田と仲の良い虎福丸の物となる。
三河の国人衆に使いを送ろう。虎福丸を大名にしてやれば織田家も気兼ねなく美濃攻めができる。




