134、大徳寺の危機
永禄五年(1562年) 一月上旬 山城国 京 伊勢貞孝の屋敷 伊勢虎福丸
「明けましておめでとうございまする。大徳寺より参りました古渓宗陳と申します」
年は三十ほどだろうか。若い坊主が来た。大徳寺、有名な寺だ。史実の信長の葬儀もここで行われたはずだ。
「明けましておめでとうございまする。はて、大徳寺のお坊様がこの童に何用ですかな?」
不思議だ。何で来たんだ? 大徳寺とは縁もゆかりもないはずだが。
「それが……田井源助殿から虎福丸殿を紹介されまして……。困っているのですよ。これが文になりまする。文字は田井源助殿の文字です」
田井源助? 誰だ、それは。知らんぞ。聞いたこともないし。
文を渡されて読んだ。幕臣の横暴、許すべからず候……。ふむふむ。
「ふーむ。仔細相分かった。つまり、こういうことですな。三淵弾正左衛門殿の手勢が大徳寺領の荷を奪ったと」
「はい。それだけでなく積み荷とともに女子衆も攫われまして」
俄かに信じられんな。三淵弾正左衛門藤英は細川藤孝の兄でよく知っている。甲斐の武田の使者には一緒に行ったしな。人格者で立派な男だ。
「何と……」
「その積み荷も女子衆も六郎様に差し上げるつもりだったのですが……」
六郎様……誰だ……ああ、細川晴元の倅の細川六郎のことか。
「弾正左衛門殿と仲のいい虎福丸殿なら、と。田井源助殿に勧められまして……」
だから、田井源助って誰だよ。
「ふーむ。三淵弾正殿ですか。分かりました。話してみまする」
「ありがとうございまする。三淵弾正殿も分かってくれると良いのですが……」
細川六郎は伊勢一族の娘・玉姫を嫁がせる予定だ。細川京兆家は伊勢家と同じ足利の譜代家臣だ。仲良くするに越したことはない。管領には六郎の弟がなっている。まだ幼い。義輝の操りやすい年齢だ。
まだ正月だ。三淵弾正の屋敷に行こう。これを機に大徳寺と細川家と仲良くする。大徳寺は千利休たち文化人ともつながりがある。うまくすれば、絵師の狩野や茶人たちと人脈を作れる。棚から牡丹餅だ。騒動を起こした弾正左衛門たちには感謝だな。
永禄五年(1562年) 一月上旬 信濃国 高遠城 大広間 武田信廉
「虎福丸はまだ三河に来ぬのか。待ちくたびれたぞ」
家臣たちから笑い声が上がった。笑い事ではない。童子の動きは遅い。
「まあ雑煮でも食べて気長に待とうではないか。のう、孫六殿」
善右衛門殿が声を上げる。待つのは疲れる。だが、善右衛門殿の言う通りでもある。三淵が京で手筈通りに動いている。もうすぐだ。もうすぐ我ら武田に運が回ってくる。
「それで松平の動きはどうなのだ、善右衛門殿なら何か掴んでおるのではないか?」
善右衛門がにやりとした。嫌な笑みだ。
「重臣どもも慌てておる。石川日向守からも使者が来た。新年の挨拶だな。もう元康を見限ったやもしれぬ」
「石川日向守……家老ではないか」
「そうだ。あと虎福丸が来たら、手筈通りにする。なに、織田は動かぬ。美濃の一色、伊勢の北畠と周りは敵ばかりよ。今のうちに三河に草(※スパイのこと)を仕込むのだ」
善右衛門がにやにやする。抜け目のない男だ。虎福丸のことはこの男に任せていいだろう。さて俺は後家たちと城下町を見て回るか……。




